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現代文明論 11,12 イスラーム世界とわたしたち (シチリア化する現代 高山博インタビュー).

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1 現代文明論 11,12 イスラーム世界とわたしたち (シチリア化する現代 高山博インタビュー)

2 文明の共存を求めて 教会建築の場合 キリスト教の教会からモスクへ アヤソフィア (イスタンブル)

3 アヤソフィア

4 メスキータ モスクからキリスト教の教会へ メスキータ(スペイン語でモスク)(コルドバ)(次のページ)

5 コルドバのメスキータ 8世紀まで カトリックの教会 8世紀以降 イスラムに征服されて モスク(メ スキータ)
8世紀まで カトリックの教会 8世紀以降 イスラムに征服されて モスク(メ スキータ) 13世紀 レコンキスタによりモスクからカトリ ックの教会へ改修(ミフラーブ残す)

6 中世シチリア王国における 文明の共存 (高山博の研究による) 参考文献「文明共存の道を求めて」NHK人間講座

7 12世紀地中海世界

8 シチリア王国の歴史 ノルマン・シチリア王国誕生から滅亡まで
1130年 シチリア伯ロゲリウス2世(1130-5 4)(参照:王国の為政者たち) 2代目:ウィレルムス1世(ロゲリウス2世の息子、 1154-66) 3代目:ウィレルムス2世(ウィレルムス1世の息子、 1166-89) 国政はファミリアーレス・ レギス(王国最高顧問団、別ページ参照)が担 う

9 1190年 レッチェ伯タンクレドゥス即位、1194年 死亡 1194年 神聖ローマ皇帝ヘンリクス6世がシチリア を支配(事実上、シチリア王国の終わり) 1250年 フレデリクス2世(1197年、3歳でシチリア 王、1212年ドイツ王、1220年神聖ローマ皇帝) の死

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11 歴史研究におけるシチリア王国の 重要性 1)人類の経験としての文化交流と異文化接触の観点から重要な研究 の場を提供する(ノルマン人の冒険物語としてではない) 2)三つの文化的要素を同じ文脈の中で比較することが可能 ・ラテン・カトリック文化 ・ギリシャ・東方正教文化(ビザンツ) ・アラブ・イスラム文化の3つが共存 3)ビザンツ史、イスラーム史、ヨーロッパ中世史を接合し、三つの 文化圏を包括的に認識するための枠組み作りを可能にする 「わたしたちのヨーロッパ理解を大きく転換させてくれる過去への 扉だ」(17ページ)

12 シチリア王国の2つの歴史的意義 1 12世紀ルネサンスへの貢献(優れた東方文 化のヨーロッパへの輸入基地としての役割)
1 12世紀ルネサンスへの貢献(優れた東方文 化のヨーロッパへの輸入基地としての役割) 2 ヨーロッパにおける近代行政制度の発展に 対して果たした役割 3(付加的重要性)12世紀地中海における商業 活動・経済活動の中心の一つ 高山博『中世シチリア王国』現代新書、1999による

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14 サン・カタルド教会(右) 三つの赤い丸屋根(ウィレルムス1世の宰相マイオによって建てられた) 14

15 サン・カタルド教会

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19 アラビア語、ギリシャ語、ラテン語、 ヘブライ語

20 王国統治のかなめ 王国最高顧問団

21 宰相の属する文化 (王国統治を支える異教徒、異邦人)

22 王国最高顧問団のなかに異邦人 例 ペトルス(アラブ人宰相)逃亡後、5名の顧問 団のうち1名はイングランド人聖職者、2名は アラブ人宦官
宰相ステファヌス逃亡後、10名の顧問団のう ち3名が異邦人 1169年の3人体制の王国最高顧問団のうち 1名は異邦人

23 宮廷の書記 (王国を支える異教徒、異邦人)

24 異国から来た王妃 ロゲリウス二世の最初の妻、スペイン(カステ ィーリャの王女)
ロゲリウス二世の2番目の妻、フランスのブル ゴーニュ公の娘、 3番目の妻はフランスのレ テル伯の娘 ウィレルムス一世の妻、ナヴァーラ王女 ウィレルムス二世の妻、イングランド王女

25 混在ではなくモザイク状に棲み分け アラブ人ーシチリア島南部、中央部、西部 ギリシャ人とアラブ人ー北東部 ギリシャ人ーカラーブリア
南イタリア人ーカラーブリアの北 領主はノルマン人 農民ーシチリア島ではアラブ人、ギリシャ人 イタリア半島部ではギリシャ人か南イタリア人

26 異文化共存はどうして可能だったか キリスト教の寛容性ではない
「キリスト教徒が宗教的・文化的に寛容だったか らではありません。強力な王権がイスラーム教 徒を必要とし、彼らに対する攻撃や排斥を抑制 していたからです。」(文明の共存の道を求め て、72ページ)

27 12世紀ルネサンスとシチリア ハスキンズ『12世紀ルネサンス』(1927年)
  ギリシャ語、アラビア語の哲学書、自然科学 書がラテン語に翻訳された ヘンリクス・アリスティップス(大宰相マイオの 暗殺以後、王国最高顧問)ーープラトン『メノ ン』『ファイドン』、アリストテレス『気象学』 (ギリシャ語からラテン語に翻訳) エウゲニオス(ドゥアーナ・バーローム長官)ーー プトレマイオス『光学』(アラビア語からラテン 語に翻訳) アデラルドゥスーーエウクレイデス(ユークリッ ド)『原論』(全15巻)(アラビア語からラテン語 に翻訳)ーー西欧の学問世界に大きな影響

28 スペインにおける翻訳活動 コルドバ (スペイン人とユダヤ人が棲み分 け)ユダヤ人街ー花の小道
コルドバ (スペイン人とユダヤ人が棲み分 け)ユダヤ人街ー花の小道 13世紀、トレド―アルフォンソ10世による 翻訳研究所


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