天動説と地動説 2008.11
古代の世界観
星の運行 夜、空には星が光り輝く。 ①地球からみると、星は一定の速度で 周期的に回転するように見える。 周期的に回転するように見える。 ②それらの星とは異なる動きをする星がある 太陽・月 …圧倒的に、大きく、明るい。 水星・金星・火星・木星・土星 ・回転はするが、一定の速度ではない。 ・時に、回転の方向と逆向きに動くように 見える。 惑星 世界がどうなっていれば、星はまわって見えるのか
初期天動説の提唱 ・プトレマイオス (83~168) 功績: ・恒星や惑星、太陽を基に世界(宇宙)を構築した。 この世界観は、キリスト教感に合致しており、幅広く受け入れられた。
15世紀のヨーロッパ 正確な星の運行を知ることが重要となってくる。 ・大航海時代の到来 占星術・暦の作成・航海術…etc ・神聖ローマ帝国による統治 正確な星の運行を知ることが重要となってくる。 地動説の修正と起動・運行予測 火星の運動 モデルの複雑化、現実との不一致
近代地動説の提唱 コペルニクス (1473~1543) 功績: 太陽中心モデルを提唱。周転円を減らすことを可能に。(1510年 『コメンタリオルス』 ) 会合周期を利用した、惑星の公転周期の計算法を確立。(1543年 『天球の回転について』 ) ・地球を飛ぶ鳥はなぜ取り残されないか。 ・地球を動かしているもの、とは何なのか。 ・月の特異な軌道 ・現実との不一致 コペルニクス・モデルの弱点
惑星の公転周期計算(外惑星) = 687日 会合(地球-太陽-惑星が並ぶ)の周期 S 地球の公転周期 E 関係式 惑星の公転周期:P 再会合までに地球は惑星より1周多く回りました 地球-火星の会合周期 S=777日 地球の公転周期 E=365日 火星の公転周期 = 687日
論争の時代 (16C半ば) 三人の巨人 真実は、ひとつ。天動説と地動説、どちらが正しいのか。 ティコ・ブラーエ ヨハネス・ケプラー ガリレオ・ガリレイ (1546-1601) (1571-1630) (1564-1642) 占星術・天文 物理学
ティコ・ブラーエ 地球を中心に置き、その周りをその他の惑星を引き連れた太陽が回るモデルを提唱 皇帝の援助を受け、天文台『天の城』を建設 多くの弟子とともに天体観察を行う。 功績:天文学には継続的かつ正確なデータの蓄積が必要であることへの気づき 当時最高性能の設備と技術で、誤差1/60度の肉眼での観測としては驚異的な精度のデータを残す 恒星の年周視差(→図)が見られないことから、 地球を中心に置き、その周りをその他の惑星を引き連れた太陽が回るモデルを提唱
ヨハネス・ケプラー 誤り ケプラーの人生は書によって大きく異なる。 ケプラーの研究は、各惑星の軌道の精密決定に進む。 一説には、未熟児で生まれ、生まれつき目がよくなかったという。 また、自らの名をKepler Keppler等5通りに綴っている。変わり者。貧乏。 ケプラーの信念: 宇宙には、何らかの調和がある。 土星 正 6面体 木星 正 4面体 火星 正20面体 地球 正12面体 金星 正 8面体 誤り 『宇宙の神秘』 1596年 ケプラーの研究は、各惑星の軌道の精密決定に進む。
ケプラーが用いた軌道決定方法 687日毎に地球からみた 太陽と火星の位置を測定する。 太陽の位置 火星の位置 やぎ- みずがめ てんびん さそり おとめ- おうし しし かに しし-おとめ
ケプラーが用いた軌道決定方法 地球-太陽-火星が近点で一直線に並んだ時(衝)から、687日後(火星が元の位置に戻ると考えられるとき)に再度火星がどの方向に見えるかを記録する。 もっと正確に 軌道を求めたい。 →ティコブラーエに接近を試みる。
論争の時代 (16C半ば) 三人の巨人 真実は、ひとつ。天動説と地動説、どちらが正しいのか。 ティコ・ブラーエ ヨハネス・ケプラー ガリレオ・ガリレイ (1546-1601) (1571-1630) (1564-1642) 占星術・天文学 物理学
『彼は無類の金持ちだが、富の使い方を知らない。 その富は無理にでも奪い取らねばならない』 接近 ヨハネス・ケプラー ティコ・ブラーエ 35年分の当時最高精度のデータを持つ 惑星軌道の正確な決定を目指す 自説の証明を目指す 数学的才能を持つ 『彼は無類の金持ちだが、富の使い方を知らない。 その富は無理にでも奪い取らねばならない』 1600年1月1日、ケプラーはティコに弟子入りする。
ケプラーとティコ・ブラーエ 1601年10月、ティコ・ブラーエ 死去 ケプラーはティコの後継者となり、 『帝国数学官』となる。 『ティコは彼の経験の分配に預かる機会を、少しも与えてくれません。 用事の折、ほんのついでという風にしゃべるだけです。』 ティコはケプラーになかなかデータを見せなかった。 二人は対立と中途半端な和解を繰り返す。 1601年10月、ティコ・ブラーエ 死去 死体からは水銀が検出されたという。 ケプラーはティコの後継者となり、 『帝国数学官』となる。
惑星軌道の決定 楕円 ・惑星は、一定の速さで公転していない。 ・円軌道の中心と太陽の位置は異なっている。 再度軌道を計算 ティコのデータに基づいて軌道を決定しようとするケプラー なかなかうまくいかない。→ これまでの「当たり前」を疑う ・惑星は、一定の速さで公転していない。 ・円軌道の中心と太陽の位置は異なっている。 太陽の近くでは速く、遠くでは遅く軌道上を周回している。 再度軌道を計算 僅かな(8/60度)ズレ 棄却 ・惑星の軌道は円軌道ではない。 さまざまな軌道を当てはめる。 楕円
近代地動説の提唱 コペルニクス (1473~1543) 功績: 太陽中心モデルを提唱。周転円を減らすことを可能に。(1510年 『コメンタリオルス』 ) 会合周期を利用した、惑星の公転周期の計算法を確立。(1543年 『天球の回転について』 ) ・地球を飛ぶ鳥はなぜ取り残されないか。 ・地球を動かしているもの、とは何なのか。 ・月の特異な軌道 ・現実との不一致 コペルニクス・モデルの弱点
ケプラーとガリレオ ティコブラーエ死去。後継者に。 1601 発明した望遠鏡により、 木星に4つの衛星を発見 『星界の報告』 木星に4つの衛星を発見 『星界の報告』 ケプラーの第1法則 第2法則発表『新天文学』 1609 「月」が例外ではない(地動説の裏づけ) 地球・火星・木星の衛星の数が 等比数列となっていると予想 太陽の黒点を発見 『太陽黒点についての手紙』 1612 太陽の自転も観測 木星の4つの衛星について、 第1法則と第2法則を確認。 ・地動説を唱えないよう注意を受ける。 1618- 1619 楕円軌道に関しては、 一貫して否定的見解を持つ。
世界の調和への到達 惑星の周期と軌道半径に関する「調和」の発見
ケプラーとガリレオ ケプラーの第3法則を発表 『世界の調和』 1619 『ルドルフ星表』 完成 惑星と1005個の恒星を収める。 1625 『世界の調和』 1619 A:地動説を信じる(ガリレオの代弁者) B:天動説を信じる C:専門家ではないが柔軟な考えを持つ の三名の対話形式で持論を展開 『ルドルフ星表』 完成 惑星と1005個の恒星を収める。 1625 1630 永眠。 『天文対話』完成、刊行(2月) 発売禁止 (8月) 1632 1633 「ガリレオ裁判」にて有罪判決を受ける 1638 失明。『新科学対話』発表。 1642 トリチェリらに看取られ、死去。 アイザック・ニュートン誕生