ユーゴ紛争 民族主義を考える.

Slides:



Advertisements
Similar presentations
住民・国民の教育意思形成 民主主義と教育. 教育と教育意思形成 教育は「社会」における意思的行為であ る。 – 意思には、何を教えるか、教師をどのように 決めるか(誰に)、場所や費用をどのように 調達するか等々が含まれる 一人の教師 → その教師の意思ですべて決定 – 寺子屋・徒弟制 複数の教師・学生.
Advertisements

日下部絵美 中村里沙 田中理絵 金日成とは? 1912.4.5 金日成(本名金成桂)誕生 1929抗日運動に参加 名前 金日成に改める 1932~1941頃 抗日パルチザン運動展開 1941 ソ連に渡る 1942 金正日誕生.
オランダの教育 (2) 小さな学校と 90 年代後の制度改編.
1.欧州. 特許会社  特許会社とは …. 経営権が国に保留されている事業の、 一部または全部の経営権を、法律などに より付与された会社。  世界で最初の特許会社 モスクワ会 社.
イラクにおける政党支持構造とその変容 山尾大(九州大学) 浜中新吾(山形大学).
第9回(11/20)  立憲制度と戦争.
チベット問題 井上奏汰.
北欧の社会 福祉国家とは何か.
モンロー主義からの脱却 Manifest Destiny 戦後のアメリカ外交
公共政策大学院 鈴木一人 第12回 各国比較:EU 公共政策大学院 鈴木一人
ECの成立へ マーストリヒト条約の成立 通貨統合
トルコ及び中欧からの人の移動とそのEU加盟問題に与える影響
米ソ 冷戦       ~今現在とのつながり~       11-3      福島 愛巳.
情報社会とガバナンス 歴史的経緯から 吉田寛.
アンゴラ内戦 ~武装解除の具体例.
宗教の問題 宗教的対立をどう克服するか.
イギリスEU離脱の是非 否定派 Let’s Start!!!.
第12章 現在のグローバル化を考える.
現代のグローバル化を考える 冷戦体制解体 民主主義とグローバル化.
二度のアフガン戦争 ソ連からアメリカへ.
比較文化A(2) 異文化間コミュニケーション
イラク戦争2 イラク-アメリカの絡み合い.
世界に広がるフランス語: 5大陸で話されるフランス語ーその経緯と現実
女性参政権獲得の歩み 19世紀から20世紀半ばまで (第1派フェミニズム)
民営化とグローバリゼーション 国家の役割は何か.
失われた10年 日本経済の現状と課題 日本の平和への貢献
4 国際通貨 1 国際通貨の基礎理論 2 国際通貨の機能と選択 3 管理通貨制度下の国際通貨 国際金融2002(毛利良一)
地政学2 「新しい地政学」の登場 政治地理学の理論と方法論 第3週.
資源ナショナリズムについて 2012/01/20 長谷川雄紀.
公共政策大学院 鈴木一人 第10回 各国比較:アメリカ 公共政策大学院 鈴木一人
対北朝鮮「最大限の圧力へ」.
公共政策大学院 鈴木一人 第7回 政治と経済の関係 公共政策大学院 鈴木一人
宗教の問題 宗教的対立をどう克服するか.
社会主義の教育理論.
東アジア文化論(11/6) 『成長するアジアと日本の位置づけ』.
教育行政組織(1) 指導助言と監督命令.
市場の失敗と政府の役割 経済学A 第9回 畑農鋭矢.
アフリカにおける主な紛争 マノ河流域諸国 アフリカの角 大湖地域
§7. 平和主義 2007年7月3日・10日 社会科学部 憲法.
東ティモール○×クイズ.
§5. 平和主義 人間科学部 憲法.
文化戦争の世紀末 文化戦争の世紀末 文化戦争の世紀末 1990年代.
オランダ社会論 究極の合理主義と寛容.
〈拡張する人権〉と高度不信社会 ―人権の基礎としての民主政治を考える 吉田 徹 北海道大学公共政策大学院
グローバリゼーションは 国際的画一化なのか
ベトナム戦争 戦争の正義・勝者の苦悩.
国家.
日本政治の第一歩 第1章 戦後の日本政治.
民主主義ってどういうこと? 1、始まり 2、見方 3、政治 4、課題 5、これから.
日本教育の特質 国際教育論2.
世界から見たら? サンフランシスコ講和条約 敵国条項 日米地位協定 日米安保条約 日米原子力協定 憲法改正 基地問題 経済問題 原発問題
二度のアフガン戦争 ソ連からアメリカへ.
社会主義の教育理論.
オランダの教育(2) 小さな学校と90年代後の制度改編.
宗教の問題 宗教的対立をどう克服するか.
グローバリゼーションは 国際的画一化なのか
グローバリゼーションは 国際的画一化なのか
オランダ社会(2) 柱社会の特質.
比較政治学における パレスチナ研究 ~交渉ゲーム理論を中心に~
アメリカのプロパテント政策 2002.10.11.
人権とは.
第6章 私たちの声は 届かない? 間接民主制と選挙制度
2012‐06‐14 まい ヒトラーの政策.
中朝はトランプを狙う 情報パック2月号.
英国のEU離脱 平成30年2月 在英国日本国大使館.
戦争と平和 正義の戦争は 戦争で利益を得る者は.
教育行政・財政 導入説明.
新しい日本の安全保障戦略ー多層協調的安全保障戦略
平成から「令和」へ 日本の針路 情報パック4月号.
公共政策大学院 鈴木一人 第9回 各国比較:アメリカ 公共政策大学院 鈴木一人
Presentation transcript:

ユーゴ紛争 民族主義を考える

民族主義を考える(1) 歴史的展開 共和政・徴兵制←→言語・宗教・歴史観 ナポレオンのヨーロッパ征服⇒ロシア遠征の失敗⇒諸 国民戦争⇒フランス革命理念の拡散 19Cの産業革命と市民革命(1948年)・選挙制度の進 展⇒君主制の変質(ポーランド、シオニズム) 第一次大戦後の王政の崩壊(ドイツ、オーストリア、ロシ ア、オスマントルコ)⇒その支配下の独立(フィンランド、 ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、バルカン諸 国) 第二次大戦後のアジア・アフリカの独立 共和政・徴兵制←→言語・宗教・歴史観

民族主義を考える(2) 民族に関する基本的立場 民族とは 客観主義と主観主義の定義(困難) 「民族」は幻想である 「民族」は実体である 「民族」は強く意識する者が出現することで現れる 民族とは 客観主義と主観主義の定義(困難) 民族とは、他者を意識し、言語や宗教等の何らか 価値を主体にして、対抗的にまとまろうという意識 の下で発生する概念である。→民族独立、民族浄 化など、争いに係わって生じることが多い。→民族 意識の増大は紛争に転化しやすい

ユーゴスラビア マケドニア社会主義共和国、セルビア社会主義共 和国、ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国、 クロアチア社会主義共和国、スロベニア社会主義 共和国、モンテネグロ社会主義共和国の6つの国 家からなる連邦国家(セルビア内にコソボとボイボ ディナ自治区) 現在は社会主義ではなく、共和国として存在 宗教は、歴史的に大きな勢力に支配されたため、 ロシア正教(セルビアが中心)、キリスト教(スロベ ニア、クロアチア)、イスラム教(ボスニアの多数派 勢力)

第二次大戦~ ナチス・ドイツとイタリア王国に支配下(特にクロア チア人は、ヒトラーを支持し、領域内のセルビア人 を迫害) 1943.11-12 パルチザン達が、ユーゴスラビア人民 解放反ファシスト会議: 1945.11.29 ユーゴスラビア連邦人民共和国結成 (首相にチトー、後の終身大統領) チトーはソ連への従属を拒否し、1948年コミンフォ ルムから除名→以後第三勢力として、中立政策

チトー大統領 パルチザン指導者チトー

自主管理社会主義国として 社会主義ではあるが、市場経済を取り入れる 民族間のバランスを重視し、特定の民族に偏らな い政治体制 自主管理社会主義と言われた 民族間のバランスを重視し、特定の民族に偏らな い政治体制 歴史的に繰り返された迫害などの感情的しこりは、消 えなかった。(チトーのカリスマ性で表面化せず) 民族的少数派を擁護したために、逆にセルビア人の不 満が少しずつ高まっていた 表現の自由や西側との交流は、比較的緩やか だった ソ連との関係は冷戦の手前

チトーの死 1980.5.5 80年代後半、マルコヴィッチによる「市場経済」「民 営化」政策 各民族が、それぞれの不満を次第に増幅 81年から、アルバニア系が不満をもち、隣国アル バニアと統合を望み、セルビア人が流出傾向。労 働者一人あたりの所得は、スロベニアの半分、失 業率はスロベニア1%、コソボ30%。 88年、ゴルバチョフが訪問して「新ベオグラード宣 言」ユーゴの承認。 88年、スロベニアの記者が軍批判をして裁判に。

コソボ問題 コソボはセルビアの自治区で、多数派のアルバニア人、 少数派のセルビア人が居住 アルバニア人は自治区ではなく、共和国の地位を求め、 セルビアは自治区を排して、セルビアの一部となるこ とを求めて対立していた。 1988 セルビア人の抗議行動鎮静化のため送られたミ ロシェヴィッチが逆にセルビア人に肩入れ 1989.2 アルバニア人の指導者ヴラシが排除され、そ れに抗議するアルバニア人を制圧することをセルビア 議会が承認、弾圧を開始。(ヴラシを逮捕投獄された が、ユーゴ崩壊後も生き延び、法律家・政治顧問とし て活動)

ミロシェビッチとロシア大統領エリツィン ユーゴ国際法廷でのミロシェビッチ ミロシェビッチと妻

スロベニア独立 セルビア人が代表数に不満。人口比か共和国平 等か。 1990年、共産主義者同盟での改革論議の結果ス ロベニアが同盟を脱退→同盟の一党支配が終焉 し、複数政党制に移行→民族主義の興隆 1991.6.25 連邦からの離脱権の憲法制定、住民投 票を経て独立宣言→6.27 連邦軍が侵攻。クロアチ アが国境で阻止→7.7 連邦軍撤退、スロベニアは 勝利宣言(10日間戦争) セルビア人が3%、クロアチアが緩衝地帯、国際世 論等の影響で短期間に終戦。2004年EU加盟

クロアチア独立と紛争 1990年選挙で圧勝、大統領に。(民族主義者) 公用語クロアチア語の使用、カトリックへの改宗、共和 国への忠誠義務を規定する憲法制定 クロアチアが連邦からの独立するなら、セルビア 人はクロアチアから独立するとして、住民投票した のち、1991.4.1にクライナ・セルビア人共和国とし て独立宣言。クロアチアは6.25に連邦から独立。 以後内乱状態。当初軍備の弱いクロアチアに対し て、連邦政府の援助を受けたクライナが優勢で、 虐殺が起きた。以後逆転し、虐殺も。

クライナ・セルビア人共和国

左から ミロシェビッチ、イゼトベゴヴィッチ ツジマン,アメリカ国務長官クリストファー クロアチア大統領ツジマン

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争1 (もっとも深刻なユーゴ動乱) ボシュニャク人(イスラム)、セルビア人(ロシア正教)、 クロアチア人(カトリック)が共存していた。(宗教は 違うが言語はほぼ同じで、婚姻も多かった。) 共産主義者同盟の崩壊から多党制、連邦からの 独立、民族主義の興隆の影響。独立志向のボシュ ニャク人とクロアチア人に対して、連邦残留志向の セルビア人の間の対立が顕在化。軍事衝突も。 92.1リスボン合意(セルビア人、クロアチア人、ボ シュニャク人の地方政府からなる連邦国家とする) 合意後、イゼトベゴヴィッチが破棄。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争2 イゼトベゴヴィッチ大統領(独立派)は、1991.10独立宣 言、1992.2住民投票で90%支持(反対のセルビア人は ボイコット) 対抗して、民族独自の共同体ヘルツェグ=ボスナ・ク ロアチア人共和国およびスルプスカ共和国を設立 1992.4 ECが承認、5 国連加盟 セルビア人勢力が軍事行動→三つ巴の攻撃、虐殺が 続く。セルビア、クロアチアがそれぞれ軍事援助。ボ シュニャク人はイランに救援依頼。(逆効果) 優勢なセルビア人がボシュニャク人住民を虐殺、放火、 レイプ、サラエボを3年間包囲

ボスニアのセルビア人指導者カラジッチ ボスニア大統領イゼトベゴヴィッチ

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争3 民族浄化 国連軍・NATOの介入と和平 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争3        民族浄化 ラシュヴァ渓谷 クロアチア→ボシュニャク人 スレブレニツァ セルビア→ボシュニャク人 1993.4「安全地帯とされ、国連保護軍が派遣されたが、逆に捕 虜となり、1995.7ボシュニャク人への大虐殺が起きた。  国連軍・NATOの介入と和平 調停→保護軍の派遣→空爆 セルビア人地域とボシュニャク人・クロアチア人地域に 分割して地方政府の連邦案→区割りで争い 1995.11 ディトン合意で終息 旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷 多数が人道に対 する罪で有罪(ミロシェビッチは判決前に死去)

第二次コソボ紛争 1990年代後半から、アルバニア人の不満が高まり、 コソボ解放軍、ユーゴ治安部隊の武力衝突、解放 軍はアルバニアから援助? 大規模なNATO軍による介入始まる    (推移は次ページ) (中国大使館爆撃による国際的騒動もあった) ミロシェヴィッチがNATO軍の駐留を認め、次第に 終結

第二次コソボ紛争の推移 欧米の様々な議論・対応 コソボ解放軍とセルビア軍の激突へ 98.5-6セルビア軍による住民虐殺→NATOの空爆 解放軍が優位にたち、2つの村で虐殺 セルビアの反撃でアルバニア人を虐殺→98.10国 連軍による治安を含む合意→解放軍により破棄 セルビア人による虐殺→99.1ランブイエ和平交渉、 決裂 NATOによる大規模空爆(3カ月)

戦争の検討から考えること 戦争を望む人たちが存在する。 戦争を阻止する力 経済的利益 憎悪による抑圧志向 民主主義(透明性) 戦争を起こす勢力は情報を歪曲 する 多角的視野(相手の論理を理解できる)