ロータリー財団100周年の歴史 ロータリー財団100周年 [財団誕生100周年を振り返り] [刀根荘兵衛] [2016年8月6日]

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ロータリー財団100周年の歴史 ロータリー財団100周年 [財団誕生100周年を振り返り] [刀根荘兵衛] [2016年8月6日]

「世界でよいこと」をしてきた1世紀 ― アーチクランフ基金 1917年のアトランタ大会で、当時のアーチ・クランフ会長のひらめきによってロータリー財団の種が播かれました。 26ドル50セントの初めての寄付から、資産およそ10億ドルという財団に成長したロータリー財団。 これまで、プログラムとプロジェクトに授与された補助金や奨学金の総額は30億ドルを上回り、世界中の何百万人という人びとの人生を変えてきました。 初期ロータリーで、最初に国際奉仕に類する活動が行われたのは、1914年、第一次世界大戦の頃からといわれ、アメリカからヨーロッパに出兵したロータリアンの子弟を、イギリスのロータリアン家庭がホストしたり、アメリカ、イギリス、アイルランド、カナダのクラブによって、ヨーロッパ各地で避難民への物資補給や、傷病兵の慰問や、終戦で復員してくる軍人に対するボランティア活動などが行われました。 この年、アーチ・クランフの提唱によって、国際理解と親善を目的としたロータリー財団の前身である[アーチ・クランフ基金]が創設されましたが、基金の設立が余りにも唐突であったことと、その趣旨が理解されなかったために思ったように募金が集まらず、本格的なロータリー財団の活動は、ポール・ハリス没後の1937年まで持ち越されます。

ロータリー財団創設者 アーチ・クランフ

アーチCクランフ クリーブランドRC創立会員 1912年 クリーブランドRC会長 1916-17年 国際ロータリー会長 財団の父 アーチ・クランフ アーチCクランフ クリーブランドRC創立会員 1912年    クリーブランドRC会長 1916-17年     国際ロータリー会長 Arch C. Klumph 1869~1951

父方祖先は、1770年代にニューヨークに入植した、ドイツ系移民 それを誇りにしていた。 1869年6月6日 ペンシルバニア州 カヌートビ アーチクランフの経歴 父方祖先は、1770年代にニューヨークに入植した、ドイツ系移民 それを誇りにしていた。 1869年6月6日 ペンシルバニア州 カヌートビ ルに生まれ、クランフ一家はペンシルバニア   西部の、カヌートビルの村はずれの小さな農場 に住んでいた。 その後、西に131キロほど離れた、エリー湖沿いの工業都市 クリーブランドに移住した。

家計を助けるために、12歳で学校を退学し、雑貨店のキャッシュボーイとして週給3ドルで働いた。(1ドル約1万円。日給5000円) クランフの少年時代  家計を助けるために、12歳で学校を退学し、雑貨店のキャッシュボーイとして週給3ドルで働いた。(1ドル約1万円。日給5000円) その数か月後、トラベラーズ保険会社の雑用係となり、空いた時間に簿記の勉強をした。  演劇やバラエティーショーを上演していた仲間たちと親しくなって、そのうちの一人の父親が、まだ十代だったクランフの率先性に感心し、 クヤホガ材木会社の使い走りとして、日給1ドルで雇った。(日給1万円)

こうしてクランフは日中は木材会社で働き、夜は電車代節約のため、片道6.4キロの道のりを歩いて夜学に通った。 事業での成功とロータリー入会 こうしてクランフは日中は木材会社で働き、夜は電車代節約のため、片道6.4キロの道のりを歩いて夜学に通った。 優秀だったクランフは1898年、29歳の時に、この木材会社の社長に抜擢され、1912年には、単独オーナーとなり、同社を米国中西部の建材事業の大手に育て上げた。 1910年12月1日、新しくクリーブランドRCが結成された。 クリーブランドRCに創立会員として迎えられた。  

アーチ・クランフの横顔 彼は18歳の時、独学で フルートを学び、3年後に はクリーブランド管弦楽団 で演奏するほどになり、14 年間(32歳まで)彼は副業 としてつづけた。 のちに、彼はクリーブランド 交響楽団の設立と運営に も貢献している

ロータリー財団の創立

寝ても覚めてもロータリー“thinks Rotary, sleeps Rotary, and dreams Rotary” クリーブランドRCの4代目会長(1913-14年) としても活躍し、『寝ても覚めてもロータリー』と自 称するほどロータリー活動に打ち込み、クラブ会長 として最後の演説で『クラブが今後多くのことを できるように、緊急基金を設けよう』と提案した。

国際ロータリークラブ連合会の理事に選出(45歳) 初めて出席した執行委員会で、ペリー事務総長か ら連合会が破たんしてると告げられる。 国際ロータリー会長に 1914年  国際ロータリークラブ連合会の理事に選出(45歳) 初めて出席した執行委員会で、ペリー事務総長か ら連合会が破たんしてると告げられる。  その後理事会は、一回限りの寄付を募り、1916 年大会までに、17000ドルを上回る黒字になった  ヨーロッパで第一次世界大戦の戦火が激しくなる 中、1916年-17年度の会長に選ばれた。                         (47歳)

クランフによるRI改革案 また、クランフは全ロータリークラブの標準定款を起草する委員 会委員長として、活躍し、ロータリー世界を地区に分割するコン セプトを生み出し、地区ガバナーの役職を創設し、地区大会の プランを立案した。 1917年の大会で発表しようとしていたプラン:  地区ガバナーの任務と活動 地区大会における重要性 クラブにおける社会奉仕の在り方 拡大 ロータリー基金の必要性 ロータリー教育。新会員入会時に最初に送るメッセージの提案を含む

アーチ・クランフの構想 “doing good in the world” 理事会で会長として、基金設立の提案をしたが、全く支持を得ることは出来なかった。 そこで、1917年アトランタでの大会で、このプランを大勢の前で披露した。 『我々は今年、ロータリーのために基金を作る可能性について、組織に呼びかけた。諸所の社会奉仕を今まで通りに実行していくには、慈善、教育、そのほかの社会的分野において、世界でよいことをするための(“doing good in the world”)基金を作るのが極めて適切であると思われる』  

アトランタ国際大会(無声映画)

始まりは26ドル50セント しかし、このクランフの呼びかけに対する周囲の反応は、全くの無関心であったと言われている。 当時、退任するRI会長に、功労に対する感謝の品をプレゼントする習わしがクラブにあった。1918年の国際大会はカンザスシティー。 クランフ会長への贈答品の購入代金に余剰が出たカンザスシティーRCは26.5ドルをロータリー本部に送り、クランフ会長が提案した基金に入れるように要請した。 こうして最初の種がまかれ、ロータリー基金が誕生した。

しかし、6年たっても基金の残高はやっと700ドルに達したに過ぎなかった。(約140万円) 11年後の1928年ロータリー財団が設立された 財団創成期の状況 今の貨幣価値に換算すると 536ドル 日本円に換算すると  53,600円 しかし、6年たっても基金の残高はやっと700ドルに達したに過ぎなかった。(約140万円) 11年後の1928年ロータリー財団が設立された しかし、元会長のうち誰一人として、財団のために力を貸そうという人はいなかった。とはいえ、断固反対する人もいなかった。

財団はクランフのたわいない夢? 『財団はクランフのたわいない夢だ』と述べる、心なく、 不当で、不誠実なロータリアンが時々いることは残念 (1934年のアーチ・クランフの書簡) それくらい無視された存在。 8年間事実上、クランフの個人的プロジェクト 1924年   ロータリー救援資金の残金500ドルを基金に繰入 1928年  ミネアポリス大会   ロータリー財団設立 管理委員5名 5年任期   クランフが初代委員長  1929年末 5739ドル残高  

はじめての補助金支給 1930年 エドガー・アレン『オハイオ州、エリリアRC』 の設立した障害児協会に初の補助金を送る 1930年 エドガー・アレン『オハイオ州、エリリアRC』   の設立した障害児協会に初の補助金を送る 平和と親善を推進する国際奉仕への認識を高めるための小論文コンテスト(ウィーンの高校生対象)500ドルの賞金 マサチューセッツ州 ボストンでも同様のコンテスト 1932年 アンダーソン会長 ロータリー財団推進員会設置 シカゴで、ペリーを会ってRI本部に財団の事務室を希望が   拒否され、自分のクリーブランドの事務所で自費で賄う 

国際奉仕を行う為の補助金 クラブが国際奉仕を行うための手段として財団が注目されるようになる。 1936年 国際理解の推進のために、国際理解研究所を設立。著名な作家、経済学者、政治家、コメンテーターを招聘し、一般市民と市民会合を実施。 マニラRCには2,000ドル 戦火に苦しむベルギー、フィンランド、オランダの国民に 寝具や食料を送りための資金 1945年 国際連合設立のためのサンフランシスコ会議にロータリーは招致された。

高等教育のためのロータリー財団奨学制度の拡充 未開催国への国際理解研究 会の拡大 1946年 ロータリー財団の目的が変更 高等教育のためのロータリー財団奨学制度の拡充 未開催国への国際理解研究   会の拡大 各国と国民の間に国際理解と友好関係を進めることを目的とした、確実で効果的なプロジェクトの育成 戦争や災害により破壊や損害を被ったロータリアンと家族のための救済方法の準備

ポール・ハリス逝去 1947.1.27  享年 78 歳 長年病気に苦しんでいたハリスは、没後記念碑などを建てずに、葬儀に花を手向けることも遠慮してほしいと遺言し、その代わりに、国際理解を進めるための寄附をしてほしいと頼んだ。  1947年末までに130万ドル以上の寄付。  

奨学金制度の導入と緊急支援に活用 財団資金は初の奨学金制度の導入と大戦ですべてを失った人々の緊急支援に活用された。 1945年8月から1947年2月までに、ロータリー財団はヨーロッパ各地に住むロータリアンとその家庭に、食料、衣料品など37,000ドルの資金を投じた。 1946年 高等教育のための財団フェローシップを承認。のちの国際親善奨学金。 1年目20,000ドルの10口の奨学金。 2年目 1947年には60,000ドルとなり、ポールハリス財団高等教育フェローシップとなった。

親善奨学生の誕生 その後の40年間、奨学金はもっともよく知られた財団のプログラムとなり、国際理解と親善というロータリーの目的を推進する学生のネットワークを築いていった。   そして、ロータリー財団奨学生の多くが、商業、外交科学、教育、ジャーナリズムなどの分野で著名な リーダーとなった。 緒方貞子さん 1951年 ワシントン州 ジョージタウン大学 1956-57年には、30か国の116名が23か国へ留学

ロータリー財団学友 ロータリーは、現在もまだ続けているコースに私を 乗せてくれました。 もし私が国際親善奨学生とし 乗せてくれました。 もし私が国際親善奨学生とし てアメリカの大学に行かなかったならば、国際理解 の研究に従事しようとは思わなかったでしょう。                                           緒方貞子                                            元国連難民高等弁務官                           ロータリー財団奨学生                       (1951~52)2期生 日本女性ではじめての奨学生

「ロータリー財団100周年学友世界人道奉仕賞」 受賞者: 緒方貞子氏 (1951年2580 地区:東京RC) ロータリー財団100周年記念シンポジウム 国際人道支援の第一線で活躍する ロータリー財団学友の報告 2016年11月27日(日)13:30-16:30 場所:JPタワー・KITTE4階 国際ロータリー会長 ジョン・ジャーム氏 「ロータリー財団100周年学友世界人道奉仕賞」 受賞者: 緒方貞子氏      (1951年2580 地区:東京RC)

財団100 周年記念シンポジウム 司会 榎原美樹 NHKワールドニュース部編集長 シンポジスト   榎原美樹 NHKワールドニュース部編集長         1984 年国際親善奨学生 豊中RC (2600 地区) シンポジスト   中満 泉   国連開発計画危機対応局長 国連事務次長補          1987 年国際親善奨学生 厚木RC (2780 地区)   日比恵理子 国連食糧農業機関シリア事務所長          1988 年国際親善奨学生 東京西南RC (2750 地区)   赤阪陽子 国連難民高等弁務官事務所ダマスカス上級フィールド調整官          1992 年国際親善奨学生 富田林RC (2640 地区)   阿阪奈美 国連難民高等弁務官事務所スーダン保護官          2005 年国際親善奨学生 東京中野RC (2580 地区) 東京セントラルパークRC   金子由佳 日本国際ボランティアセンターパレスチナ駐在          2010 年平和フェロー 熊谷東RC (2570 地区) 中村 恵 国連UNHCR協会団体統括          1983 年国際親善奨学生 松戸東RC (2790 地区)

1957年 ポールハリスフェロー 認証プログラム 初期のメダル 1981年恒久基金設立 ポールハリスフェロー認証プログラム 1957年 ポールハリスフェロー 認証プログラム 初期のメダル 1981年恒久基金設立

貧しい生い立ちながら、事業で成功し、材木協会 と建設業協会の会長や、多くの市民団体の会長 を務め、二人の義理の息子をクリーブランドRC クランフの死去 クランフは1951年6月3日に82歳で逝去。 貧しい生い立ちながら、事業で成功し、材木協会   と建設業協会の会長や、多くの市民団体の会長 を務め、二人の義理の息子をクリーブランドRC に入会させ、現在も続く標準RC定款を考案した。 彼が他界したときは、300万ドルに達していた。                         (170億円程度か)                    1964-65年 年間寄付 100万ドル突破 

1963-64 RI会長カール・ミラー カール・ミラー会長(1963-64) 国際奉仕を促進するため、異なる クラブと地区を組み合わせて国際 1963-64  RI会長カール・ミラー   国際奉仕を促進するため、異なる クラブと地区を組み合わせて国際 理解を推進するプログラム。  のちに、国際奉仕プロジェクトの支援を 目的にミラー夫妻が100万ドルを寄付。 1990年代のカールミラー助成金は奉仕 プロジェクトに必要な旅費を助成した。 2003―04に廃止 カールミラーの発案で、異なる国のクラブと地区を組み合わせて国際理解を推進するプログラムが開発。 のちに、国際奉仕プロジェクトの紫煙を目的にミラー夫妻が100万ドルを寄付。1990年代のカールミラー所資金は奉仕プロジェクトに必要な旅費を助成した 2003~04に廃止

② 技術研修のための補助金(職業研修奨学金) ③ 特別補助金(ロータリー財団の目的を果たす活動 のための補助金)、後のマッチング・グラント 新たな3つのプログラム 当時、一番大規模な財団プログラムは奨学金のみ 1965-66年財団は新たに ① 研究グループ交換(GSE) ② 技術研修のための補助金(職業研修奨学金) ③ 特別補助金(ロータリー財団の目的を果たす活動    のための補助金)、後のマッチング・グラント 以上の3つのプログラムを開始。

3Hプログラム(Health , Hunger and Humanity)の開始 1978年 レヌーフ会長エレクト(当時)    3Hプログラム提唱   保健、飢餓、人間尊重 1979年 ロータリー誕生74年目      ポリオ予防接種 76万ドル 630万人接種    3Hプログラムの第1号 1980年 3Hプログラムの目標設定  ・保健 ・・・・・第1優先はポリオ、第2は基本医療と保健教育、           第3はリハビリ  ・飢餓追放・・・第1優先は水資源、第2は農業  ・人間尊重・・・第一優先は識字率、第2は職業訓練、           第3は緊急援助

1985年 全世界でポリオの撲滅をめざす「ポリオプラス・ 3Hからポリオプラスプログラムがスタート 3Hプログラムの目的は国際間の理解、親善平和を 推進するための方法として、人々の健康状態を改善し 飢餓を救済し、人間的社会的向上発展を図ること。 1985年 全世界でポリオの撲滅をめざす「ポリオプラス・   プログラム」がスタート。 2000年    WHO西太平洋地域37の国と地域をポリオフリー 2002年    大西洋から中央アジアに及び欧州地域もポリオフリー 1985年来、20億人の子供にポリオ接種

1987~88年 初めての平和フォーラムが開催され、これが 「ロータリー平和フェローシップ」創設のきっかけ (2002~2003年度) ポリオプラスの推進と新しい補助金モデル 1987~88年 初めての平和フォーラムが開催され、これが   「ロータリー平和フェローシップ」創設のきっかけ (2002~2003年度) 2013年   未来の夢計画がスタート 世界中のロータリアンがグローバルなニーズに応えられるよう、新しい補助金モデル(地区補助金、グローバル補助金、パッケージ・グラント)を導入

ロータリー財団誕生の歴史的背景

クラブ会長としても『クラブが今後多くのことを できるように、緊急基金』を提案(集団奉仕) 社会奉仕を今まで通りに実行していくには、 ロータリー財団誕生の背景 1914-18年 第一次世界大戦 1914年 国際ロータリーの資金的危機    加盟クラブに一回限りの寄付を依頼 クラブ会長としても『クラブが今後多くのことを   できるように、緊急基金』を提案(集団奉仕) 社会奉仕を今まで通りに実行していくには、   国際ロータリーも、慈善、教育、その他の社会的分野において、世界でよいことをするための 基金を作る必要性(集団奉仕のための資金の必要性)

ライオンズの誕生 1917年6月 メルビン・ジョーンズ シカゴに住む保険代理店 38歳 ライオンズのモットー “We Serve” 1917年6月 メルビン・ジョーンズ シカゴに住む保険代理店 38歳 ライオンズのモットー “We Serve” (元ダラスRC会員と言う説) 実業家の昼食会グループ「ビジネス・サークル」に加入 し、まもなくその幹事に選ばれました。このグループは 会員の職業的利益を高めることを唯一の目的として 当時多数存在したグループのひとつでした。 ポール・ハリスの末弟レジナルド・ハリス Reginald Harris は 1886 年の生まれですから 18 歳年下の弟ということになります。 ライオンズの文献によると、1905 年 2 月 23 日に開かれたロータリー 最初の会合には、19 歳のレッグが参加していたという記載がありますが、 真偽のほどは明らかではありません。レッグは第一次世界大戦に従軍後、 ワイオミング大学を卒業し、1926 年から 29 年まで同大学で経営学の教 鞭をとり、同時期にララミー・ロータリークラブの会員となって、副会 長を務めます。 さらに、1929 年から国際ロータリーの事務局に勤めますが、1933 年 に突然ロータリーを去って、ライオンズに入り、第 4 地区幹事としてカ リフォルニア、ネバダ地区のライオンズ組織拡大に大きく貢献します。 ポール・ハリスが亡くなる 5 日前の、1947 年 1 月 22 日午後 4 時 30 分の消印のある、ポール・ハリスがレッグ・ハリスにだした手紙が残っ ています。その宛名は、サンタバーバラの国際ライオンズ事務局気付け となっています。 レッグは 1954 年にライオンズを去り、1958 年 72 歳でこの世を去り ました。 次のライオンズの文献は、レッグがライオンズを退会するに当たって、 ライオンズ第 4 地区ガバナーから寄せられた感謝文だと思われます。な お、この文献は、江北クラブの飯塚悟朗氏から寄せられたものを、私が 翻訳したものです。 有名なサレムの魔女狩が盛んであった頃、レッグ・ハリスはあいに く、そこには居合わせてはいませんでしたが、彼の祖先がそこにいた可能性は充分考えられます。レッグは生粋のニューイングランドの血を引いているのです。彼の先祖が魔女狩りをした方かされた方かは別にして国際ライオンズ第 4 地区が、幹事として、この敬慕すべき紳士を擁して いたことは、紛れもない事实です。 レッグの先祖もまた、ニューイングランドとカリフォルニアの二足の草鞋を履いた今日の彼という偉大なる人物を産み出すために、カリフォ ルニアの地に入植したのです。 伝えられるところによると、レッグの祖父は 1849 年早々に、カリフ ォルニアのレッドウッドの事業に投資しました。不運だったのは、当時家族が持っていた全ての資金をその投資に注ぎ込んだことでした。しか し、投資家である不運な祖父の兄弟は、カリフォルニアの初代法務長官 という政治的な名声を築くことになります。 我々の愛すべき地区幹事が、アメリカの他の場所ではなく、個人的に この場所を選び、このカリフォルニアに居を定めたのは、1936 年になっ てからのことです。もちろん、レッグは、国際ライオンズによってこの 地に送られたのですが、当時、彼は、不況のために危機的状況にあるク ラブを強化したり、消滅したクラブから連合会の会費を取立てたりする 仕事を手伝っていました。 瀕死のクラブを看取るという経験を通じて、レッグは、もしも彼がそ うすることが出来る立場にいるのなら、ライオンズ精神を適切に備えた 上で設立するように提案したのにと、財産を管理下において解決を図る ことに強い反発心をつのらせていきました。 レッグは、第 4 地区の幹事として、今日に至るまで、びた一文の報酬 も取らずに、銀行の口座を充分管理しながら余剰金を積み立てることを 始めて、ガバナーに大きな影響力を与えました。今は、代々の理事会の 協力のもとに、レッグがこの資金を慎重に管理すると共に、それを増や していったので、私の知る限りでは「彼」の地区が健全な状況にあると いうことは、彼にとって幸せなことです。 第4地区における財政的な支払能力と信用を回復すると言う願望を達 成することは、批判され、嘲笑され続けたレッグにとっては容易なこと 116 ではありませんでしたし、このことは、レッグやずっと彼と意見が一致 しなかった人たち双方にとって、忘れることのできないことでした 第 4 地区において彼が 17 年間にわたって奉仕をしている間に、レッ グは、比較的小規模だったライオンズの地域から、約 600 のクラブと 30,000 人の会員を擁する、国際ライオンズの中でも指導的立場にある地 区の一つに成長させたのです。 最初のうちレッグは、クラブの組織を作ったり、クラブの仕事を手伝 ったりしていましたが、地区が後援している数多くの慈善活動をやり遂 げるのを手伝うために、地区事務局の仕事が、非常に重要になってきた ので、常勤の幹事にするように要求しました。 我々の忠实な幹事は、「摩擦は行動を起こしたからではなく、それを 途中で止めることにある」と熱っぽく語り掛けています。 他の地区と 同じように、第 4 地区の中にある 11 の分区のそれぞれが、調和と友好 を保っているのは、レッグに対する真の信頼が本物であった証拠です。 第 4 地区が強固で力強く結び合っているのは、レッグ・ハリスのたゆ まぬ努力によるところが大です。 レッグの履歴を振り返ってみると、彼は第 1 次世界大戦に際して軍人 であったことが分かっています。郵便局長、商人、ワイオミング大学の 経済学と政治学の教授であり、学士号および修士号を持っています。 最も愛すべきライオンズ精神を持った幹事は、たまたま入った奉仕ク ラブの活動に対しては、活動的にはなれませんでした。レッグの兄ポー ルは、1905 年にシカゴでロータリーを創立した人であり、当時 19 歳の 若者であったレッグは、ロータリーが誕生した事務所に居合わせた五人 のうちの 1 人でした。 1927 年から 1932 年までの間、レッグはロータリーの場で働きました が、「勝ち馬に賭けること」を欲した彼は、ライオンズに移籍し、それ 以来、私達と共にあるのです。 カリフォルニアとネバダにおけるライオンズが、ひときわ目立つ存在 117 になった功績の多くは、レッグ・ハリスのなせる業です。これらの二つ の州における、600 以上にものぼる地域社会で、ライオンズが实践して いる偉大な慈善活動の功績の多くは、彼のなせる業です。彼らの故郷を より住み易い場所にしようという一つの目的に結集させて、これらの二 つの州の人たちを、一つの大勢の仲間のグループに融和させた功績は、 レッグのなせる業です。 もしも誰かが彼になり代って、椅子に座り、彼の目と心を通じて、彼 が過ごしてきた過去を振り返って見るために、彼の生涯の光景と活動を スクリーンに映し出したとしたら、レッグの目を通じて、世界のライオ ンズが、おむつをしたよちよち歩きの子供から、誰にも負けない勢力を 持ち有用で活動的な大人に成長したライオンズ精神を、目のあたりにす ることができるに違いありません。 第 4C-1 地区ガバナー、スタンレー・ウエークフィールドおよび全役 員、国際ライオンズ・カウンセラー、2,900 名のライオンズ会員は、謹 んで、レッグ・ハリスに感謝の意を表明いたします。 2000 年 11 月 27 日

「私たちは、自分のためだけに生きるべきではありません。誰かのために“よいこと”をする喜びのために生きるべきです」 ロータリー財団100周年 「私たちは、自分のためだけに生きるべきではありません。誰かのために“よいこと”をする喜びのために生きるべきです」 (ロータリー財団創設者 アーチ・クランフ)

アーチ・クランフ語録  『ロータリー財団は、レンガや石の記念碑を建てるものではない。たとえ、大理石に碑銘をきざんだとしても、やがてはくずれてしまうだろう。真鍮を使ったとしても、いつかは汚れてしまうだろう。 だが、心の中に碑銘をきざむなら、そしてロータリー精神と、神をおそれ同胞を愛する気持ちを吹き込むならば、われわれがきざんだものは永遠に輝き続け、文明の続く限り、ロータリーを不滅のものとするだろう。』     ロータリアン誌 1929年4月号

2017年アトランタ国際大会

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