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Published byあきお ぜんじゅう Modified 約 6 年前
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いつ作られた詩ですか? 俺たちの苦しみと死が 俺たちの父や母や弟妹たち、 愛する人たちの幸福のために たとえわづかでもやくだつものなら。
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1945年 大東亜戦争 末期 アメリカ、硫黄島の戦いの後、沖縄を目標。 1945年4月1日アメリカの沖縄上陸の阻止
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1941年 大東亜戦争(太平洋戦争) 1942年 ミッドウェーの戦い 1945年2月 硫黄島の戦い→無差別空襲 1945年8月6日 広島に原爆投下 1945年8月9日 長崎に原爆投下 1945年8月15日 ポツダム宣言の受諾
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神風特別攻撃隊(特攻隊) 飛行機に250kg爆弾を積んで、 アメリカの空母や戦艦めがけて体当たりする。
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アメリカ海兵隊員のインタビュー 「10人の内7人は感激の涙をもって見、 あとの3人はむしろ憎しみを持って見ている。」 イ「君はどちらの方か?」 「ぼくは、7人のうちの1人である。」 「あの人達は死ぬのを覚悟していた。私だって入隊した時は、命を捧げる覚悟だった。でも、あんなやり方では…」 日本のこれら特攻志願者の人間に、無感動のままでいることも到底できないのである。 (略) 彼らの勇気、決意、自己犠牲には、感嘆を禁じえないし、また禁ずべきではない。 ベルナール・ミロー『KAMIKAZE』
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特別攻撃隊員は、この戦争がどうなると思っていましたか。
①自爆攻撃の成果が上がって勝つと思っていた。 ②勝てはしないが、アメリカが無条件降伏をあきらめ、停戦協定が結ばれると思っていた。 ③それでも勝てない。負けると思っていた。
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恋人への手紙 俺は昨日、静かな黄昏の田畑の中で、 まだ、顔も見えない遠くから、 俺達に頭を下げてくれた子供達のいじらしさに 強く胸を打たれたのである。 本当にあのような可愛い子供達のためなら、 生命も決して惜しくはない。
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誰から誰への手紙ですか 愛児よ 若し 御許が男子であったなら 御父様に負けない 立派な日本人になれ 若し 御許が女子であったなら 気立てのやさしい女性になって呉れ そして御母様を大切に 充分孝養をつくしてお呉れ 父より 愛児へ
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どんな心境だったのですか? 最後の日記 海軍大尉 市島保男23歳 ただ命を待つだけの軽い気持ちである。 隣の室で「誰か故郷を思はざる」をオルガンで弾いてゐる者がある。平和な南国の雰囲気である。 徒然なるままにれんげ摘みに出かけたが今は捧げる人もなし。梨の花とともに包み僅かに思ひ出をしのぶ。 夕闇の中を入浴に行く。 隣の室では酒を飲んで騒いでゐるが、それもまたよし。俺は死するまで静かな気持ちでゐたい。 人間は死するまで精進しつづけるべきだ。ましてや大和魂を代表するわれわれ特攻隊員である。その名に恥ぢない行動を最後まで堅持したい。 俺は、自己の人生は、人間が歩み得る最も美しい道の一つを歩んできたと信じてゐる。 精神も肉体も父母から受けたままで美しく生き抜けたのは、神の大いなる愛と私を囲んでゐた人びとの美しい愛情のおかげであった。 今かぎりなく美しい祖国に、わが清き生命を捧げ得ることに大きな誇りと喜びを感ずる。
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大西瀧治郎中将 これは九分九厘見込みはない。 これが成功すると思うほど、大西は馬鹿ではない。
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西田高光中尉 学鷲は一応インテリです。 そう簡単に勝てるなどとは思っていません。 しかし、負けたとしても…
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特攻隊員は何の為に死んだのか? ①家族を守るため ②日本を守るため ③強制されて ④その他
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関行男大尉 ぼくは明日、天皇陛下のためとか 日本帝国のためとかでいくんじゃなくて、 最愛の妻のためにいくんだ。 ぼくは彼女を守るために死ぬんだ。 西条の母上には幼時より苦労ばかりおかけ致し、不幸の段、お許し下さいませ。 満里子殿 何もしてやる事も出来ず散り行く事はお前に対して誠にすまぬと思って居る。 今吾すべてを捨てて国家の安危に赴かんとす
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特攻隊は強制だったのか? 戦時中、米国内で言われたような、特攻隊員は鎖で操縦席に縛り付けられていたとか、(中略)麻薬を射ったり、酔っ払ったり、(中略)精神を麻痺させて出撃したなどという話は、真実から程遠い。 リチャードネオール『関大尉を知っていますか』 決行に先んじて数日前、時としては数週間、数か月も前から、予めその決心がなされていたという点にある。 ベルナール・ミロ―『KAMIKAZE』
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大西瀧治郎 中将 大西は特攻隊員達を集め訓示した。豪胆で知られていた大西は話の間中、体が小刻みにふるえ顔面が蒼白で引きつっていたという。 大西は涙ぐんで、「しっかり頼む」と言って訓示を終わった。 大西中将は、パイロットの1人1人と握手して彼らの武運を祈った。
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大西瀧治郎 中将 大西は軍令部次長として内地に帰還した。官舎に独居して妻とは一緒に住まなかった。 「週に1度は帰宅して奥さんの家庭料理を食べてはどうですか」 「君、家庭料理どころか、特攻隊員は家庭生活も知らないで死んでいったんだよ。614人もだ。俺と握手していったのが614人もいるんだよ。」
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大西瀧治郎 中将 「特攻は統率の外道である」 「死ぬときはできるだけ苦しんで死ぬ」
大西瀧治郎 中将 「特攻は統率の外道である」 「死ぬときはできるだけ苦しんで死ぬ」 この言葉どおり、介錯無しの割腹自殺を遂げ15時間あまり苦しんで死亡した。
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遺書(1945年8月16日)
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血染めの遺書(1945年8月16日) 特攻隊の立派な霊たちに告げる。 今までよく戦ってくれた…ありがとう… 心から君たちに感謝する。 君たちは日本の最後の勝利を信じて、 肉の弾として散って行った。 しかし、君たちの尊い信念は遂に達成することは叶わなかった。 私は自らの死をもって、君たちと君たちの遺族に謝罪する。 次にこれからを生きる戦後の日本青少年たちに告げる。 軽々しい行動を取れば、利敵行為となってしまうのだから、 私の死によって陛下の尊い決断に従って 自らへの戒めとしてくれれば嬉しい。 戦後を生きる日本人たちよ、これから苦しい時代を生きるだろう… だが、どんなに苦しくても日本人としての誇りを決して失わないでほしい。 日本の子供たち。君たちは「日本という国」の宝だ。 どんな時も、「絶対くじけないんだ!」という特攻精神を持ち続け、 日本全民族の福祉と、世界の平和の為に… 最善を尽くしなさい。 海軍中将 大西瀧治朗 命
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2つの理由 ①日本民族が将に滅びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者達がいたという歴史。 ②これをお聞きになって、陛下御自らの御仁心によって戦をやめさせられたという歴史。
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西田高光中尉 学鷲は一応インテリです。 そう簡単に勝てるなどとは思っていません。 しかし、負けたとしても… その後はどうなるのです。 われわれの生命は講話の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっています。そう、民族の誇りに…。
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西田高光中尉 総ての人よさらば、後を頼む。
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総ての人よさらば、後を頼む。
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沖縄戦を生き残った女学生 当時、高女生であったというその女性は、 「特攻隊の突入のおかげで救われました」 という。 鉄の暴風と称われた米軍の間断ない艦砲射撃も、特攻突入のその時だけは、砲撃はすべて特攻機に向けられる。 女学生たちは、その隙を狙って洞窟から飛び出し、いのちの水を汲みに走った。 「いまでも、特攻の人たちには感謝しています。」 とその老女は涙をにじませる。
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アムステルダム市長(現内務大臣) 平成3年 日本傷病軍人会代表団へ
アムステルダム市長(現内務大臣) 平成3年 日本傷病軍人会代表団へ あなたがた日本は、先の大戦で負けて勝った。 わたしどもオランダは勝って大敗しました。 今、日本は世界一、二位を争う経済大国になりました。わたしたち オランダはその間屈辱の連続でした。 戦争に勝ったはずなのに、世界一の貧乏国になりました。 戦前はアジアに本国の36倍もの大きな植民地インドネシアがあり、石油などの資源産物で本国は栄華を極めていました。 今のオランダは日本の九州と同じ広さの国になりました。あなたがた日本はアジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけたと自分をさげすみ、ペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。 あなたがたこそ自ら血を流して東アジア民族を解放し、救い出すという、人類最高の良いことをしたのです。なぜならあなたの国の人々は、過去の歴史の真実を 目隠しされて、今次大戦の目先のことのみ取り上げ、あるいは洗脳されて、悪いことをしたと自分で悪者になっていますが、ここで歴史を振り返って真相を見つ める必要があるでしょう。 本当はわたしども白人が悪いのです。300年も前から競って武力で東アジア民族を征服し、自分の領土として勢力下におきました。植民地や属領にされて長い 間奴隷的に酷使されていた東アジア民族を解放し、ともに繁栄しようと遠大崇高な理想を掲げて、大東亜共栄圏という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だった はずでしょう。 本当に悪いのは侵略して権力を握っていた西欧人の方です。日本は敗戦しましたが、東アジアの開放は実現しました。つまり日本軍は、戦勝国のすべてを東アジ アから追放して終わりました。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。日本の功績は偉大です。血を流して戦ったあなたがたこそ最高の功労者で す。自分をさげすむのを止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきです。
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教育勅語(私的現代口語文訳) 私は、昔、私達の祖先が大志と理想を持ち、この日本という国をお開きになったものと信じます。 それからというもの国民は、深く道徳を考え、それを生活のあらゆる面に根付かせ、真心を持って祖国に尽くし、人を大切にして心を一 つにし、今日に至るまで先祖代々受け継いできた美しい美風を育んで参りましたことは、日本の優れた国柄の賜物であるといわねばなりませんが、私は教育の根 本もまた、ここにあると信じます。 国民の皆さんは、父母を大切に敬い、兄弟姉妹は互いに力を合わせ助け合い、夫婦は心を通わせ支え合い、友人は友情を育み信じ合い、 そして己の身を常に慎み、決して驕り高ぶらず、学問を怠らず、職業に専念し、新しい知識や能力を存分に発揮し、立派な行いができるように心がけ、進んで世 の中の為に貢献し、国民として憲法、法律や秩序を守ることは勿論のこと、非常事態が発生した場合には、正義を心がけ、勇気を奮い、真心を捧げて、一丸と なって国の平和と安全に奉仕しなければなりません。 そして、これらの教えを善良な国民としてよく守ることは、立派な日本国民であるばかりでなく、私達の祖先が今日まで身をもって示し残された伝統的な美風をしっかりと受け継ぎ、これから祖国を担っていく子孫達に正しく伝えていこうと、心に留め生きている証でもあります。 このような国民の歩むべき道は、神話の時代から続く、私達の祖先が残された教訓であって私達子孫が守り遵わねばならない所であると 共に、この教えは昔も今も、将来にわたって変わらぬ正しい道であり、日本だけでなく、世界のどこへ行っても間違いのない人の道でありますから、私もまた国 民の皆さんと共に、祖先の教えを胸に抱いて、徳を積み、人格を高め、謹んで踏み行い、立派な日本人となれるように、心から念願するものであります。 明治二三年十月三十日 ご署名 御印
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