幕藩体制の動揺 江戸幕府開幕 (1603) ~大政奉還 (1867) の 265 年 の中間点、その内側に種々の矛盾が溜まり、時代 は大きな曲がり角にさしかかっていた。そこに、 新たな安定への舵取りを図ったのが初の西国出身 の将軍吉宗の「享保の改革」と呼ばれる政治改革 であった。 ①復古理想主義 (

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幕藩体制の動揺 江戸幕府開幕 (1603) ~大政奉還 (1867) の 265 年 の中間点、その内側に種々の矛盾が溜まり、時代 は大きな曲がり角にさしかかっていた。そこに、 新たな安定への舵取りを図ったのが初の西国出身 の将軍吉宗の「享保の改革」と呼ばれる政治改革 であった。 ①復古理想主義 ( 「諸事 1. 権現様 御定 めの通り」 ) =将軍自らが 先頭に立ち改革、 側用人の廃止 譜代大名重視 ②財政の再建を意図 18 世紀の政治過程

幕府の窮乏 財政窮乏の要因=窮乏は家綱から始まり、とくに綱 吉以降出費増大。振袖火事による江戸の消失と再建、 佐渡相川金山からの金採掘の減少、諸物価に対する 米価の下落は、幕府財政を逼迫することとなった。 幕府収入の減少 ・鉱山収入の減少 金銀採掘量の減少 ( 枯渇 ) 銅も江戸時代後半に減少 ・貿易収入の減少 → 鎖国の影響 ・天災飢饉の多発 出費の増大 ・生活 ( 大奥等 ) の奢侈化 ・生類憐みの令で浪費 ・寺院の造営・修理 ・制度・儀礼の整備に 伴う出費増大 ・度重なる江戸の大火後 の復興費用

家綱時代:幕府収入源 → 年貢のみに。 幕府の収入源 天領からの 年貢収入 直轄鉱山から の金銀産出 長崎での 海外交易 家康は、秀忠に遺産 190 万両を残し、秀忠は家光 に 250 万両を残している 枯渇傾向 海外交易赤字に よる金銀の流出 家光は 460 万両余残した 1844( 弘化元年 ) 年度分 肝心の幕府の天領は、 800 万石と称せられるが、幕府予 算としてあてにできるのは約 400 万石。そこからの年貢は 幕政初期には六公四民程で、 300 万石= 300 万両= 6000 億 円ほどであった。

新田開発や年貢増徴の政策が反映

(1) 御切米 (2) 御合力金 (3)御扶持 (1) ~ (3) 合計 換算すると 上臈 御年寄 100 石 100 両 15 人(男扶持 7 人、女扶持 8 人、約 21.5 石) 約 両約 2658 万円 御年寄 50 石 60 両 10 人(男扶持 5 人、女扶持 5 人、約 14.6 石) 約 両 約 万 円 御中臈 12 石 40 両 4 人(男扶持 1 人、女扶持 3 人、約 5.1 石) 約 57.1 両約 万円 表使 12 石 30 両 3 人(男扶持 1 人、女扶持 2 人、約 4.0 石) 約 46.0 両約 552 万円 御末 4石4石 2両2両 1 人(女扶持 1 人、約 1. 1石 ) 約 7.1 両約 85.2 万円 寛政年間 ( 1789 ~ 1800 年) の大奥女中の給与(年収) 幕府から給金を支給されて いた女中たちすべてを「大 奥女中」と言い、女中の人 数は最盛期で 1000 人とも 3000 人とも言われる。 千代田之大奥 歌合 橋本(揚州)周延画

享保の改革 財政危機の到来 → 年貢収入= 170 万両~ 180 万両 倹約励行+増収策 → ①貨幣改鋳 ②年貢増徴 = 検見法 → 4. 定免法採用 ( 天領の年貢を四公六民 → 五公五民へ) ③新田開発奨励 (1722) → 幕領の石高は1割以上増 ④ 2. 上げ米実施 → 大名に石高 1 万石について 石 の米を召上 ⑤御用金 → 豪商からの御用金・免許税の賦課 「享保の改革期にはして幕領の石高、及び年貢 収納高は共に増加した。しかし、 18 世紀半ば以 降は収納高が次第に減少してったため寛政の改 革・天保の改革を実施せざるを得なかった。

1735 年黒字(米将軍=米公方) 1722 ~ 1731 年までの 収支状況-1年平均米3万 5000 石・金 12 万 7000 石の黒字

実学(日常生活に役立つ学問)も奨励した。備荒作物 の 5. 甘藷(さつまいも)、輸入されていた朝鮮人参や 甘蔗(さとうきび)など栽培を行ない、自給にも成功 した。 1720 年にキリスト教に関係のない漢訳洋書の輸 入制限を緩和した。そして、 1740 年に 6. 青木昆陽と野 呂元丈に蘭学・オランダ語の学習を命じた。

享保の改革 → 大岡越前守 → 「大岡政談」 享保2 (1717) ~元文1年 (1736) 年の約 20 年江戸町奉行を勤め、江戸市民の 生活安定に努め、問屋・仲買・小売組織を整理し、貧窮者救護のための小石 川養護所の創設、町火消の設置等の業績で知られ、所謂「大岡政談」として 講談や歌舞伎などに取り上げられている。 早稲田大学演劇博物館蔵

1721 年、評定所門前に目安箱を置き、施政などへの庶民の声 を聞いた。目安箱は毎月2・ 11 ・ 21 日に置かれ、吉宗が自ら 開け、有効な意見は採用された。その中の当初から、小石川 養生所が作られた。養生所は小石川薬園内に作られ、貧民か らは金は取らないという社会福祉病院的な意味合いもあった。 当初は気味悪がって寄りつかなかったが、大岡が名主達を集 めて見学させるなどの努力を重ねて、次第に病人が来るよう になり、重宝な施設となった。 法制・行政の整備も行なった。 1722 年、勘定奉行を公事方 (司法担当)と勝手方(財政くじかたかってかた担当)に分 け、各2名ずつ計4名とした。 1742 年、大岡忠相らが 『公事方御定書』を編纂し、裁判や刑の基準を定め た。上巻は刑事・行政関係の 81 条、下巻は刑罰・判 例の 103 の開府以来の法令をまとめて、 19. 御定書百 箇条という。

白州の図 徳川幕府県治要略

江戸の都市政策は、大岡忠相が中心に行なわれた。繰 り返し大火に見舞われるため、消防組織を整備した。 広小路・火除地を設け、幕府の定火消を強化した。そ して、町火消「いろは」 47 組が組織された。当初は火 消人足が担当したが、破壊消火のため次第に鳶人足に 代わった。 1657 年の振袖火事を受けて、 1658 年、旗 本による定火消(じょうびけし)が始まった。「め 組」で有名な町火消は江戸時代中期に南町奉行であっ た大岡忠相が組織編成したものである。 このように官民で消防組織が編成されたが、ポンプも ない時代では技術的にも限界があり、消防活動の中心 は、火災周辺の住宅を破壊して延焼を防ぐ破壊消防 ( 除去消火法 ) であり、消防技術としては龍吐水や水鉄 砲(人力により放水ができる)など小規模の火を水で 消すため道具が作られた程度であった。 →

大名火消 → 町火消 1643( 寛永 20) 年 1718( 享保 3) 年

村掟と公儀の法の融合 所払いは百姓・町人の場合、居村・居町から追い 出して、そこへの立入りを禁じるもので、追放刑の うち最も軽いものであった。追放刑は遠島とともに、 制度的には江戸幕府法において最もととのったとさ れており、近世の刑法の主要な地位を占めていた。 それは恐らく、長い間村に継承されてきた「はら ふ」という固有法の観念が公儀の法にとりいれられ、 融合した事実を示しており、村にとっても邪悪なも の、村に災厄をもたらすもの、手に負えないものを 追放する前記の中野惣中のような考え方を基礎に成 立していた。村からの追放は一般的に百姓身分の剥 奪であり、所払い、田島・家屋敷の闕所(没収)を ともなうのがふつうであった。

村の高札

自身番・木戸番・火の見櫓

町触れの伝達

幕藩体制の農業依存の幕府経済を改め、重商主義的な 改革を行うことで財政の立て直しを図った。株仲間を奨 励して銅座などの株仲間の結成を認め、専売制の実施、 運上金・冥加金の徴収、鉱山の開発、町人資本による印 旛沼・手賀沼の干拓事業を行う一方、長崎貿易での俵物 などの専売による外国との貿易の拡大 ( 特に俵物など輸 出商品の増産 ) 、また、蘭学の奨励、 17. 工藤平助らの蝦 夷地の開発計画による 16. 蝦夷地調査、アイヌを通じた 対ロシア交易の模索など、重商主義的海外政策の改革も 行い、積極的に改革を推し進め、幕府財政を立直し、悪 化する幕府の財政赤字を食い止める政策を実施した。そ の結果、幕府の財政は改善に向かい、景気もよくなった。 しかし、社会の初期資本主義化によって、町人・役人の 生活が金銭中心のものとなり、そのために贈収賄が横行 した。 田沼意次の経済成長政策

幕府改革の二つの方向 小旗本の子 田沼意次 → 賄賂と腐敗 将軍吉宗の孫 清廉謹直 ← 松平定信 細面で 腰の低い 明るく 開放的 顎が張り 倣慢で 生真面目 1767 :家治の側用人 1769 :老中格に昇進 1772 :老中就任 → 各種株仲間の公認 ・北海道の開拓 ・ 15. 印旛沼・手賀沼の 大工事 ・直営の外国貿易模索 田沼政治を批判 → 1774 :白河藩に養子 1787 :老中首座に 1788 :問屋・仲買停止 1789 :棄捐令 1790 :七分積金制度 経済成長政策 日本の近代化 → 挫折 幕藩制弥縫政策 日本の近代化を遅らす 田沼政治 悪玉 善玉 成り上がり者 高貴な身分 歴史物語 の定番 ?