講演内容 1.チッソに社員が何故、患者を支援し、             民衆史をライフワークにしたのか 2.水俣工場の技術と労働

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1 講演内容 1.チッソに社員が何故、患者を支援し、             民衆史をライフワークにしたのか 2.水俣工場の技術と労働 3.初期の患者は漁師とその家族が中心。漁師とは漁村とは。 4.水俣病は組織犯罪。企業は、どういう責任を取ったのか。   また、取りうるのか(福島との関連) 5.記録するという仕事の性格

2 1.チッソに社員が何故、患者を支援し、             民衆史をライフワークにしたのか 1935年2月 東京に生まれる 45年8月 敗戦を長野県松本市で迎える。敗戦後の混乱を眺めた心 に宿ったのは「昨日まで威張っていた上の方は、たった1日で 壊れてしまう」という鮮烈な思い。 53年4月 東大入学。大学は、親社会主義、反資本主義の風潮。 「上の方に行ったって大したことはない、大事なのは下の方だ。 日本という社会の基底を掘り下げていったらどこに行き着くのか。 この目でそれを確かめたい」

3 57年3月 法学部卒業。社会の基底への入口として工場を選ぶことにしていた。
古くからの工場がある会社が唯一の基準だった。 57年4月 新日本窒素肥料株式会社入社。倉庫課(資材課)に配置。 57年頃 組合の青年婦人部の読書サークルに通う。谷川雁(*)に声をかけられ、家に通うようになる。そこで、石牟礼道子、赤崎覚(水俣で最初に患者家族に入る)らと知り合う。 谷川雁* 日本の詩人、評論家、サークル活動家、教育運動家。社会主義的なリアリズムを基調とにした詩人として知られ、評論集「原点が存在する」「工作者宣言」は1960年代の新左翼陣営に思想的な影響を与えた[1]。 出典:ウィキペディア

4 総評(そうひょう)。正式名は日本労働組合総評議会。
かつて存在した日本における労働組合のナショナルセンター。 1989年11月に解散 合化労連。正式名称は、合成化学労働組合連合会 出典:ウィキペディア

5 65年 組合の専従執行委員として工場内を廻ってみる。労働を理解するのは容易でないことを知る(日本の化学工場の労働についての記録は皆無だった)。筆者には化学工学、化学の知識土台がない。工場の計装化の遅れ、安全無視の工場運転に目を見張る。  職場集会で組合員を先生にして必死に教わった。地域集会(夜)に行く。「一から勉強する。水俣大学に入った」と思った。 66年 3年たつと水俣と工場が少しわかってきた。土地勘もついた。日本社会の基底にどこまで迫れるか。深度と射程距離を考えた。日本に名だたる工場町は多いが、工場が来る前の村から来た後の地域社会の変貌を追った記録はない。  工場の発展、技術と労働の変化を労働者の側から調べた記録もない。水俣には朝鮮と天草がある。農民と漁民の問題がある。これらの諸テーマをすべて民衆の聞書で明らかにしたい。

6 68年1月12日 水俣病市民会議結成。59年の見舞金契約以降、地域社会から忘れ去られていた患者の孤絶を破った。日吉フミコ(市会議員)、石牟礼道子(「苦海浄土」)松本勉、ら。
68年8月 組合員と共に水俣病に取組み始める。 8月30日 第1組合、恥宣言を行い水俣病と闘うことを決議、患者支援(筆者は、宣言文を起草)。 *四大公害訴訟の被告企業のなかで被害者を支援した組合は水俣の第1組合だけ 9月 組合の大会決議を持って水俣病市民会議に加入。 のちに、岡本は、訴訟担当責任者になる。 68年9月 政府、水俣病公害認定

7 68年9月組合は、水俣病対策市民会議に加入。岡本は、訴訟担当責任者に。 68年9月 政府、水俣病公害認定
68年9月 政府、水俣病公害認定 10月 患者家庭互助会、死亡者と生存者の補償をチッソに要求。チッソ、交渉を拒否。以後、申請者次第に増加 69年4月 患者家庭互助会、分裂(一任派と訴訟派)。 69年6月 訴訟派が提訴 69年9月7日 水俣病研究会結成、マチ弁主体の熊本弁護団では勝てると思わなかったため、法学者、医学者、自然科学者、市民、裁判班の工場労働者らで研究会をつくり、その研究会が準備書面を書くことを決断。原田正純、石牟礼道子、宇井純、近藤完一らが参加

8 2.水俣工場の技術と労働

9 3.初期の患者は漁師とその家族が中心。漁師とは漁村とは。水俣でどういう地位にあったか

10 船津 漁師部落 湯堂ー漁師部落 月浦ー百姓部落 出月ー新興部落

11 4.水俣病は組織犯罪。企業は、どういう責任を取ったのか。
  また、取りうるのか(福島との関連) 56年5月 水俣病公式確認。チッソは、工場が原因であることを否定し、 何の排水対策もとらず、被害を拡大 59年7月 熊本大学、有機水銀説を発表。チッソは、これに反論。通産省、熊本県と組んで、患者に見舞金契約を押し付ける。 将来工場排水が原因と分かっても、新たな補償金要求は行わないという。 68年9月 政府は水俣病を公害認定。水俣病は工場排水が原因と認める。 旧認定患者(見舞金契約)と新認定患者は補償闘争をチッソに対し行う。 ⇒チッソは、患者団体を分裂させた。

12 東京交渉団 旧認定患者と新認定患者は補償闘争をチッソに対し行う。 ⇒チッソは、患者団体を分裂させた。 チッソに従った患者 8割
チッソに従った患者 8割 チッソと闘った患者 2割 訴訟派(裁判) (旧認定患者) 自主交渉派(直談判) (新認定患者) 東京交渉団 (旧+新)認定患者 73年3月

13 東京交渉団 判決 患者側全面勝訴 交渉団要求 (旧+新)認定患者 73年3月
判決   患者側全面勝訴 1.請求額を100%認め、慰謝料1800万円、1700万円、1600万円の3段階。 2.見舞金契約は公序良俗違反で無効 交渉団要求  1.判決にない年金と医療費、医療手当を払え 2.新認定患者に旧認定患者と同一補償をせよ

14 患者たちの交渉 患者補償協定締結 水俣病市民会議 告発する会 チッソ第1労働組合 73年4月
1.協定締結には、社会党馬場昇衆議院銀と三木武夫環境庁長官が   患者側に立ち尽力。 2.初めて患者とチッソとの対等な交渉が実現 患者たちの交渉 支えた 水俣病市民会議 告発する会 チッソ第1労働組合

15 犯罪 償い(私法領域)   目には目を、   歯には歯を     (ハムラビ法典)   金銭補償原則     (ローマ法) あがない(公法領域)   刑事訴訟で量刑

16 73年3月22日朝、チッソ本社のある東京ビル前は人また人で埋め尽くされた。
 告発する会の会員数百人、大勢の報道陣、警官隊。   東京交渉団の一行が割って入るようにビル内に入った。 3月25日、26日(交渉4日目、5日目)  午後1時より。患者家族が一人ずつ長年の苦しみを島田社長に訴えた。 坂本トキノ 「あなたの長女を私に売ってください。水銀飲ませてぐたぐた にして、あんたに看病させますから。、、、、、」 浜元フミヨ 「補償金は一銭も要らん。私は看病と家族の生活を支えるため 嫁に行けなかった。、、、社長の2号にでも3号にでもなります、、、」 

17 彼ら(チッソ幹部)は、利潤追求を最優先し、
自分のやっていることが何を引き起こしているか 見ようとせず、善悪を識別する能力を失っていた。 組織の中での立身出世に一生懸命、 ひたすら会社のためにで、自分たちが 犯罪を犯しているという意識はなかった。

18 大きな犯罪は必ず組織犯罪として起こる。 組織犯罪は、極悪人でも何でもない、 ただの会社人間によって引き起こされる。  

19 結論。 公害企業は私法上も公法上も犯罪に見合う責任をとることはない。とることもできない。 公害は起こしたが最後お仕舞いで、事前に
 公害企業は私法上も公法上も犯罪に見合う責任をとることはない。とることもできない。  公害は起こしたが最後お仕舞いで、事前に 防止するしかない。  チッソの水俣病は、東電の原発事故で再現された。  現在の社会、技術、法体系は繰り返し引き起こされる公害に対応出来なくなっている。  ではどうするかという根本問題が私たちに突きつけられている。

20 5.記録とは何か 聞書き主体。話は全てテープにとった。それをすべて文字に起こす。 記録には、その土地に両足をかけ異邦人の目を持ったよそ者が
 聞書き主体。話は全てテープにとった。それをすべて文字に起こす。  記録には、その土地に両足をかけ異邦人の目を持ったよそ者が 必要。  土地の人は主観化そのものだが、客観化が出来ない。  よその人は客観化そのものだが、主観化が出来ない。  良い聞書きは、土地の人が読んで発見性があり、その土地の ことは何も知らないよその人が読んで面白い。主観性と客観性を 同時に実現できている。

21  民衆と生活を共にし、民衆自らの語りで 構成しなければ本当の民衆史とは 言えないのではないか。  こういう民衆史を書くのは、 一つの土地と一人の人間の一生との刺し違えになる。


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