300年前 の天上
GCPE は APEC(6.5 keV) + APEC(0.7keV) 形は同じ Fluxは中心 に向かって 単調増加 S-line 電波 Fe-line
(A) : Abs1×Abs2×(XRNE+GCPE) (B) : Abs1×Abs2×XRNE +Abs2×GCPE (C) : Abs1×Abs2×(XRNE +(1−R)×GCPE) +Abs2×(R×GCPE) GCPE = APEC(6.5 keV) + APEC(0.7 keV)
Simultaneous fit For 12 spectra (6-region, FI/BI) A: 1.87 B:1.77 C: 1.34
こうして、XRNの3次元分布がでた
全てのXRNで同様な解析
Sgr A*はほぼ300年前に大フレアーをおこした。その継続時間は10 年程度である。
300年前の地上 江戸で、澁川春海が新暦を作成、京都梅小路で天体観測江戸方の勝利、「貞享暦」発行。 300年前の地上 江戸で、澁川春海が新暦を作成、京都梅小路で天体観測江戸方の勝利、「貞享暦」発行。 次の「宝暦暦」は土御門泰邦(安倍)が主導。 泰邦は1751年に梅小路に天文台。 江戸方は1797年西三条に天文台。 江戸時代の古文書(大國家文書: 府立総合資料館)では「三条北一町千本西へ三町計余」とある。敷地は東西100メートル南北60メートルほど(寛政九年天文方測量場 平面図)では経緯儀、垂揺球儀(振り子時計)、象限儀などがあった。 土御門の天文台と同じ経度にある。 伊能忠敬(1745—1818)が「大日本沿海輿地全図」を作製したとき、本初子午線(経度0度)を西三条天文台を通る線にした。また西三条天文台は北緯35度線上。 地図作成にあたって、忠敬は正確な天体観測を併用した。従って緯度方向(南北) の精度は高い。一方、経度方向(東西)の誤差はやや大きい。しかし全体として測定誤差は0.1 %という驚異的な精度であった。明治維新のころ、列強の連中はその精度に驚いた。
銀河中心領域から ステライル ニュ-トリノを発見か? 理論上の粒子 (不毛のという意味) Mass= 17 keV 理由: LyαのFluxがCIE/NEIより、 はるかに大きい。 問題点: Charge exchange and/or RRC では 説明不可か Lyγ K-edge