2010-05-13 駒澤大学 経営学部経営学科 3年 中澤 明日香 プロ野球 ドラフト会議 2010-05-13 駒澤大学 経営学部経営学科 3年 中澤 明日香
調査理由 普段何気なく観ているプロ野球。選手た ちはどのように球団をきめているのかと、 考えたときドラフト会議が思い浮かんだ。 しかし、ドラフト会議がどのようなものなの かということを知らなかったので、これを 機に調査することにした。
ドラフト会議とは… 日本のプロ野球において、新人選手獲得 のために行われる会議である。正式名称は 新人選手選択会議という。 日本のプロ野球において、新人選手獲得 のために行われる会議である。正式名称は 新人選手選択会議という。 ドラフト会議では、新人選手選択会議規 約第1条に定められた新人選手が対象とな る。すなわち、過去に日本プロ野球の球団 に入団したことがない選手のうち、日本国 籍を持っている、もしくは日本の中学校、 高校とこれに準ずる学校、大学とこれに準 ずる団体のいずれかに在学した経験をもつ 選手である。
ドラフト会議の歴史 Wikipedia より 1964年 パ・リーグオーナー懇談会において当時の西鉄ライオンズ社長の西 亦次郎がアメフト に倣ったドラフト制度導入を提案。 1965年11月17日 第1回ドラフト会議が開催 1967年 それまでの名簿を提出する制度は廃止 予め抽選で決めた指名順に基づいて順番に選手の指名を行う 1993年 「逆指名制度」が導入 2001年 逆指名に代わり、「自由獲得枠」が設けられた。 2005年 自由獲得枠は「希望入団枠」に改められた。 2007年 西武ライオンズの裏金による不正が発覚 希望入団枠の廃止 2008年 高校生選択会議と大学・社会人選択会議が再び統合され、一括開催となる。
ドラフト会議の制度の変更点 自由獲得枠 通常の選手指名 2001年~2004年 2005年~2006年 自由獲得枠 ドラフト会議以前に各球団2名 までの選手を契約締結内定選手 として自由に獲得することがで きる。 通常の選手指名 各球団は獲得を希望する選手が いなくなった段階で選択の終了 を宣言し、それ以後の指名に参 加することはできない。 自由獲得枠を撤廃 完全ウェーバー方式に 2004年に明治大学の一場靖弘 に対し、いくつかの球団の関 係者が自由獲得枠での獲得を 目指して裏金を渡していた問 題が発覚した。この事件の元 凶は、上に示した当時のドラ フト制度にあるとされ、これ を改めることになった。
ドラフト会議の記録 最多球団指名競合選手 8球団 野茂英雄、小池秀郎 最多球団指名競合高校生選手 7球団 福留孝介 最多ドラフト1位指名回数選手 3回 江川卓 最多ドラフト指名回数選手 5回 藤沢公也 最多ドラフト指名回数プロ入団拒否選手 4回 藤沢公也 最年長指名選手 30歳5ヶ月 市村則紀 最年少指名選手 15歳10ヶ月 辻本賢人 最下位指名選手 1965年広島18位 下村栄二
ドラフト会議の進め方 各球団は獲得を希望する選手がいなくなった段階で選択の終了を宣言し、それ以降の指名 に参加することはできない。 ウェーバー方式で用いられる「球団順位の逆順」とは、会議1週間前におけるペナント レース順位の逆順となる。セ・パ両リーグの同順位球団の先順については、以下により 決定する。 1、会議開催年度のオールスターゲームに勝ち越ししたリーグ 2、1で決定できない場合、会議開催年度のオールスターゲームの得失点差が優位のリー グ 3、1・2で決定できない場合は、抽選 1巡目は入札抽選である。つまり、参加する全球団が同時に選手を指名して、指名が重複 した場合には抽選を行う。抽選に外れた球団については、抽選に外れた球団のみで再度入 札抽選を行い、全球団の1巡目指名選手が確定するまでこれを繰り返す。 2巡目は「球団順位の逆順」にウェーバー方式で選択。 3巡目は2巡目と反対の順番で選択。 4巡目以降は、ウェーバー方式と逆ウェーバー方式を交互に行い、全ての球団が選択の終 了を宣言するまでこれを続ける。
2009年 各球団の1巡目指名
西武の渡辺監督が菊池雄星の交渉権を獲得した
自己分析・まとめ 自己分析 まとめ 社会人野球のリーグ戦 などにも、プロのスカ ウトは観に来ていた。 ドラフト会議前に情報 を集めることも欠かせ ない ドラフト会議の進め方 ややり方はコロコロ変 わっている。 監督のくじ運もドラフ ト会議では重要なもの である。
2009年ドラフト会議で入団した注目選手 中澤 雅人 投手 中澤 雅人 投手 トヨタ自動車 東京ヤクルトスワローズ 1巡目 指名 球団では石川雅規以来8年ぶり、2010年の新人で最初に勝ち星を挙げた投手となった。4月23日の横浜戦では、球団では山部太以来16年ぶりとなる新人での完封勝利を記録するとともに、打撃でも3安打を放ち、チームでは1969年の藤原真以来41年ぶり、日本のプロ野球全体で見ても1972年の山本和行(阪神)以来38年ぶりとなる新人投手の猛打賞を達成した。
参考文献・画像引用 Wikipedia プロ野球ドラフト会議 ドラフト会議の様子の画像 毎日jp(毎日新聞) より 中澤投手の画像 毎日jp(毎日新聞) より 中澤投手の画像 産経ニュース より
おわり ドアラ