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作者:グイノ・ジェラール神父 音楽:Meditation Thaïs 作曲者:Jules Massenet クリックをして下さい

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1 作者:グイノ・ジェラール神父 音楽:Meditation Thaïs 作曲者:Jules Massenet クリックをして下さい
聖骸布 作者:グイノ・ジェラール神父 音楽:Meditation Thaïs 作曲者:Jules Massenet   クリックをして下さい

2   聖骸布を注意深く見てみよう。 二つの平行線の間、一人の男の正面と背面の姿が見えてくる。顔と後頭部が向かい合っている状態である。布の真ん中あたりから、顔、髪の毛、目、口、髭、肩、胸、手、足が見える。反対側の半分には、後頭部から足までが見える。しかし、姿には輪郭がなく、奇妙なものである。色は薄茶色で、コントラストが弱い。身長はおよそ 180~183 センチで あるが、正面は裏面よりもいくらか長くなっている。火災によって人物の肩と腕が失われたが、姿はほとんど無傷である。

3 聖骸布の年表   紀元後33年 キリストは十字架上にかけられた。その遺体は「亜麻布」に包まれたが、聖書の話では三日後キリストが復活し、「亜麻布」は墓に残った、と書かれている。      544 年トルコのエデッサ(Edesse )現在のサンリ・ウルファ に「マンディリオン」と呼ばれる キリストの顔を 表す布が保存されていた記録がある。       「手描き でない・アケイロポイエトス」と呼ばれていて、イコンで見るキリストの顔の原形となっている。

4 この聖骸布は 1世紀の終わりに、 エデッセの王であった アブガル(Abgar) に与えられたと カエサレア のエウセビオス司教 (Eusèbe de Césarée) は証ししている。 アブガル王、 マンディリオンを受ける (イコン5世紀)

5 944 年8月9日にエデッサの「マンディリオン」がコンスタンチノープルに移される。その後、キリストの身体全体が映っている「墓の亜麻布」の話が始まり、美術作品の中にも聖骸布のように墓の中に横たわるキリストの全身が描かれるようになった。

6 1204 年、 第4十字軍の時、コンスタンチノポリで「キリ ストの姿が立ったままに見える『シンドン・亜麻布』が毎週金曜日に展示されていたが、町が陥落した時行方不明になった」という記録がある。  1353 年、 フランスのリレ(Lirey) という町で、ジョフロア・ド・シ ャルニーは現在の「聖骸布」を展示した。しかし、布の出所を明かにしなかった。 (リレの町の巡礼の記念メダル)

7 1453年 聖骸布はサヴォイ家(Savoie)のものとなり、 フランスのシャンベリー(Chambéry)に移された。1506年 ユリウス二世教皇は聖骸布の祝いを定め、 そのミサの典礼文を承認した。 1532 年12月4日の夜、シャンベリーの聖堂で火災が 発生し、聖骸布の一部が焼けた。 1534年 4月15日~5月2日、クララ会のシスター たちによって聖骸布が繕い直され、現在見られる継ぎ当てと裏打ちの布が付けられた。その後も火災の焼け跡が目立つ。               15世紀 1

8 1578年、 聖骸布はイタリアのトリノに移された。  1694年、 聖骸布は新しいチャペルに移された。  1898年 セコンド・ピア氏が聖骸布の最初の写 真を撮影し、姿がネガであることが明らかになった。この時から、この謎を解くために科 学的研究が始まった。  1931年 一般公開が行われ、エンリエ氏は鮮明な 白黒写真を撮影した。

9 トリノのヨハネ大聖堂に保管されている聖骸布は、長さ約4. 415m、幅約1. 137m、厚さ0
トリノのヨハネ大聖堂に保管されている聖骸布は、長さ約4.415m、幅約1.137m、厚さ0.3mmの大きな一枚の布で、亜麻またはリネンと呼ばれる素材を杉綾織(ヘリンポーン)という高度な技術で織り上げられている。麻と混同されがちであるが、全く異なるとても柔らかい上質の布である。

10  聖骸布の繊維が「亜麻」であり、その中に綿の細かい繊維も含まれていることが確かめられた。これらは中近東で栽培されているものであることも確認されている。

11   1973年の生中継に際して、スイスの警察犯罪科学班のマクス・フライ氏が、聖骸布の上からほこりを採取し、それを分析した結果、1976年48種類ほどの花粉を確認した、と発表した。その中の13種類は、パレスチナの死海周辺にしか群生していない植物である、と言う。これによって、この布がイエスの国から来た可能性が濃厚になったと言える。

12 1979年、 聖骸布の 人物の頭の 近くに 肉眼では 見えない 文字が 見つかった。

13  これらの文字は キリストの生きていた当時、使われていたアラム語やギリシャ語、ラテン語で、処刑が行われたことを示す文字やキリストの呼び名だった「ナザレのイエス」の文字である。  ラテン語「IN NECEM・死刑宣告」、「NR」INRIから (Jesus Nazarenus Rex Judaeorum)ナザレのイエスユダヤ人の王」、「IC・イエス・キリスト」。ギリシャ語「IC」はIHEOYCの初めと最後の字であり、いつもキリストのイコンに書かれている。更にギリシャ語「ΗΣΟΥ・イエス」、「ΡΕΖΩ・いけにえを捧げる」、「Ψ, Σ, K I A・見にくい顔」、「ΝΑΖΑΡΕΝΟΣ・ナザレ人」

14  聖骸布の人物のそれぞれの目にポンシオ・ピラトの一枚の硬貨が置かれていた。ユダヤの総督であったピラトは紀元後29年と31年の期間だけで硬貨を鋳造したことが知られている。しかし考古学者たちがこの硬貨を初めて発見したのは20世紀だった。(占星術師の杖はピラトの紋章である)                     右の目        左の目                                                               

15 聖骸布の使い方と聖骸布の中に置かれた遺体の姿勢

16   聖骸布に映った人物の特徴: 身長およそ180cm 血液型はAB 額に滴る血、折れた鼻、腫れた頬 後頭部には、いく節もの流血が 手首には大きな傷の穴 ふくらはぎまで痛々しい傷 無惨な脇腹の出血 背中には無数の傷と痣     一体この人物は イエス・キリストであろうか?

17 聖骸布の人物は キリストのように茨の冠を被され、 彼の顔を打たれた
聖骸布の人物は キリストのように茨の冠を被され、 彼の顔を打たれた 1-転倒による青いアザ 2,3,4,5頬や唇やあごのはれもの  6-茨で流された血 7-殴打による眉の傷 8-殴打による変形した鼻の軟骨が

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19 聖骸布の人物はキリストのように鞭打たれた

20   ユダヤ教によれば、鞭打つ数は「40に一つ足りない」(2コリント11,24)に限定された。ただ、聖骸布の人物をみると120ほどの鞭打ちの痕が数えられる。これはユダヤ人以外の人から打たれた証拠である。   先端に金属がついたローマ時代に使われた鞭。              (flagrum フラグルム )

21 布の人物の背中を見ると2連3連になった金属跡がついている。両側から鞭打たれたものと考えられる。

22 聖骸布の人物はキリストのように十字架を背負った
   聖骸布の人物はキリストのように十字架を背負った

23 聖骸布の人物はキリストのように釘で 十字架に打ちつけられた 古代ローマの釘
聖骸布の人物はキリストのように釘で 十字架に打ちつけられた   古代ローマの釘

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25 聖骸布の人物はキリストのように脚を折られなかった

26 聖骸布の人物はキリストのように脇腹を刺された

27 槍が刺さったのは、脇腹の第5と第6の肋骨の間である。死後に刺されたので、透明な血清も混ざっている。ヨハネの福音書にも「すぐ血と水が流れ出た」と書かれている(ヨハネ19,34)。

28 聖骸布の 人物の 手と腕の 血の流れ によれば 彼は この姿勢で 十字架上で 亡くなられた。

29           聖骸布とヴェロニカの布   マノペッロ(Manopello)は イタリアのアペニン山脈中に ある人口5,600人の小さな町。 町のはずれにある巡礼聖堂は、 キリストの顔を人為的ではない 形で映し出したものと言い 伝えられる 「聖なる御顔のベール」 で知られる。 学者たちは このヴェロニカのベールと トリノの聖骸布を比べ合わせた。 両方の布は一致している。

30 聖骸布とヴェロニカのベールの比較

31 聖骸布         組み合わせ    ヴェロニカのベール

32                 聖骸布とオビエドの聖顔布   スペイン北部のオビエド(Oviedo)に「イエス・キリストの聖顔布」が保存されている。キリストが十字架磔刑後、墓に葬られた時に、その当時の習慣で、亜麻布で顔を覆い、更に、その上に身体全体を覆う亜麻布が巻かれた時のものだと言われている。その布片を炭素年代測定法で調査した結果、西暦1世紀前後のもので、その布片の血痕は、AB型の人間のものだということが明らかになった。そして、更なる調査の結果、その布片についていた血痕とトリノの聖骸布についていた血は、同一人物のものであることがわかった。     血染めの布    84cm×53cm

33 ヴェロニカのベールとオビエドの聖顔布の比較

34 オビエドの聖顔 組み合わせ 布ヴェロニカのベール
オビエドの聖顔    組み合わせ  布ヴェロニカのベール

35                アルジャントゥイユ(Argenteuil)の長衣 フランスのアルジャントゥイユの長衣とは、イエスが十字架にかかった時、刑吏たちがイエスの衣服をくじ引きにしたものである。その後この長衣はコンスタンチノープルのイレネ女帝からカール大帝へと渡った。この長衣は1156年にアルジャントゥイユで発見され、次々とフランスの王たちに受け継がれた。現在この長衣の損傷がとても激しくなっている、その理由は、フランス革命の時に、この長衣を守る為に、誰かがそれを細分して信頼のできる人々に部分を分配した。のちに長衣の元の姿を取り戻そうとしたがいくつかの部分が足りなかった。革命の犠牲者と共にその部分が失われたからである。現代の科学者がトリノの聖骸布と重ねたところ70か所の血痕が一致した。聖骸布と同ように長衣の血痕はAB型の人間の血だということが明らかになった。

36 現代のアルジャントゥイユの長衣

37 聖骸布とアルジャントゥイユの長衣の比較 長衣 組み合わせ 聖骸布
聖骸布とアルジャントゥイユの長衣の比較   長衣          組み合わせ        聖骸布

38 さて、聖骸布はイエス・キリストのものかどうかの判断は あなたの自由に任せましょう。 下: 聖骸布による3Dの人の顔

39 おわり


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