人間回復の架け橋 ハンセン病について正しい理解を 国立療養所長島愛生園 国立療養所邑久光明園を訪問して 邑久長島大橋の完成 1988( 昭和63年 要求から16年の歳月。全長135メートル、6億9千万円。 「人間回復の橋」と言われる。 国立療養所長島愛生園 国立療養所邑久光明園を訪問して
岡山県の長島はご覧のようにとても美しい風景の瀬戸内海に浮かぶ島です。
岡山県の長島はご覧のようにとても美しい風景の瀬戸内海に浮かぶ島です。
国立療養所邑久光明園 国立療養所長島愛生園 海峡の距離約 30m 開通 1988年(昭和63年)
邑久長島大橋の完成 1988( 昭和63年 要求から16年の歳月。全長135メートル、6億9千万円。 「人間回復の橋」と言われる。
小学校の時、ハンセン病を発病しました。 ある日、担任の先生から 「明日から学校に来ないように」 と書かれた紙切れを渡されました。 それから、長島に連れてこられ、 ずっと60年この島で暮らしています。 橋が架かるまでは、この島から 自由に出ることができませんでした。 (美祢出身の方の談話より) 邑久長島大橋の完成 1988( 昭和63年 要求から16年の歳月。全長135メートル、6億9千万円。 「人間回復の橋」と言われる。
結婚しても子どもを産むことが許されない。 一生療養所から出て暮らすことができない。 親や兄弟と一緒に暮らすことができない。 実名を名乗ることができない。 結婚しても子どもを産むことが許されない。 一生療養所から出て暮らすことができない。 死んでも故郷の墓に埋葬してもらえない。 こうした生活をハンセン病元患者さんは 長い間強いられてきました。 あなたは想像できますか? 邑久長島大橋の完成 1988( 昭和63年 要求から16年の歳月。全長135メートル、6億9千万円。 「人間回復の橋」と言われる。
人間回復の架け橋 邑久長島大橋の完成 1988( 昭和63年 要求から16年の歳月。全長135メートル、6億9千万円。 「人間回復の橋」と言われる。
ハンセン病とは ハンセン病は治る病気 1 らい菌の感染による慢性の感染症 2 症状 ・末梢神経障害 (運動障害・感覚障害・自律神経障害) ・末梢神経障害 (運動障害・感覚障害・自律神経障害) ・皮膚の症状 (皮疹・結節) 3 感染経路 ・飛沫核感染、経気道感染説 4 治療薬 ・プロミン(1943年開発) ・リファンピシンを中心とする多剤併用療法(1981年) 5 ハンセン病による障害は残る ハンセン病は治る病気
用語について ・「ハンセン病」を用いる。 ・「らい」という言葉は用いない。 ・「らい予防法」・・・法律用語 ・「らい菌」・・・医学用語
ハンセン病の歴史 ※1873年 らい菌発見 ※1897年 第1回ハンセン病 国際会議 ○1907年(明治40年) 「癩予防ニ関スル件」成立 ※1873年 らい菌発見 アルマウェル・ハンセン(ノルウェー) ※1897年 第1回ハンセン病 国際会議 ○1907年(明治40年) 「癩予防ニ関スル件」成立 ○1916年(大正4年) 「癩予防ニ関スル件」改訂 ○1930年(昭和5年) 国立療養所の設立 ○1931年(昭和6年) 「癩予防法」 720年の日本書紀に「癩(らい)」の言葉が登場。12世紀頃から仏教の業病、天刑病と考えられる。鎌倉時代に叡尊と忍性(律宗の僧侶が)救済。江戸時代、神社の参道や仏閣の門前などでの物乞いが主で、遺伝病だという迷信が広まる。 明治時代には「らい菌」の発見により「うつる病気である」と認識し、次第に排除し始める。 ○1953年(昭和28年) 「らい予防法」改正 ○1996年(平成8年) 「らい予防法の廃止に関する法律」施行 「らい予防法」廃止
ハンセン病の歴史 ・ハンセン病は感染症 ・「隔離」が有効な手段 ※1873年 らい菌発見 ※1897年 第1回ハンセン病 国際会議 ※1873年 らい菌発見 ・ハンセン病は感染症 ・「隔離」が有効な手段 ※1897年 第1回ハンセン病 国際会議 ○1907年(明治40年) 「癩予防ニ関スル件」成立 ○1916年(大正4年) 「癩予防ニ関スル件」改訂 ○1930年(昭和5年) 国立療養所の設立 ○1931年(昭和6年) 「癩予防法」 720年の日本書紀に「癩(らい)」の言葉が登場。12世紀頃から仏教の業病、天刑病と考えられる。鎌倉時代に叡尊と忍性(律宗の僧侶が)救済。江戸時代、神社の参道や仏閣の門前などでの物乞いが主で、遺伝病だという迷信が広まる。 明治時代には「らい菌」の発見により「うつる病気である」と認識し、次第に排除し始める。 ○1953年(昭和28年) 「らい予防法」改正 ○1996年(平成8年) 「らい予防法の廃止に関する法律」施行 「らい予防法」廃止
ハンセン病の歴史 ・公立療養所設置(1909年) ※1873年 らい菌発見 府県連合立療養所 (全国5ブロック) 府県連合立療養所 (全国5ブロック) 第1区/関東・中部 (東京・全生病院) 第2区/東北 (青森・松ケ丘保養園) 第3区/近畿・中国 (大阪・外島保養院) 第4区/四国 (香川・大島青松園) 第5区/九州 (熊本・菊池恵楓園) 定員1200名(患者3万人の3.7%) ※1873年 らい菌発見 ※1897年 第1回ハンセン病 国際会議 ○1907年(明治40年) 「癩予防ニ関スル件」成立 ○1916年(大正4年) 「癩予防ニ関スル件」改訂 ○1930年(昭和5年) 国立療養所の設立 ○1931年(昭和6年) 「癩予防法」 720年の日本書紀に「癩(らい)」の言葉が登場。12世紀頃から仏教の業病、天刑病と考えられる。鎌倉時代に叡尊と忍性(律宗の僧侶が)救済。江戸時代、神社の参道や仏閣の門前などでの物乞いが主で、遺伝病だという迷信が広まる。 明治時代には「らい菌」の発見により「うつる病気である」と認識し、次第に排除し始める。 ○1953年(昭和28年) 「らい予防法」改正 ○1996年(平成8年) 「らい予防法の廃止に関する法律」施行 「らい予防法」廃止
ハンセン病の歴史 ※1873年 らい菌発見 ※1897年 第1回ハンセン病 国際会議 ○1907年(明治40年) 「癩予防ニ関スル件」成立 ※1873年 らい菌発見 ※1897年 第1回ハンセン病 国際会議 ○1907年(明治40年) 「癩予防ニ関スル件」成立 ・「懲戒検束規定」 所長の権力絶対化 ・逃亡防止 園内通用券(通貨) 監禁室設置 ・不妊手術・断種 ○1916年(大正4年) 「癩予防ニ関スル件」改訂 ○1930年(昭和5年) 国立療養所の設立 ○1931年(昭和6年) 「癩予防法」 720年の日本書紀に「癩(らい)」の言葉が登場。12世紀頃から仏教の業病、天刑病と考えられる。鎌倉時代に叡尊と忍性(律宗の僧侶が)救済。江戸時代、神社の参道や仏閣の門前などでの物乞いが主で、遺伝病だという迷信が広まる。 明治時代には「らい菌」の発見により「うつる病気である」と認識し、次第に排除し始める。 ○1953年(昭和28年) 「らい予防法」改正 ○1996年(平成8年) 「らい予防法の廃止に関する法律」施行 「らい予防法」廃止
ハンセン病の歴史 ※1873年 らい菌発見 ※1897年 第1回ハンセン病 国際会議 ○1907年(明治40年) 「癩予防ニ関スル件」成立 ※1873年 らい菌発見 ※1897年 第1回ハンセン病 国際会議 ○1907年(明治40年) 「癩予防ニ関スル件」成立 ○1916年(大正4年) 「癩予防ニ関スル件」改訂 ○1930年(昭和5年) 国立療養所の設立 ○1931年(昭和6年) 「癩予防法」 720年の日本書紀に「癩(らい)」の言葉が登場。12世紀頃から仏教の業病、天刑病と考えられる。鎌倉時代に叡尊と忍性(律宗の僧侶が)救済。江戸時代、神社の参道や仏閣の門前などでの物乞いが主で、遺伝病だという迷信が広まる。 明治時代には「らい菌」の発見により「うつる病気である」と認識し、次第に排除し始める。 ○1953年(昭和28年) 「らい予防法」改正 ○1996年(平成8年) 「らい予防法の廃止に関する法律」施行 「らい予防法」廃止
ハンセン病の歴史 ※1873年 らい菌発見 ・府県連合立療養所 (全国5ブロック) ※1897年 第1回ハンセン病 第1区/関東・中部 ※1873年 らい菌発見 ・府県連合立療養所 (全国5ブロック) 第1区/関東・中部 (東京・全生病院) 第2区/東北 (青森・松ケ丘保養園) 第3区/近畿・中国 (大阪・外島保養院) 第4区/四国 (香川・大島青松園) 第5区/九州 (熊本・菊池恵楓園) 定員1200名(患者3万人の3.7%) ※1897年 第1回ハンセン病 国際会議 ○1907年(明治40年) 「癩予防ニ関スル件」成立 ○1916年(大正4年) 「癩予防ニ関スル件」改訂 ○1930年(昭和5年) 国立療養所の設立 ○1931年(昭和6年) 「癩予防法」 720年の日本書紀に「癩(らい)」の言葉が登場。12世紀頃から仏教の業病、天刑病と考えられる。鎌倉時代に叡尊と忍性(律宗の僧侶が)救済。江戸時代、神社の参道や仏閣の門前などでの物乞いが主で、遺伝病だという迷信が広まる。 明治時代には「らい菌」の発見により「うつる病気である」と認識し、次第に排除し始める。 ○1953年(昭和28年) 「らい予防法」改正 ○1996年(平成8年) 「らい予防法の廃止に関する法律」施行 「らい予防法」廃止
ハンセン病の歴史 ※1873年 らい菌発見 ・府県連合立療養所 (全国5ブロック) ※1897年 第1回ハンセン病 第1区/関東・中部 ※1873年 らい菌発見 ・府県連合立療養所 (全国5ブロック) 第1区/関東・中部 (東京・全生病院) 第2区/東北 (青森・松ケ丘保養園) 第3区/近畿・中国 (大阪・外島保養院) 第4区/四国 (香川・大島青松園) 第5区/九州 (熊本・菊池恵楓園) 定員1200名(患者3万人の3.7%) ※1897年 第1回ハンセン病 国際会議 ○1907年(明治40年) 「癩予防ニ関スル件」成立 ○1916年(大正4年) 「癩予防ニ関スル件」改訂 ○1930年(昭和5年) 国立療養所の設立 1934年(昭和9年) 室戸台風で壊滅 1938年(昭和13年) 長島に光明園として再建 ○1931年(昭和6年) 「癩予防法」 720年の日本書紀に「癩(らい)」の言葉が登場。12世紀頃から仏教の業病、天刑病と考えられる。鎌倉時代に叡尊と忍性(律宗の僧侶が)救済。江戸時代、神社の参道や仏閣の門前などでの物乞いが主で、遺伝病だという迷信が広まる。 明治時代には「らい菌」の発見により「うつる病気である」と認識し、次第に排除し始める。 ○1953年(昭和28年) 「らい予防法」改正 ○1996年(平成8年) 「らい予防法の廃止に関する法律」施行 「らい予防法」廃止
ハンセン病の歴史 ※1873年 らい菌発見 ※1897年 第1回ハンセン病 国際会議 ○1907年(明治40年) 「癩予防ニ関スル件」成立 ※1873年 らい菌発見 ※1897年 第1回ハンセン病 国際会議 ○1907年(明治40年) 「癩予防ニ関スル件」成立 ○1916年(大正4年) 「癩予防ニ関スル件」改訂 ・「癩予防ニ関スル件」大改正 ↓ 「癩予防法」 警察権力行使 全ての患者の強制隔離・収容 ○1930年(昭和5年) 国立療養所の設立 ○1931年(昭和6年) 「癩予防法」 720年の日本書紀に「癩(らい)」の言葉が登場。12世紀頃から仏教の業病、天刑病と考えられる。鎌倉時代に叡尊と忍性(律宗の僧侶が)救済。江戸時代、神社の参道や仏閣の門前などでの物乞いが主で、遺伝病だという迷信が広まる。 明治時代には「らい菌」の発見により「うつる病気である」と認識し、次第に排除し始める。 ○1953年(昭和28年) 「らい予防法」改正 ○1996年(平成8年) 「らい予防法の廃止に関する法律」施行 「らい予防法」廃止
ハンセン病の歴史 ※1873年 らい菌発見 ※1897年 第1回ハンセン病 国際会議 ・強制収容によって患者を終生隔 ※1873年 らい菌発見 ※1897年 第1回ハンセン病 国際会議 ・強制収容によって患者を終生隔 離するという明治以来の政策は 変わらず。 ・特効薬(プロミン)によって医学 的に治癒が証明されているに もかかわらず、「退所規定」が どこにもない。 (その他「指定医の診察(強制診 察)」「入退所の知事に対する通 知」「秩序維持」「無断外出の罰 則」等) ○1907年(明治40年) 「癩予防ニ関スル件」成立 ○1916年(大正4年) 「癩予防ニ関スル件」改訂 ○1930年(昭和5年) 国立療養所の設立 ○1931年(昭和6年) 「癩予防法」 720年の日本書紀に「癩(らい)」の言葉が登場。12世紀頃から仏教の業病、天刑病と考えられる。鎌倉時代に叡尊と忍性(律宗の僧侶が)救済。江戸時代、神社の参道や仏閣の門前などでの物乞いが主で、遺伝病だという迷信が広まる。 明治時代には「らい菌」の発見により「うつる病気である」と認識し、次第に排除し始める。 ○1953年(昭和28年) 「らい予防法」改正 ○1996年(平成8年) 「らい予防法の廃止に関する法律」施行 「らい予防法」廃止
ハンセン病の歴史 ※1873年 らい菌発見 ※1897年 第1回ハンセン病 国際会議 ○1907年(明治40年) 「癩予防ニ関スル件」成立 ※1873年 らい菌発見 ※1897年 第1回ハンセン病 国際会議 ○1907年(明治40年) 「癩予防ニ関スル件」成立 ○1916年(大正4年) 「癩予防ニ関スル件」改訂 ○1930年(昭和5年) 国立療養所の設立 ・国は「これほどまでに『らい予防 法』の廃止が遅れたこと」を謝罪 ・社会復帰支援策(100万円の支 度金、社会生活は公的支援で) ○1931年(昭和6年) 「癩予防法」 720年の日本書紀に「癩(らい)」の言葉が登場。12世紀頃から仏教の業病、天刑病と考えられる。鎌倉時代に叡尊と忍性(律宗の僧侶が)救済。江戸時代、神社の参道や仏閣の門前などでの物乞いが主で、遺伝病だという迷信が広まる。 明治時代には「らい菌」の発見により「うつる病気である」と認識し、次第に排除し始める。 ○1953年(昭和28年) 「らい予防法」改正 ○1996年(平成8年) 「らい予防法の廃止に関する法律」施行 「らい予防法」廃止
長島愛生園歴史資料館
舌読
長島愛生園納骨堂
私たちが しなければならないこと 邑久長島大橋の完成 1988( 昭和63年 要求から16年の歳月。全長135メートル、6億9千万円。 「人間回復の橋」と言われる。
心の架け橋を築くこと ご清聴ありがとうございました。 邑久長島大橋の完成 1988( 昭和63年 要求から16年の歳月。全長135メートル、6億9千万円。 「人間回復の橋」と言われる。 ご清聴ありがとうございました。