ねずみ捕り器 作者: グイノ・ジェラール神父 音楽: Cavalleria rusticana ねずみ捕り器 作者: グイノ・ジェラール神父 音楽: Cavalleria rusticana 作曲者: Pietro Mascagni クリックをしてください
小さな畜産農場に住んでいるあるネズミはこの農場の婦人が、自分が隠れている壁の割れ目のすぐそばに、一台のねずみ捕り器を置いてあることに気が付きました。
恐怖のあまり自分を失って、このネズミは動物たちが集まっている干し草を入れてある納屋の方へ走りました。 「大変だ、大変だ。 家にねずみ捕り器がある。 大変だ。」と叫び始めました。
「君、きみ。 その知らせに何の得がありますか。 君が問題にしている ねずみ捕り器は、 私とは全く関係がない。 さあ、邪魔、邪魔、 早くあっちへ行ってちょうだい。」 と最初に出会った雄鶏が、 偉そうに答えました。
それを聞いてネズミは、今度はある肥えた豚に 「大変だ、大変だ。 家にねずみ捕り器がある。 大変だ」 と真剣に忠告しました。 それを聞いてネズミは、今度はある肥えた豚に 「大変だ、大変だ。 家にねずみ捕り器がある。 大変だ」 と真剣に忠告しました。
「君には気の毒だが、 けれども これに対して 私は何もできません。 まあ、安心してください。 せめて君の無事と 安全のために 祈ることを 約束します」と 同情的な態度を 示しながら、 肥えた豚は 答えました。
諦めずにネズミは、今度は元気な牛にもねずみ捕り器の危険を知らせました。 「大変だ、大変だ。 家にねずみ捕り器がある。 大変だ」と叫びました。 諦めずにネズミは、今度は元気な牛にもねずみ捕り器の危険を知らせました。 「大変だ、大変だ。 家にねずみ捕り器がある。 大変だ」と叫びました。
これについて、 牛は何も答えずに ネズミに ただ背を向けた だけでした。
この動物たちの理解も助けも受けることが出来なかったので、ネズミは寂しくなって、仕掛けられたねずみ捕り器を上手に避けながら、自分の隠れ場所に戻りました。
その夜、あのねずみ捕り器が何かを捕えた音がしました。 朝早くまだ暗いうちに農場の婦人は、ねずみ捕り器を見に行きました。 その夜、あのねずみ捕り器が何かを捕えた音がしました。 朝早くまだ暗いうちに農場の婦人は、ねずみ捕り器を見に行きました。
電気がついていなかったので、暗闇の中で、農場の婦人は毒蛇のしっぽが、ねずみ捕り器に挟まれていることに気がつかずに、手でねずみ捕り器を掴みました。
すると、しっぽが挟まったままでねずみ捕り器と一緒に急に引っ張られてびっくりした毒蛇は、彼女に噛みつきました。 大怪我をした農場の婦人は、病院に行き、治療を受けて家に戻りました。
しかし高い熱がなかなか下がりませんでした。
見舞いに来た近所の婦人が、昔の言い伝えを信じて 「雄鶏のスープを飲めば、熱が下がりますよ。」と言いました。
農場の婦人の夫は、それを聞いて偉そうな雄鶏を殺すために外へ出ました。 しかし近所の婦人たちの作ったスープを飲んでも、彼女の熱は下がりませんでした。
次の日にもう一度見舞いに来た婦人たちは 「雄鶏のスープで熱が下がらなかったのなら、きっと豚肉の鍋なら熱が下がるに違いありません」 と言いました。
自分の妻の 元気な姿を もう一度 見たかった夫は、 今度は 肥えた豚を 殺しました。 しかし、 残念なことに 豚肉の鍋も 彼女を救うことはできませんでした。
数日後、彼女は亡くなりました。
夫は、彼女のお通夜と葬儀に出席した大勢の人々に食事を 振る舞うために、今度は元気な牛を殺すことになりました。
壁の割れ目からこれらの出来事の結末を見ていたネズミは 「せっかく、ねずみ捕り器の危険を知らせたのに…。」と一人で考えました。 壁の割れ目からこれらの出来事の結末を見ていたネズミは 「せっかく、ねずみ捕り器の危険を知らせたのに…。」と一人で考えました。
「立っている と思う者は、 倒れないように 気をつけるがよい」 (1コリント10,12) と聖パウロは 忠告します。
誰かが あなたに 自分の問題を 打ち明けるなら、 それが自分と 全く関係のないものだ と考えないでください。
この物語が教えるように、誰か一人が危険を冒している、あるいは誰かの生命が危ぶまれていることを知るなら、それは実は、あなたと関係のある問題であることを忘れないでください。
無関心と 知らん顔は、 必ず他の思いがけない 危険を引き寄せるからです。 もちろん、 委ねられた問題 の解決のために 祈ることが 必要です。 無関心と 知らん顔は、 必ず他の思いがけない 危険を引き寄せるからです。 もちろん、 委ねられた問題 の解決のために 祈ることが 必要です。
しかし具体的な支えや慰めや励まし、あるいは友情の行いがその祈りに伴わないなら、決してよい効果をもたらしません。
聖パウロに倣って私たちも「何とかして何人かでも救うために、 すべての人に対してすべてのものになりましょう」(参照:1コリント9,22)。
おわり