母親と言うものはないのだろう か? 東京国際大学妙木 浩之
個人的体験から 傷つきやすさの活用という視点から ウィニコットの母親について、多くの証言が うつ病であったと語っている。姉たちは結婚 していない。 ウィニコットの母親について、多くの証言が うつ病であったと語っている。姉たちは結婚 していない。 第一世界大戦で仲間を失い、夢を見られない という症状で精神分析と出会う。 第一世界大戦で仲間を失い、夢を見られない という症状で精神分析と出会う。 最初の結婚相手が、精神障害をもっており、 青年期から成人期をその介護に費やす 最初の結婚相手が、精神障害をもっており、 青年期から成人期をその介護に費やす 第二次世界大戦における疎開活動 第二次世界大戦における疎開活動 そこでのクレア・ブリットンとの出会いと不 倫 そこでのクレア・ブリットンとの出会いと不 倫
母親の謎 仮説「母親は抑うつ的であった」 複数の母親たち- 忙しい父 複数の母親たち- 忙しい父 67 歳の手紙 ( 義理の兄へ)-リトルの証言 67 歳の手紙 ( 義理の兄へ)-リトルの証言 1948 年「母親の抑うつに対して組織 された防衛の観点から見た償い」 ↓ 治療における環境の位置づけ 治療における環境の位置づけ
大戦の傷 第一次世界大戦で医大生として参戦 し、多くの同僚を失う → PTSD 「夢がみられなくなる」という症状 ↓1.精神分析との出会い2.外的環境の内界への影響3.環境欠損の子どもたちのケア
ある反復:発病した妻 1923 年 7 月 7 日 結婚 → 発病 「若い頃のウィニ コットの精力を使い果たした」(カーン) 年に起きた多くの出来事 年に起きた多くの出来事 ↓ 1.子どもを作れなかったことと不倫 2.疎開計画への熱意 3. 在宅でのケア ( 反社会的傾向):マネージメン ト 3. 在宅でのケア ( 反社会的傾向):マネージメン ト 1955 年「在宅で取り扱われた症例」 1955 年「在宅で取り扱われた症例」 4 .holdingと逆転移の意味の深さ 4 .holdingと逆転移の意味の深さ
メラニー・クラインとの関係 クラインが重症の鬱症状に悩んでいたこ とは多くの同時代人が目撃している。 クラインが重症の鬱症状に悩んでいたこ とは多くの同時代人が目撃している。 ウィニコットは彼女の息子の治療者で ある。 ウィニコットは彼女の息子の治療者で ある。 再び 1948 年「母親の抑うつに対し て組織された防衛の観点から見た償 い」 再び 1948 年「母親の抑うつに対し て組織された防衛の観点から見た償 い」 → 彼女との関係が破綻した後に書か れた論文としての意義:独立宣言 → 彼女との関係が破綻した後に書か れた論文としての意義:独立宣言
女性は連続しているが … 女性は連続しているが … 女性は連続性の中を生きている。「 (l) 女の赤ん坊 , (2) 母親, (3) 母親の母親,である。ある女性に 赤ん坊がいようといまいと,彼女は果てしない連 続性のなかに存在している。彼女は赤ん坊であり ,母親であり,祖母である。また母親であり,女 の赤ん坊であり,赤ん坊の赤ん坊でもある。 …… 他方男性は個 (one) になることを強く迫られると ころから始まる。個は一人であり,みな孤独であ る。そして時がたつにつれ,より孤独となるだろ う。」( Winnicott) ⇒だがウィニコットの周辺の女性たちは孤独であ る。
攻撃性は天性のものではな い 攻撃性は天性のものではな い 最初子供は無統合で、 Motility( 運動性)が中 心である。だから相手のことよりも、運動性 が前面にあるので、環境からは、陰性の無慈 悲な状態に見える。だがそこで母親は母性的 な機能によって、それを抱えるので環境によ って、攻撃性に見えるだけである。 最初子供は無統合で、 Motility( 運動性)が中 心である。だから相手のことよりも、運動性 が前面にあるので、環境からは、陰性の無慈 悲な状態に見える。だがそこで母親は母性的 な機能によって、それを抱えるので環境によ って、攻撃性に見えるだけである。 陰性のものの裏側には、環境への期待があり 、環境側はそれを逆転移によって耐えること が必要になる。 陰性のものの裏側には、環境への期待があり 、環境側はそれを逆転移によって耐えること が必要になる。 ⇒クライン学派から の離脱 ⇒クライン学派から の離脱
ウィニコット独自の仕事: 環 境論へ ウィニコット独自の仕事: 環 境論へ ①クライン学派からの離脱 1948年「母親の抑 うつ」 1948年「母親の抑 うつ」 ②第二次世界大戦での環境整備とクレアとの出 会い 1950年代 → マネージメント 1952年「症状の容 認」 1952年「症状の容 認」 1947年「逆転移のな かの憎しみ」 1947年「逆転移のな かの憎しみ」③環境としての母親と対象としての母親 1951年「移行対象 論」 1951年「移行対象 論」
1954 「精神分析設定内における退行的および臨床的側 面」 1954 「精神分析設定内における退行的および臨床的側 面」 1963 年「幼児のケア,子どものケア,分 析的設定における依存 J につながる発想 抱える環境=分析設定:雰囲気であって 、ここには触ることなどは含まれていない 。この設定が依存への退行を生み出す素地 になり、信頼感から転移を育む素地を生み 出す。 抱える環境=分析設定:雰囲気であって 、ここには触ることなどは含まれていない 。この設定が依存への退行を生み出す素地 になり、信頼感から転移を育む素地を生み 出す。⇒退行する元来備わっている内的組織1.偽りの自己の発達をもたらす自我組織の失敗2.元の失敗が修正できる可能性
依存への退行と解凍 分析設定のなかでの転移関係として生じ るのは依存への退行である(依存への退 行と退行した患者とは違う)。 分析設定のなかでの転移関係として生じ るのは依存への退行である(依存への退 行と退行した患者とは違う)。 環境としての母親はかつて融合(子供が 母親を空気のように感じる)状態と呼ん だものであり、対象としての母親とは出 自が違う。抱えることのなかに自我組織 がある。 環境としての母親はかつて融合(子供が 母親を空気のように感じる)状態と呼ん だものであり、対象としての母親とは出 自が違う。抱えることのなかに自我組織 がある。 考えない記憶には、外傷が凍結されてい て、そこには自我組織がある。 考えない記憶には、外傷が凍結されてい て、そこには自我組織がある。
依存への退行 退行には二つある。一つは早期の失敗状況に 戻ることであり,もう一つは早期の成功した 状況に戻ること … 環境の失敗状況が問題とな るような症例でわれわれが目にするのはその 個人によって組織化された個人的な防衛の証 しであり,これは分析を必要とする。より正 常な,早期の成功した状況を有している症例 でわれわれがよりはっきりと目にするのは依 存の記憶であり,それゆえわれわれは個人的 な防衛の組織よりはむしろ環境の状況に出会 う。
分析家の失敗の意義 この新しい環境にとって,分析家の失敗 は重要な要素である。それは転移,すな わち早期の失敗状況の再演 (re- enactment) のなかで生じなくてはなら ない。よって分析家の失敗は,上演 (enactment) であり,適切なタイミング で生じる必要がある。しかしながら,患 者にとっての癒しの効果を持たせるため には,分析的枠組みがいったん確立した 後においてのみ生じる
失敗による成功 限定された文脈では誤解されていること に耐えなくてはならない … 。今や患者は 分析家を失敗,元は環境の要素から生じ た失敗のゆえに憎むが,その失敗は幼児 の万能的コントロール外のものだったも のが,それは今は転移のなかで演じられ る。それゆえ,最後には私たちは失敗す る一患者のやり方に失敗する一ことによ って成功するのである。これは修正体験 による治癒という単純な理論とはかなり かけ離れている。
自己愛の病理のなかで 治療者が自分の心を収めるために空間を 持てなくなっている状態が深刻な自己の 病理を持つ人々との治療では前面に出て くることがある。この危機状態のなかか らぬけ出すためにはまず治療者自分の心 の状態を受容する必要があるが、それは 。逆転移のなかでの治療者の自己モニタ リング、あるいは自己受容が生み出すメ カニズムである。
母親が徐々に失敗すること 治療設定が抱える構造であること=治療 者が内側に心を住まわせること=長期的 に患者との間に設定を持つこと = 母性的 な没頭 治療設定が抱える構造であること=治療 者が内側に心を住まわせること=長期的 に患者との間に設定を持つこと = 母性的 な没頭 治療者が凍結していた外傷を、エナクト メントの中で想起してもらうこと=理解 の限界としての解釈 治療者が凍結していた外傷を、エナクト メントの中で想起してもらうこと=理解 の限界としての解釈 治療者が徐々に失敗して、患者がそこで 対象との関係を生き残ること 治療者が徐々に失敗して、患者がそこで 対象との関係を生き残ること
一人でいられる能力⇒自我関係 性 一人でいられる能力⇒自我関係 性 1957 年「一人でいられる能力」 1957 年「一人でいられる能力」 一人でいられる能力の確立につながる経験はた くさんある。しかし,基本的で,それが充分 でないと一人でいられる能力は出現しない, 一つの経験がある。それは,母親のいるとこ ろで,幼児や小さな子どもがそうするように 一人でいるという経験である。このように, 一人でいられる能力の基礎にあるのは,逆説 である。それは,だれかほかの人がいるとこ ろで一人でいた経験である。 ⇒自我関係性(母子融合状態)⇒対象の使 用 ⇒自我関係性(母子融合状態)⇒対象の使 用
I ⇒ I am ⇒「ひとりで いる」 I ⇒ I am ⇒「ひとりで いる」 「次は「私は一人でいる」という言葉だ。 … こ のさらに進んだ段階には,幼児の方で母親の継 続的な存在をわかるようになるということが含 まれている。けれども私は,意識的な心で気づ くようになると言っているのでは必ずしもない 。「私は一人でいる」は,「私はいる」からの 成長の結果であり,これは幼児が継続的に存在 してくれた頼りになる母親の存在に気づくこと によっている。この母親が頼りになる存在であ ったからこそ幼児が限られた時間であっても一 人でいることができるようになったのであり, また一人でいることを楽しめるようになったの である。」
一人の母親というものがいるとし て 一人の母親というものがいるとし て 母親=治療者が連続性のなかにではなく、一 人でいる能力を持つこと(学派に属さない、 あるいはグループに属さない)=ウィニコト 派ではないこと 母親=治療者が連続性のなかにではなく、一 人でいる能力を持つこと(学派に属さない、 あるいはグループに属さない)=ウィニコト 派ではないこと 母親=治療者がひとりでいることができるな ら、それが患者の失敗をエナクトメントでき るための心の容量をもつことになるだろう。 このことは治療者が、その訓練のプロセスで 、誰かに抱えられている体験とエナクトメン トを要求するが、精神分析は長い間にわたっ て、これを提供してきた。対象の使用は、結 果として治療者の心の空間を舞台にするよう になった。 母親=治療者がひとりでいることができるな ら、それが患者の失敗をエナクトメントでき るための心の容量をもつことになるだろう。 このことは治療者が、その訓練のプロセスで 、誰かに抱えられている体験とエナクトメン トを要求するが、精神分析は長い間にわたっ て、これを提供してきた。対象の使用は、結 果として治療者の心の空間を舞台にするよう になった。
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