スミス、バベッジ、ミル、マルクス 林晋
バベッジをマルクスにつなげる マルクスは、資本論などで、このバベッジの分業論を繰り返し引用している。 マルクスは亡命先であった英国の産業を詳しく研究した。 バベッジが「労賃、労力の節約」としてmanufacturer 側からポジティブに評価した部分が、マルクス経済学では、労働者の搾取、疎外として、否定的に理論化されていく事となる。 以下,バベッジやマルクスを取り巻いていた時代状況を検分しつつ、マルクスとバベッジの関連を、マルクスの著作や、この両者の関係についての経済史などの研究を引用しつつ説明する
イギリス産業革命の時代と人物 19世紀 アダム・スミス「国富論」 1776年刊行 1807: フルトンの蒸気船実験 アダム・スミス「国富論」 1776年刊行 1807: フルトンの蒸気船実験 1814: スチーブンソンの蒸気機関車 1810年代:ラッダイト運動 1830年:リバプール・アンド・マンチェスター鉄道開業 1832: バベッジ On the Economy of Machinery and Manufactures, 1832 1848: ジョン・スチュアート・ミル , Principles of Political Economy with some of their Applications to Social Philosophy 出版. 1857-58: カール・マルクス 経済学批判要綱(Grundrisse) 1867: 「資本論」出版
分業を巡る4人の「経済哲学者」 経済史家N. Rosenberg “Charles Babbage: pioneer economist”、「チャールズ・バベッジ:経済学のパイオニア」(1992初出) この本に収録。 最近,バベッジは「コンピュータのパイオニア」として再発見されたが,彼は産業革命発展期における「技術革新の経済学」のパイオニアとしても再発見されなくてはならない. バベッジはアダム・スミスの分業論にない新要素を分業論に加えた. そして,その部分が,後のミル,マルクスの分業論に影響を与えた.特にマルクス経済学への影響は大きい. マルクスは,Grundrisse や資本論で盛んにバベッジを引用するだけでなく,その概念,問題意識などにバベッジの影響を受けたと思われる.例えばマルクスの「機械」の定義は,バベッジの定義に似ている. バベッジのブルジョワジー的観点を逆転したものがマルクスの思想 スミスは中立的ともいえる.
スミスの分業論 分業は生産力の増強に三つの長所を持つ. 労働時間の短縮は余剰時間であり,それにより発明が導かれる. 職人個々の技能増進 仕事から別の仕事に切り替えるための時間の節約 労働を促進し労働時間を短縮し,さらには生産性を高める機械の発明に寄与する 労働時間の短縮は余剰時間であり,それにより発明が導かれる. 専門化も社会レベルでの分業である 分業は国民の全ての層を豊かにする. スキルがないものにも職が生まれる. 生産物が増え,貧困層にも物品が行き渡る.
バベッジの分業論 以下、ローゼンバーグの議論: 多種類の労働を独りの人が行うような労働形式では,分業に比べて労賃がムダに払われる,ことをバベッジは指摘し,スミスは,これを見落としていた.以下説明: 例えばピンを尖らせる工程は週2ポンドの給与で十分な職人でもできる.しかし,ピンを鍛錬し焼入れする工程は週5,6ポンドの給与の職人でないと行うのは難しい. もし,独りの職人に両方の仕事をさせるとすると,その職人は後者の仕事をできないといけないから,6ポンドの週給を必要とする.しかし,その職人に週2ポンドの仕事もさせることになるので,その仕事の部分では4ポンド余分に払っていることになる. これはムダである.その労働の部分は「分割」して週休2ポンドのものにさせればよい.
バベッジの原理 より高いスキルを必要とする労働者の労働時間は,より少なくなるようにすれば,製造業者は,より高い利益をあげることができる. この原理がバベッジの分業論の内,後世に影響を与えた最も重要なポイントであり,特にマルクスが影響を受けた.
マルクスの分業論 スミス,バベッジ,特にバベッジの論点を「裏返した」ものがカール・マルクスの経済学の論点だった 例えばスミス,バベッジにおける「繰り返しによる熟練」は, 「繰り返しによる疎外」と理解される. マルクス: 疎外 Entfremdungは神学などにも関係する哲学用語だが,マルクスは「人間が機械のようになる」「物のようになる」というような意味に使った. 同じことの繰り返し仕事だと,人間は機械のようになってしまい,その労働は人間性を無視したもの(INHUMAN)となる.
マルクスとバベッジ マルクス: 疎外 Entfremdungは神学などにも関係する哲学用語だが,マルクスは「人間が機械のようになる」「物のようになる」というような意味に使った. 同じことの繰り返し仕事だと,人間は機械のようになってしまい,その労働は人間性を無視したもの(INHUMAN)となる. バベッジ: スミスは繰り返しにより技術の熟練が見られるとしたが,実際には,有る程度の期間を過ぎると技術の熟練カーブが一定の値に漸近してしまい,改善がみられなくなる.これは,実際の工場での実例から経験的に知られる.(バベッジは,多くの工場を調査したことで知られている.) たとえ,知的な仕事であっても機械で置き換えることができる.機械的な仕事は機械にさせればよい.なぜなら給料が必要なくなる.
マルクスとバベッジ(2) マルクスにとっては「スキルが高く労賃も高い労働者の数は減らすべきだ」というバベッジの原理は,「スキルが低く労賃も安い労働者を大量に雇え.つまり,多くの労働者は低賃金で疎外された状況で働かせよ」と解釈される. バベッジが彼の蒸気コンピュータのモデルとして使ったド・プロニーの計算チームにおける「知的労働の分業」は,3層の「階級」に分かれていた. Google, Yahoo などの創業者にもあたる,ビジネスの方式(ビジネスモデル)を考えた数学者のような人たち(Google の創業者の二人, ペイジとブリンは二人とも応用数学者),そして,それを実行に移す技術者たち(Google が抱える技術者),さらに,それを実行する髪結いたち(Google では巨大データセンターの膨大な数のコンピュータ、Amazon FC ならばピッカー).
マルクスとバベッジ(3) マルクス理論では良く知られたプロレタリアートとブルジョワジーの階級概念がある. さらに資本論に先立つ Grundrisse(経済学批判要綱)と呼ばれる草稿群には,イタリアの左翼思想化ネグリたちにより “Fragments of Machines”と呼ばれている技術論の断片があり,そこに general intellects という用語が現れる. Grundrisse はドイツ語で書かれているが,この general intellects の所だけはなぜが英語なっている.これは資本主義の最終的段階の競争の行方が実は貨幣資本より,知的資本,つまり,科学技術などの知識の蓄積あるいは,それを担う人々 general intellects により決定されると読めるので, 世界の現状からすると興味深い! そして, これはバベッジの「余剰時間による技術革新の重要性の強調」を更に推し進めた考えと理解できる.(バベッジの余剰時間とGoogle20%ルール)
マルクスは如何に間違ったか? スミス、バベッジ、マルクスの「分業論の系譜」は,現代の大量の非正規雇用者あるいは低賃金労働者と,一部の「天才的スーパーリッチ」(メトロポリスの悪夢?)という,IT資本主義社会を連想させるものになっている.これは「歴史のルール」の結果なのだろうか? 現代社会はマルクスが説いた悪としての資本主義に支配された絶望的社会か? ベルリンの壁崩壊後、マルクス主義国家はほぼ絶えた。 「メトロポリス」のシフト交替シーンは滑稽にさえ見える。 北京五輪の人間マシーンたちの溌剌とした笑顔。 確かに、MPのバイトでの話や2ちゃんねる素人倉庫のアマゾンFC評にあるような非人間性の実感もある。 しかし、「メトロポリス」が描くような「実感」は現代日本には多くはない。
マルクスからウェーバーへ 経済から社会へ マルクスを持ち出せば、もうひとりの巨人,社会学者マックス・ウェーバーの説について考えねばならない. マルクス:1818-1883 ウェーバー:1864-1920 ウェーバーはマルクスが,殆ど経済的原理で社会の動向を予想したのに対し,宗教などの文化的エトスを社会・歴史法則の中に持ち込んだ。 例:「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」. MPにあった「啓蒙が資本主義とセットになっている」というような考え方。 経済活動をシステム(機械)としてみて、それを担う「部品としての人間」の「行動の傾向」の経済活動への影響を見る立場。 ↑これは林の解釈。ウェーバーが「部品としての人間」と言ったのではない。 補足説明:林はウェーバー・リッツァー(George Ritzer)の「形式合理性の追求=現代性」の議論の、「形式合理性」の部分を「機械的化」(機械かその部品のように形式的ルールに従うこと)と解釈している。そのため、それを担う人間を「部品」と解釈する。