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第23回身心変容技法研究会+こころ観研究会 「湯浅泰雄の修行論と身体技法論」
発表者:桑野萌 Universitat Ramon LLull
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「身体」のスペイン語訳をめぐって 「身体」=cuerpoか?
「身体」:cuerpo, corporeidad 「こころ、精神、魂」:espíritu, mente, alma “cuerpo y alma” (身体とこころ) という表現 心身二元論の表れ
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ペドロ・ライン=エントラルゴ(1908~2001) 心身二元論と唯物的一元論という2つの極論に対して、第3のあり方を提示。
cuerpo y alma”という表現自体すでに心身二元論の表れ 西洋思想史においては日常的に「身体」と「精神」のそれぞれの概念を分けて考え、この2つの概念をどのように結合するかを思索する。この課題をどう克服するか? 心身二元論と唯物的一元論という2つの極論に対して、第3のあり方を提示。
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“Los actos corporales y los actos psíquicos no difieren en cuanto a su realidad, sino en tanto que observables con métodos diferentes” 「身体の働きと精神の働きはその実在において違いはない。ただ、別々の方法で観察可能である。」 “Un acto corporal, la digestión, no es exclusivamente corporal, sinopreponderantemente corporal... Un acto psíquico no es exclusivamente un acto psíquico, sino preponderantemente psíquico... El problema consistitirá en dar razón de la radical unidad de esos dos órdenes de actos y de su relativa diversidad” 「身体の働き、単なる消化機能は身体的機能でなく、身体機能が支配的であるという方が適切である。精神の働きは、単なる精神的機能でなく、精神的機能が支配的であるという方が適切である。問題はこの2つの働きの性質の根本的な一体性と相対的な違いについての根拠付けにある」 Alma, cuerpo, persona, ed. Círculo de lectores, Barcelona(1995)p.175
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“mi cuerpo y yo” “mi cuerpo” 「わたしの所有物としての身体」という意味が含まれている。
「わたしの体とわたし」ではなく “mi cuerpo: yo” 「わたし自身である身体」の方が適切な表現ではないか。 P. Laín Entralgo, Cuerpo y alma, Madrid, Espasa Calpe(1997)p.313. 心身二元論でもない唯物的一元論でもない第3のあり方 創発的一元論(monismo emergentista)
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ホアン・マシア 「体」と「こころ」というそれぞれの概念をどのようにむすびつけるのかではなくて、「主体になりつつある身体」を提唱。
①外界から科学的に観察される身体 el cuerpo científicamente observado desde fuera 「わたしは身体を所有している」“yo tengo un cuerpo” ②内側から現象学的にみる活きた身体 「わたしは身体である」“yo soy mi cuerpo” J. Masiá, El animal vulnerable, U. P. Comillas, Madrid,(1997) pp
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拙論:「身体とは、わたしであるところの身体 (el ser propio cuerpo)である。そのために本論では、身体をcuerpo, corporalidadと訳すよりも心身の一体性(la unidad corporeo espiritual)を強調したい。私がここで述べているのはからだ・精神・霊的な側面を伴う「身体」について述べているのである。 El cuerpo en japonés se escribe 身体 (=shin-tai) que indica el ser propio cuerpo . Por ello, en esta tesis, preferimos designarla como “unidad corpóreo espiritual”, más que decir solamente el cuerpo o la corporalidad. Es decir, estamos tratando sobre un cuerpo que conlleva inseparablemente las dimensiones física, psíquica y espiritual. (El 気(=KI) en la filosofía de Yasuo Yuasa,p.199)
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湯浅泰雄における心身二元論克服の道 日常的な体験の中での体と心の異なる現象を認めつつも、その両義性を、修行という実践的な問いを通して克服しようとする立場をとる。 例)心身一如:「心と身体において見出される二元的で両義的な関係が解消し、両義性が克服され、そこから意識にとって新しい展望―ひらかれた地平ともいえるようなーがみえてくること」
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なぜ「気」を研究するのか 「気」の作用は、心身の両義性を克服するための鍵 東洋の伝統における世界観や人間観を理解するためのキーコンセプト
気の研究は、宗教・哲学・心理学・医学・物理的科学の枠を超えた総合的学問構築の足がかりになるのではないか
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湯浅泰雄による身体図式 ‐身体における気の位置‐
1)外界感覚運動回路 運動感覚回路(kinesthesis) ベルグソン、メルロポンティーなどの哲学者が注目 2)全身内部感覚回路 (coenesthesis) 内臓感覚神経(somesthesis) 3)情動本能回路 4)無意識的準身体(経絡系)
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気の考え方に照らされた人間観 近代的二分法: 物理⇒生命現象⇒心 気の考え方: 心理⇒生理⇒物理 「こころ」⇒「からだ」⇒「もの」
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身体における「気」のはたらきと修行 1)科学的、医学的次元 気のエネルギーがどのように身体を流れ、また身体にどのような変化をもたらすか? 2)人間学的、倫理的次元 どのように自己の魂を導くか? 3)霊的次元 人間の本性とは何か?
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修行における「倫理的実践」と「形而上学」の不可分性
「倫理的実践」: 瞑想体験を通した、人格形成や人徳の修養 「形而上学」の中心的問題: 「自己の魂をどのように導くか」という修行を通した実践的課題。 Cf. 湯浅泰雄『身体論』湯浅泰雄全集第14巻pp.196‐199参照
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「東洋の伝統的科学は物質についてのテクノロジーでなくて人体〈心と身体〉の〈わざ〉としてのテクノロジー〈アート?〉を中心に発達してきたともいえるだろう。したがって哲学は、メタ物理学(フィジック)ではなくて、メタ・人間学なのである。メタ・人間学とは人間が真に人間として生きていくための道を求める実践的な体験から生まれた知である。」 湯浅泰雄『気とは何か』日本放送出版協会(1991)p.45
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