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フランス革命のさなかに生きた音楽家ーハイドン・ モーツアルト・ベートーベン(音楽付きYouTube) 二松五男 動機

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1 フランス革命のさなかに生きた音楽家ーハイドン・ モーツアルト・ベートーベン(音楽付きYouTube) 二松五男 動機
パソコン研究会20100218 フランス革命のさなかに生きた音楽家ーハイドン・ モーツアルト・ベートーベン(音楽付きYouTube)               二松五男 動機 小生本当は文学部西洋史学科に行きたかった 音楽をやってるーピアノ(since D2)            &尺八(57の手習い) 昨年のインスブルクでの国際会議での友人の メイルに添付された 講義録:「オーストリアの物理学者」 エドワード・テラーはオーストリアの物理学者 ー>オーストリア・ハンガリー帝国 Leo Szilard (Hungary [then Austria-Hungary]) J. L. von Neumann (Hungary [then Austria-Hungary]) Edwar Teller (Hungary [then Austria-Hungary])

2 フランス革命*とは何だったか? 1789 フランス革命(第1共和制) 1804 ナポレオン1世皇帝となる(第1帝制) *
フランス革命(第1共和制) 人権宣言フランス革命は、共和制を打ち出し、理想的な 政治形態を打ち立てたものであったが、王制を支持する 一派(王党派)も存在し,再び旧制度への復帰を標榜する に至った、共和制を担う総裁政府が、これに対抗する為に 軍隊に救いを求めたことが、ナポレオンの出現を産むこと になる。 1804  ナポレオン1世皇帝となる(第1帝制) バスチューユへ、バスチューユへ(今では漫画ショップが建ち並ぶ街) * 資本論のマルクスもフランス革命には大きな関心を寄せたという

3 フランス革命のさなかに生きた3人の音楽家 フランス革命 (1789年) 寛政元年 明治維新 (1868年) 明治元年 ↓ ↓
ハイドン(57歳) モーツアルト(33歳) ベートーベン(19歳) フランス革命 (1789年) 寛政元年 明治維新 (1868年) 明治元年

4 フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph
Haydn, 1732年3月31日 ー1809年5月31日 享保17年 文化6年 1761年、西部ハンガリー有数の大貴族、 エステルハージ家の副楽長という仕事を得た。 ここで作曲やオーケストラの運営、室内楽の 演奏、オペラ作品の上演などの責任者となった。 1760年、初妻のマリア・アンナ・ケラー(Maria Anna Keller)と結婚した。これは彼の楽長とし ての地位を保持することにもなった。ただこの 結婚は長く続かず、子供も作らなかった。彼 は30年近くもの間エステルハージ家で働き、 数多くの作品を作曲した。1781年頃、ハイドン はモーツァルトと親しくなった。ハイドンと モーツァルトは弦楽四重奏を一緒に演奏 するなどして交流を深めた。モーツァルト はハイドンの最新の作品番号33番の弦楽四重 奏曲「ロシア四重奏曲」(37番~42番)に応え て、6つの弦楽四重奏曲(ハイドン・セット)を作 曲した。モーツァルトはこの作品をハイドンに 献呈している。また後には、モーツァルトの遺児 (カール・トーマス・モーツァルト)の進学 (音楽留学)の世話をしている。

5 フランス革命に無関心ではなかっが、 共和主義に投じる事もなかった ハイドンのセレナーデ:

6 ハプスブルグ家とモーツアルト ー モーツアルトの政治的側面
 ー モーツアルトの政治的側面 Wolfgang Amadeus Morzart (1756~1791, 35歳で没) 宝暦6年-寛政3年 モーツアルトの父レオポルドはハプスブルグ家のヨゼフIIと王妃マリア・テレジアの保護を受けた。モーツアルトには宮廷音楽家の地位を与えた(サリエリは宮廷音楽長)。ヨゼフIIは革新的な考えをもった啓蒙君主だった。 シェーンブルグ宮殿に招かれて演奏した幼いモーツアルトは娘マリー・アントワネットに「僕のお嫁さんにしてあげる」と言った。 モーツアルトはフリーメソンの会員だった。フリーメソンは当時のヨーロッパの合理主義の団体で、宗教や君主制には批判的だった。 モーツアルトが手がけた「フィガロの結婚」には大きな政治的意味があった。  あらすじ:伯爵が美しい腰元スザンヌを誘惑し、一度手にした初夜権(領主が領民の花嫁と新郎より先に初夜を共に出来る権利、ヨゼフIIはこれを廃止した)を放棄した事を悔やむが、下僕フィガロはあらゆる知恵を絞って伯爵の野望を退治してスザンヌと結婚する このオペラは長年の専制政治から開放される庶民の代弁だった。アンシャンレジューム(旧制度)を守る,貴族,不正な権力と政治から逃れる人権思想を擁護した。ー>フランス革命の近因となった。 このオペラは1786年ウイーンで初演されたが、これはマリー・アントワネットが斡旋したものだった。アントワネットはこの劇の本質に気がつかなかったのである。彼女はこの人権思想によって,市民の手によって断頭台の露と消える事になる。

7 ナポレオンによる **「鷲の城」の意味 神聖ローマ帝国 の皇帝となる モーツアルト 1756~ フランスのブル ボン王朝に嫁ぐ
*Österreich   (東の国) **「鷲の城」の意味 神聖ローマ帝国 の皇帝となる ハプスブルグ**家 ルドルフ I(1273~) マクシミリアン I* (1493~) 最後の騎士 オーストリア・ ハプスブルグ家 フェルデイナンド I (1556~) カール6世(息子無し) スペイン・ ハプスブルグ家 カール V (1519~) マリア ・テレジア (1740~) マリー ・アントワネット     (兄妹16人) フランツ I (1745~) モーツアルト 1756~ フランスのブル ボン王朝に嫁ぐ フランツ I(1804~) オーストリア帝国 神聖ローマ帝国 消滅(1806) フランツ・ヨゼフ I (最後の皇帝 1848~1916) ナポレオンによる 1861 ドイツ帝国       (ウイヘルム I) 1914~1918      第1次世界大戦  ドイツ降伏  ドイツ共和国     (ワイマール憲法) *ウイーン少年合唱団 を創る.初めは6人.変 声期の少年を宮廷音楽 隊とした。少年ハイドン やシューベルトもこの団 員だったという。 オーストリア・ ハンガリー帝国 (1867~1918) オーストリア共和国 ‘1918~)

8 シェーンブルグ宮殿に招かれたモーツアルトと父レオポルド。中央の女性が
マリア・テレジア。彼女が抱えている少女がマリー・アントワネットだろう

9 モーツアルトの最後のオペラ「魔笛」は、宮廷劇場と違って一般市民を対象としており、魔笛の各所には聴衆を楽しませるスペクタキュラーな仕掛が登場する。物語は王子によるお姫様の救出劇の形で始まる。途中で善玉と悪玉が入れ替わるという奇妙な捻りがある。フリーメイソンのシンボルやに基づく歌詞や設定 が用いられている。序曲の最初や中間部の和音は、フリーメイソンの儀式で使われるもの。当時皇帝から圧迫を受けつつあったメーソンの宣伝と見る向きもある。 アイネ・クライネ・ナハト・ムジークの第2楽章K525:

10 ハプスブルグ家とベートーベン ー ベートーベンの政治的側面 Ludwig van Beethoven (1770~1827, 57歳で没)
 ー ベートーベンの政治的側面 Ludwig van Beethoven (1770~1827, 57歳で没) 明和7年-文政10年 ベートーベンは ハプスブルグ家のヨゼフIIに16歳の時謁見したが、ヨゼフIIの死後、オーストリアは反動的な治世となっていた。フランスは革命後はナポレオンの時代で,共和主義者ベートーベンはハプスブルグ家の庇護は受けられなかった。ベートーベンは若きジャコバン党員(左翼)だったからである。 ベートーベンは ヨゼフIIが亡くなった時に「皇帝ヨゼフ2世葬送カンタータ」を作曲している。啓蒙主義者ヨゼフIIを尊敬していたのである。 ベートーベンは 共和的思想(反君主的)思想を抱いてウイーンにやってきた。しかし、反共和主義のウイーン政府は共和主義者を追求した。ベートーベンは自分の思想を隠して、警察から逃れるために引っ越しを繰り返した。 ベートーベンが手がけた作品にも大きな政治的意味があった。それをベートーベン唯一のオペラ「フィデリオー夫婦の愛」に見てみよう  あらすじ:政治犯として牢獄にとらえられた夫フロレスタンを救うために妻レオノーレがフィデリオと名前を変え,男装して牢獄で働く。監獄長ピツアロがフロレスタンを殺そうとする中,フィデリオは隠し持って居た拳銃を放って夫を救い出す。フロレスタン夫妻は抱擁する。 このオペラは妻が夫を救い出すだけの話ではなく、レオノーレが「たとえあなたが誰であっても私はあなたを救い出します」と謳っているように、長年の専制政治から開放される政治犯釈放を謳っている。これはフランス革命の思想と合致する。 ベートーベンは共和主義の原理を理解していた。ベートーベンは圧政の開放者をエグモントで、第九交響曲で人類愛を、表現しようとした。

11 歌劇フィデリオのワンシーン:政治犯の夫フロレンスを刺そうとする監獄長ピツアロを制する男装の妻のフィデリオ(レオノーレ)
ベートーベンは清く正しく生きた。耳が聞こえなくなったベートーベン はウイーン郊外のハイリゲンシュタットに引きこもり,此処で遺書を書いた「徳だけが人間を幸福にする。金ではない」。あまり関係ないが上はハイリゲンシュタットを散策する二松五男(1977年撮影)

12 エグモント:ゲーテの 1787年の同名の戯 曲のための劇付随 音楽。 レオノーレ序曲:
作品中でベートーヴェンは、自らの政治的関心を表明している。圧 政に対して力強く叛旗を翻したことにより、死刑に処せられた男エグ モント*の自己犠牲と、その英雄的な高揚についてである。初演後、 この楽曲には称賛の評価がついて回った。ゲーテ本人もベートー ヴェンは「明らかな天才」であると述べた。 *オランダがスペインから独立する時に反抗した将軍 英雄(エロイカ): 当初ベートーベンはナポレオンを尊敬して、フランス革命を継続する共和主義者とみていたが、皇帝になった途端、落胆して「ボナパルトへ」の献辞の言葉すら付けないで「英雄」とだけにした ベートーベンは一生独身だっただけでなく1度も女性と交わらなかったという。「彼は余りに高い勘定を持っていたので愛を羞恥心なしに、・・・あの獣的なまじわりにまで引き下げられなかった、彼は卑猥な会話には身震いをした」(ロマン.ローラン全集) レオノーレ序曲:


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