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Published byKlaas Lenaerts Modified 約 5 年前
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Evolution of Policy Communications with “Simulation Code”
井庭 崇 慶應義塾大学 政策・メディア研究科後期博士課程 日本学術振興会特別研究員 フジタ未来経営研究所リサーチアソシエイト Boxed Economy Project: Research Producer Iba Takashi by シミュレーション・コードとは、人工社会シミュレーションにおける部分モデルをコンポーネントとして切り分け、それらを組み合わせることで多様な社会表現を可能にするものである。 これらのコンポーネントがシミュレーション・コードにおける単語の役割を担い、その組み合わせ方に関する文法や、既存の文書テンプレート(フレームワーク)などがセットとなり、シミュレーション・コードの体系が形作られる。 シミュレーション・コードにおける注目すべき特徴は、それが「記述レベル」と「表現レベル」という二層構造になっているという点である。 記述レベルにおいては、数式やアルゴリズム(手続き)がコンピュータプログラムとして実装されており、論理的な記述が可能である。一方、表現レベルにおいては、シミュレーションを実行することによってモデルの振る舞いが観察され、感覚的な理解が可能である。人間の認識では、記述レベルが「論理知」、表現レベルが「感覚知」に対応する。 このようなシミュレーション・コードによって初めて、社会認識を記述レベルと表現レベルの両方において操作・理解することが可能となるのである。それゆえ政策提言の際も政策とその予測結果だけではなく、具体的に変化する社会モデルそのものをシミュレーション・コードで配布することができる。 政策分析・政策科学のような学際的な研究は、その受け皿がないために発散してしまうことがしばしばある。さらに「コミュニケーションが決定的に重要である」といわれているにもかかわらず、言葉遣いや専門用語が障害となりコミュニケーションがスムーズに進まないという問題もある。 「社会現象は一つの統一的現象である。その大きな流れから経済的事実をむりやりにとり出すのは、研究者の秩序を立てる腕である。われわれがある事実を経済的と名づけることはすでに一つの抽象であって、それは現実を思考の上に再現する技術的必要からやむをえずおこなわれる数多くの抽象の最初のものである。どんな事実もその底の底まで完全に または「純粋に」経済的なものではない。それにはつねに他の――しかもしばしばいっそう重要な――側面がともなっている。それにもかかわらず、われわれは科学において、日常生活におけると同じようにまたそれと同等の権利をもって、経済的事実について語るのである。」( シュムペーター,『経済発展の理論』,岩波文庫,1977 ) 複雑でダイナミックな「社会」を、 どうやって語ればいいのだろう? 社会記述言語への道。 コード・・・・・・記号の集合を、別の記号によって解読するための体系。コミュニケーションが成功するためには、前もってコードが規定されている必要がある。 「矛盾するリアリティを仮想的に共存させる機能は、特に人間集団相互の協力の方法を改善するという点で、おそらくはヴァーチャルが持つ最も興味深い属性の一つだと言えるだろう。ヴァーチャル世界の助けを借りて、私たちはさまざまな視点とその多様性を象徴的に客観化できるようになり、隠喩だけでなく「実際に」、「他者の立場になって考える」ための直観的な手段が与えられるのだ。」(フィリップ・ケオー, 『ヴァーチャルという思想』, NTT出版, 1997) 「イメージによって、理解可能なモデルを感覚的に知覚することが可能になる。モデルとは形式的な概念であり、論理数学的な記号を用いて記され、コンピュータ・プログラムの形で記憶される。イメージは感覚的な表象だが、人はそれを通じてモデルを理解しようと試みる。このように、表象には二元性があることになる。イメージは目に見える表象を提示し、モデルは理解可能な表象を提示する。・・・・・・ヴァーチャル世界の媒介作用により、私たちは理論的なモデルを身体的に知覚でき、また、身体的な感覚を形式的に理解できる。」( フィリップ・ケオー, 『ヴァーチャルという思想』, NTT出版, 1997 ) 「ヴィジョンは直観的洞察であるといわれる。またヴィジョンを描くということは、理論を構築するに先立って、問題像を設定することであるといわれる。ヴィジョンがヴィジョンとして個人の頭脳の外に表出しない限り、理論的定式化はその個人の頭脳の中で閉ざされた営みによらざるをえない。しかし、ヴィジョンが人々の間で共有されるならば、ヴィジョンの理論への定式化は人々の共同事業となる。洞察が暗黙知にとどまるのでなく、人々の間で洞察の共有を可能にするものがレトリックである。」(塩野谷祐一, 『シュンペーターの経済観:レトリックの経済学』, 岩波書店, 1998 ) 「西洋のコード化された世界(…)がほぼ三千五百年前に始まって以来、そこではアルファベットのコードが、<歴史>と呼ばれる主要情報の<公式の>搬送者であった。われわれは、主としてアルファベットのコードのカテゴリーによって世界を体験し、認識し、評価する。われわれの科学や政治や芸術や哲学は、われわれがアルファベットのカテゴリーによって認識し、評価し、体験するやり方なのである。」( ヴィレム・フルッサー, 『テクノコードの誕生:コミュニケーション学序説』, 東京大学出版会, 1997 ) 「状況の画像を描かずに事物に状態が判るなら、画像を描く必要はないであろう。イマジネーションとは、直接認識できなくなった世界と認識したいと欲する人間との間の断絶を、画像によって架橋し、媒介する能力・・・・・・画像を描くのは既知の状況を模写する(写し取る)ためではなく、逆に、未知の状況を思い描けるようにするため」(ヴィレム・フルッサー, 『テクノコードの誕生:コミュニケーション学序説』, 東京大学出版会, 1997) 「「講義などを通して、探求の成果をうまく伝達できないことがある。………社会科学では、話しの前提とされる社会のイメージが欠如しているが故に、概念の体系が内実を伴わない「言葉の遊び」と感じ取られてしまう。「分らない」のではなくて「空しい」というのが、事態の真相であることも多い。社会学の講義では、概念体系を教え込むよりは、社会のイメージを喚起することのほうがずっと難しい。それゆえに、想像力の必要性が自然科学よりも切実に意識される。」( 厚東洋輔, 『社会認識と創造力』, ハーベスト社, 1991) 「『社会』というのは一つの『世界』であり、したがって社会を認識するとは『世界を作り出すこと』world-makingに等しい。・・・・・・社会認識とは、言葉によって社会を作り上げることである。・・・・・・世界は全く新しく創造されるのではなく、つねに作り替えによって作り上げられる。world-makingとはつねに、re-makingを意味するのである。」(厚東洋輔, 『社会認識と創造力』, ハーベスト社, 1991) 「シミュレーション・コード」の誕生 現実社会という対象はどのディシプリンにおいても共通する対象であるため、その人工的なミニチュアを作成できるシミュレーション・コードが、学際的研究における円滑なコミュニケーションを支援する一つのコトバとなることが期待できる。 また、理論以前に存在する直観的認識(ビジョン)を共有するために、内部化されている暗黙的知識を可搬的知識へ変換する表現手段として、シミュレーション・コードを位置付けることもできるだろう。 考えるために書く。 伝えるために書く。 文字や数式といった従来のコミュニケーション・コードは、社会を記述し、伝達するのに本当に適しているのだろうか。はたしてオルタナティブはないのだろうか。 シミュレーション・コードの二層構造 政策コミュニケーションの進化 「バーチャルな形での現実はわれわれを現実から解放するのではなく、われわれ自身が現実を回復するのを助けてくれる」( ベンジャミン・ウーリー, 『バーチャルワールド』, インプレス, 1993 ) Evolution of Policy Communications with “Simulation Code” Designed by Takashi Iba シミュレーション・コードによる
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