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70年前の太平洋戦争では、20数万の人々の命が失われました。戦跡や資料を通して戦争の悲惨さ、平和の尊さについて考えてみましょう。

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1 70年前の太平洋戦争では、20数万の人々の命が失われました。戦跡や資料を通して戦争の悲惨さ、平和の尊さについて考えてみましょう。
【平和】戦跡や資料を通して戦争の悲惨さ、平和の尊さを学ぶ 70年前の太平洋戦争では、20数万の人々の命が失われました。戦跡や資料を通して戦争の悲惨さ、平和の尊さについて考えてみましょう。 平和について学ぶ 平和 沖縄戦で多くの尊い命を失った沖縄。本島南部には、戦争当時使われた陣地壕や、住民が避難したガマ、慰霊の塔などの戦跡が多く残り、県内外の児童生徒たちの平和学習などに活用されています。 沖縄平和学習の意義と重要性  沖縄本島南部は沖縄戦末期に、日本軍の司令部が移動してきたことから住民を巻き込んだ戦場となりました。  糸満市の摩文仁(まぶに) の岸壁は、追いつめられた人々が自決をしたことから、米軍にスーサイドクリフ(自殺の断崖(だんがい))と呼ばれていました。ここには犠牲となった人たちの慰霊の塔が建っています。戦後摩文仁の丘は「平和祈念公園」として一帯の戦跡とともに沖縄戦跡国定公園となりました。敷地内には「沖縄県平和祈念堂」や、敵、味方の区別なく約24万人の戦没者名が刻まれている「平和の礎(いしじ) 」、「沖縄県平和祈念資料館」があります。沖縄県民の戦争体験を原点とし、人間の尊厳を第一に戦争につながる一切を否定し、平和を求め文化を愛する心が息づいた場所です。 平和の礎 刻銘者数 沖縄県出身 149,329人 県外出身    77,380人 外国人     14,572人 合計      241,281人 (平成26年6月現在) 平和の礎には国籍の区別なく沖縄戦などで亡くなったすべての人の名前が刻まれているんだって。 平和の礎 沖縄にとって特別な日  6月23日は、1945年の沖縄戦のさなかに牛島司令官の自決により司令部が壊滅し、日本軍の組織的戦闘が終わったとされる日です。この日を沖縄では「慰霊の日」と定め、多くの尊い生命を失った歴史事実に鑑(かんが)み、こうした惨禍(さんか) が再び起こることのないよう、全戦没者の冥福と世界の恒久(こうきゅう) 平和を祈念する日としています。毎年、慰霊の日には、平和祈念公園で世界の恒久平和を願う沖縄全戦没者追悼式が開かれ、身内を亡くした沖縄戦犠牲者の遺族やその子孫が慰霊に訪れます。式典中の正午には、戦没者の冥福と恒久平和を願い、黙祷(もくとう) が捧げられます。平和の礎の中心を通るメイン園路は、慰霊の日の日の出の方角に向けて延びており、園路の両サイドに刻銘碑が立ち並んでいます。 黎明之塔(れいめいのとう) 平和の礎

2 【平和】戦跡や資料を通して戦争の悲惨さ、平和の尊さを学ぶ
平和について学ぶ 見る × 学ぶ 戦争がもたらした現実を知り、平和について考えてみよう。 沖縄県平和祈念資料館 ひめゆり平和祈念資料館 対馬丸記念館 那覇 糸満 糸満 住民による数々の証言を中心に、明治から祖国復帰までを解説パネル、映像、写真、実物資料などで展示しています。沖縄戦だけでなく、当時の社会背景や歴史もあわせて体系的に学べたり、小さな子どもが楽しみ学べる施設もあります。 TEL: 看護要員として戦場に動員されたひめゆり学徒隊の概要を展示で伝えています。証言映像や手記などを通してひめゆり学徒の戦争体験を知り、沖縄戦の悲惨さや平和の尊さを学べる場です。 TEL: 太平洋戦争中に米潜水艦ボーフィン号に攻撃され沈没した学童疎開船「対馬丸」の悲劇を伝える施設。資料の展示や、生存者・遺族の証言ビデオの閲覧をすることができます。建物の裏手には犠牲者を弔う「小桜の塔」があります。 TEL: 平和の尊さを伝える「平和ガイド」インタビュー マハエのおはなし 「平和の礎」のこと  私たち沖縄県観光ボランティアガイド友の会では、壕やガマ(洞窟)、戦跡地の案内や、戦争体験者の体験談などの講話を行っています。沖縄戦では、「学徒隊」といって、皆さんと同じ年代の子どもたちが戦争に駆り出されました。男子学徒の中には、命令されるまま戦車に飛び込んで亡くなった人もいて、それはむごく凄惨なものでした。彼らがどういう思いで死んでいったのか。「もっと勉強したかった。大学へも行きたかった」と叫びながら死んでいった生徒もいました。そうした戦争の実態を知ることで、平和の尊さ、命の大事さを実感してほしいのです。命とは、たったひとつの宝物です。それを守りながらこれからの日本を築いていってほしい。地獄のような光景と屈辱の中から、血を吐くような思いをして沖縄は立ち上がってきました。負けてはいけない、くじけてはいけない。チャレンジしていく気持ちを持ち続けてください。  本島南部にある「平和の礎」には、沖縄戦で亡くなった全ての人たち、およそ24万人のお名前が刻まれています。亡くなった人の中には、沖縄以外の46都道府県の方々もいらっしゃいます。もっとも多いのは、北海道の10,803人。そして福岡県(4,029人)、東京都(3,516人)、兵庫県(3,201人)、愛知県(2,974人)と続きます。  戦没者の冥福を祈り、世界の平和を願うために建てられた「平和の礎」。沖縄の歴史と風土の中で培われた「平和の心」を伝える場所に訪れてみてはいかがですか。 沖縄県観光 ボランティアガイド友の会 【地域・平和ガイド一覧】

3 【平和】戦跡や資料を通して戦争の悲惨さ、平和の尊さを学ぶ
触れて 感じて 学べる スポット 糸満市 糸満市 南風原町 宜野湾市 沖縄平和祈念堂 魂魄之塔(こんぱくのとう) 南風原文化(はえばるぶんか)センター 佐喜眞美術館(さきまびじゅつかん) 平和への祈りと戦没者追悼の象徴として建てられた白亜の堂。山田真山画伯が18年余の歳月をかけて原型を制作した沖縄平和祈念像が安置されているほか、日本画壇の巨匠たちから贈られた作品を展示する美術館も併設。 TEL: (管理事務所) 昭和21年2月、住民の手で建てられた沖縄最大の慰霊搭。移住してきた旧真和志村(現那覇市)の金城和信村長らが、散乱する遺骨に胸を痛め、3万5000柱余を祀ったものです。 TEL: (沖縄県遺族連合会) 沖縄戦で激しい戦闘があった南風原の様子や、戦後の住民の暮らしなどを紹介しています。町内から世界各国へ移民が多く渡ったことから、移民に関する資料も展示されています。 TEL: 佐喜眞道夫氏が米軍から返還された先祖の土地に開館。丸木位里・俊夫妻の『沖縄戦の図』をはじめ、「生と死」「苦悩と救済」「戦争と人間」をテーマに約1,000点を収蔵。絵を見た後は、屋上から普天間基地を見ることができます。 TEL: 宜野湾市 嘉手納町 石垣市 伊江村 嘉数高台 道の駅かでな 八重山平和祈念館 ヌチドゥタカラの家 沖縄戦で最初に日米両軍の本格的な戦闘が行われた場所です。16日間の戦闘では、日米双方に大きな被害が出ました。展望台からは、普天間基地が見えます。 TEL: (はごろもパークマネジメント) 極東最大の軍事基地「嘉手納基地」に隣接し、基地を一望できるフロアがあります。レストラン、特産品販売場もあり、ドライブの休憩所としても数多くの人が訪れます。 TEL: 第2次世界大戦中、八重山諸島では日本軍により住民がマラリア有病地帯へ強制避難させられ、3,600人余もの死者が出ました。このような戦争マラリ アの実態を写真やビデオなどで解説しています。 TEL: ヌチドゥタカラとは「命は宝」の意味。戦争中の生活品や遺品、米軍の銃弾など、戦争を記録する反戦平和資料館です。悲しい戦争の体験から平和を願って設立されました。戦争体験講話は事前予約が必要です。 TEL: 一般財団法人 わびあいの里


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