独立戦争と六日戦争 イスラエル・アラブ紛争史①.

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Presentation transcript:

独立戦争と六日戦争 イスラエル・アラブ紛争史①

目的 現在ニュースで見聞きする中東情勢に対する理解を、イスラエル・アラブ紛争史を辿って得る。 その歴史から、私たちが信じている聖書預言の正しさを確認する。

独立戦争(1948‐1949)

背景① ユダヤ人の帰還(アリヤー) 19世紀後半以降、イスラエルの地にアリヤーの波。 農業 土地購入 キブツ、ユダヤ人のみ受容。 背景① ユダヤ人の帰還(アリヤー) 19世紀後半以降、イスラエルの地にアリヤーの波。 農業 土地購入 キブツ、ユダヤ人のみ受容。 働けないアラブ人が反発 19世紀後半以降、イスラエルの地にアリヤー(帰還)の波が始まった。彼らは農業を営み、そのためユダヤ民族基金などを通して土地を購入、このユダヤ人の存在に対してアラブ人が反発。 キブツ(集団農場)は、ユダヤ人のみを受け入れた。(外国人に頼らず、自分たちの手を汚して労働しなければいけないという考えから。)ところが、アラブ人はそれで労働機会を得られなかったので、かえって反発した。

背景② ユダヤ人国家 シオニズム:ユダヤ民族が主権を持つ国家 アラブ人:ユダヤ人が二流市民であるかぎり生存権を認める。 シオニズムの提唱者 背景② ユダヤ人国家 シオニズム:ユダヤ民族が主権を持つ国家 アラブ人:ユダヤ人が二流市民であるかぎり生存権を認める。 シオニズムは、単にユダヤ人がイスラエルに住むこと(自治)だけではなく、長年の離散の歴史から、ユダヤ人が主権を持つ国家の必要性を唱えていた。 対外的にも、内部でも、国家建設のための準備を、政治的に、制度的に進めていた。 アラブ人は、従来、自分たちの主権下にユダヤ人がいる限り、その存在を認めていたが、ユダヤ人が独立することは到底受け入れがたいものであった。 シオニズムの提唱者 「テオドール・ヘルツェル」

アラブ人暴動 ユダヤ人、民兵による自衛を開始。 ヘブロン虐殺の後で嘆く人 初めは散発的に起こっていたユダヤ人への襲撃は、ユダヤ人帰還の急増によって激しさを増した。 ユダヤ人側も民兵による自衛を開始。ハガナー(後のIDF)を形成した。 ヘブロン虐殺の後で嘆く人

国連総会分割決議案 (1947年11月29日) ・ユダヤ人国家とアラブ人国家 ユダヤ側受け入れる アラブ側は拒否  アラブ側は拒否 委任統治していたイギリスが、国連にパレスチナ領を明け渡すことに。総会にて、ユダヤ人国家とアラブ人国家を分割する決議を採択。 ユダヤ側は、分割されたことは不本意ながらも受け入れ、二千年後の再建を喜ぶ。アラブ側は、完全に拒絶。

ユダヤ人とアラブ人の差異 ユダヤ側:土地が少なくても国が欲しい。 アラブ側:土地が少なくても独立は許さない。 離散における苦難から アラブ側:土地が少なくても独立は許さない。 民族の誇りとイスラム教の勝利主義から

内乱(1947-1948年) アラブ → ユダヤ ユダヤ → アラブ ユダヤ → 英国 ユダヤ人にとって課題 アラブ → ユダヤ ユダヤ → アラブ ユダヤ → 英国 ユダヤ人にとって課題 テルアビブからエルサレムへの補給道路 飛び地の入植地 ベン・グリオンは来る戦争への準備を本格的に開始させる。 アラブの暴動はさらにひどくなる。   (エルサレムのイスラム法官である、ナチスの友アミーン・フサイニーが主導。) ユダヤ人にとっての最大の課題は、テルアビブから各入植地への補給道路の防衛であった。特に、エルサレムの補給線確保をベングリオンは最優先させた。

アラブ側の動き アラブ側 アブド・アルカディール・フサイニ ゲリラグループ アラブ連盟 エルサレムを包囲する戦術。 アラブ側は、実際にパレスチナ領に住んでいるアラブ人のゲリラグループと、周辺諸国によるアラブ連盟の二つがあった。 アブド・アルカディール・フサイニは、エルサレムを包囲する戦術を取る。 Abd al-Qadir al-Husayni

ユダヤ人側の武器不足 武器保持自体が不法 武器商人:主権国のみへの武器売却 武器保持自体を、英国が不法扱いした。 外国での武器購入の際も、武器商人は主権国との取り引きを望んだ。 まだ主権国ではない。 主権を持った直後に戦うための準備

ナフション作戦 エルサレムへの補給線を遮るアラブ人の要塞を叩く レヒとイルグンにも協力要請 レヒとイルグンがデイル・ヤシーンを攻撃  → デイル・ヤシーン事件 エルサレムへの補給線を遮るアラブ人の要塞を叩く軍事行動。 成功するが、この時に人員不足で、ユダヤ人武装集団であるレヒとイルグンにも協力を求める。 その見返りに、レヒとイルグンがデイル・ヤシーンを攻撃する許可を求める。  → デイル・ヤシーン事件

デイル・ヤシーン事件 → パレスチナ難民の始まり アラブ人村民を無差別虐殺。 アラブ側、ひどく誇張して宣伝。 アラブ人たちは、敵愾心ではなく恐怖心を抱く。 アラブ人の村民を無差別虐殺。どのような被害状況だったかは、意見が様々。 しかし、パレスチナ・アラブ人はこれを内外アラブ世界にひどく誇張して伝えた。ところが、パレスチナ内のアラブ人たちは、敵愾心以上に恐怖心を抱いた。 → パレスチナ難民の始まり

アラブ側の敗因 アラブ連盟は、各国の利益のみ追求 まとまった戦略を持たず アラブ人一般民衆に、戦争の意義わからず。  まとまった戦略を持たず アラブ人一般民衆に、戦争の意義わからず。  「彼らは剣で同士討ちをするようになる。(エゼ38:21)」 ユダヤ人は全員が、その戦争の意義を知っていたのに対して、アラブ人は一部のみしか知らなかった。 アラブ連盟は、各国の利益ばかりを追求し、まとまった戦略を持つことはできなかった。 アラブ人も、またユダヤ人でさえ予測できなかった状況(例:デイル・ヤシーン事件)が、たくさん起こった。  「彼らは剣で同士討ちをするようになる。(エゼ38:21)」

独立宣言(5月14日) 英国がパレスチナ統治委任領から出ていく同日に宣言。 その後、24時間も経たないうちに、アラブ諸国の正規軍が侵入。

前日に・・・ 「クファ・エツィオン」 エルサレムとヘブロンの間にある入植地 アラブ正規軍が侵入。 エルサレムとヘブロンの間にあるユダヤ人入植地「クファ・エツィオン」に、アラブ正規軍が侵入。非正規軍も参与。 子供、女もともに殺される。 67年の六日戦争にて奪回、今は入植地の一つ。

アラブ連合の司令官? ヨルダンの国王アブドラ一世 司令官の地位を保持したいため、戦争開始。 後の首相ゴルダ・メイヤー女史が極秘訪問 戦争をしない見返りに併合 司令官の地位を保持したいため、戦争開始。 ヨルダンの国王アブドラ一世 彼の野望は、ヨルダン川西岸をトランスヨルダンに併合すること。後の首相ゴルダ・メイヤー女史が極秘訪問し、戦争をしない見返りに併合を取り付ける。 ところが、他のアラブ諸国の圧力で、司令官の地位を保持したかったので、戦争開始。

戦力差 アラブ連合軍: 15万人 ユダヤ人の民兵: 3万人 武器や戦闘機なども、ユダヤ側はあまりにも貧弱であった。

第一段階(5月14日-6月11日) ヨルダン軍が、東エルサレムを占拠。 イスラエル軍が、テルアビブとエルサレムをつなぐ「ラトルン」を奪還しようとしたが失敗。 ホロコーストの生き残り兵、死亡。 ヨルダン軍が、エルサレムを攻撃。東エルサレムを占拠。 イスラエル軍が、テルアビブとエルサレムをつなぐ「ラトルン」を奪還しようとしたが失敗。 ホロコーストの生き残りでやってきたばかりの帰還民がここで戦死。

休戦合意(6月11日-7月8日) 国連の停戦合意に、イスラエルとアラブ両者が合意。 イスラエル側に有利に → 既に購入していた武器がどんどん到着! 国連の停戦合意に、イスラエルとアラブ両者が合意。 イスラエル側:九死に一生を得た。戦況はイスラエルの全面的敗北に見えていた。 アラブ側:合意を拒否して、完全制圧するのが理にかなっていたが、当事者の意見がばらばらになり、合意してしまった。 → この間に、イスラエルは既に購入していた武器が、主にチェコスロバキアからどんどん到着!

戦闘再開(7月8日‐18日) ベングリオンは、アラブ側が停戦に合意しないように願っていた。この時点で停戦になれば、イスラエルの領土は極端に少なくなる。 アラブ側は、圧倒的に占領していたのに、なぜか停戦せず、再開させてしまった。 イスラエルは、休戦の間に軍を建て直し、ここから守りから攻勢へ。

軍事作戦 ダニ作戦:テルアビブ郊外のアラブ人の町 デケル作戦:下ガリラヤ地方 カデム作戦:東エルサレム奪回失敗 ダニ作戦: テルアビブからエルサレムに向かう際、要塞になっていたアラブ人の町を攻略。 デケル作戦: 下ガリラヤ地方を奪取。 カデム作戦: 東エルサレムの奪回失敗。レヒが行ない、旧市街内まで入れたにも関わらず、応援が遅く失敗。

第二休戦(7月18日-10月15日) パレスチナ国連調停官フォルケ・ベルナドッテをレヒの一員が暗殺。

第三段階 (10月15日-49年6月20日) ヨアブ作戦:ネゲブ全体をエジプト軍から奪取。 ヒラム作戦:ガリラヤ全域を攻略。 ホレブ作戦:残留エジプト軍を放逐。 ヨアブ作戦: ガザ地区にいたエジプト軍と、ベエル・シェバ-エルサレムの幹線道路の間を攻め、ネゲブ全体をエジプト軍から奪取。 ヒラム作戦:ガリラヤ全域を攻略。 ホレブ作戦:ネゲブにいる  残留エジプト軍を放逐。

第三段階 (10月15日-49年6月20日) ウヴダ作戦: 戦闘を交えず成功。 ウヴダ作戦: 戦闘を交えず成功。  ネゲブ最南端まで下っていき、エイラットに手製のイスラエル国旗を掲げる。(6月10日)

停戦合意

いわゆる「パレスチナ難民問題」 この独立戦争によって生じた。 イスラエル側の問題 イスラエルは難民を吸収。 イスラエルがユダヤ人国家ではなくなってしまう。  「イスラエルの家は主の土地でこの異邦人を奴隷、女奴隷として所有し、自分たちをとりこにした者をとりこにし、自分たちをしいたげた者を支配するようになる。(イザヤ14:2)」 この独立戦争によって生じた。 ユダヤ人の難民問題(アラブ諸国がユダヤ人を追放)はすぐに解消された。理由は、イスラエルが難民に無条件で市民権を与えたため。 イスラエル側としての問題 もし難民を受けれれば、イスラエルがユダヤ人国家ではなくなってしまう。 「イスラエルの家は主の土地でこの異邦人を奴隷、女奴隷として所有し、自分たちをとりこにした者をとりこにし、自分たちをしいたげた者を支配するようになる。(イザヤ14:2)」

参考になる文献 Oh Jerusalem!(おお、エルサレム!)

六日戦争(1967年)

聖書的意味 独立戦争は、もちろん「イスラエルの建国」という意味がある。 六日戦争は、「エルサレム」の奪還である。  「人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。(ルカ21:24)」

エジプト革命(1952年) 独立戦争後 パレスチナ・ゲリラの形成 王政エジプトで、ナセルを主導とするエジプト革命 アラブ世界でナセルが中心に 汎アラブ主義(アラブは一つ) 独立戦争後 パレスチナ・ゲリラが形成され始める。 王政エジプトで、ナセルを主導とするエジプト革命が起こった。 以降、アラブ世界でナセルが中心的な指導者となる。 汎アラブ主義(アラブは一つ)を唱え始める。

スエズ作戦(1956‐57年) ナセルが、スエズ運河の国有化 利権を失ったイギリス・フランスが報復 イスラエルに相談。 ガザ地区からのパレスチナゲリラによる越境攻撃 チラン海峡(アカバ湾と紅海との出入口)をエジプトによって封鎖

スエズ作戦(第二次中東戦争) イスラエルがシナイ半島に侵攻。 スエズ運河に英仏軍が侵攻。 米ソ介入でイスラエル軍も撤退。 イ・エ国境とチラン海峡を、国連緊急軍が監視。

好戦的になるエジプト 休戦ラインを国境とは認めない。 ナセルによってアラブ人が一つに。 独立戦争後も、アラブ諸国は休戦ラインを国境とは認めず、イスラエルを国として認知していなかった。 ゆえに、いつでも取り返さなければいけないという姿勢であった。 そこにナセルが現れた。彼のカリスマ性によってアラブ人が一つになり、ますますシオニストからアラブの地を奪還しなければいけないという機運が高まる。

水を奪い取るシリア ゴラン高原から、ガリラヤ湖畔のキブツに攻撃。 ファタハを受け入れ。 バニアス(聖書の「ピリポ・カイザリヤ」)で、  ヨルダン川迂回の計画を立てる。  → これで、イスラエルの立場は決まった。 ゴラン高原から、ガリラヤ湖畔のキブツに散発的な攻撃。 おまけにファタハを受け入れ、ナセルに対抗してイスラエルに対する敵対姿勢を誇示した。 バニアス(聖書の「ピリポ・カイザリヤ」)の所で、ヨルダン川迂回の計画を立てる。  → これで、イスラエルの立場は決まった。

ヨルダンの「サム事件」 ファタハが、ヨルダンを拠点へ ヨルダン川西岸からイスラエル領に攻撃。 イスラエル軍が、西岸の町「サム」に侵攻。  → なんとヨルダン正規軍がそこにいた! アラファト率いるファタハが、ヨルダンに拠点を移す。 ヨルダン川西岸からイスラエル領に攻撃。 イスラエル軍が、西岸の町「サム」を拠点とするファタハ撃破の目的で侵攻。  → なんとヨルダン正規軍がそこにいた。これでヨルダン側もイスラエルに対する敵対姿勢を取らざるを得なくなった。

エジプトが行動開始 国連緊急軍を、エジプトが撤退させる。 シナイ半島に軍を配置。 チラン海峡を封鎖  →イスラエルはこれを宣戦布告と理解。

エジプトに向かうヨルダン ヨルダン国王フセインが、突然、エジプトに赴き、ナセル軍事協定 1967年5月30日、イスラエルとの対峙を極力避けていたヨルダン国王フセインが、突然、エジプトに赴き、ナセルと会い軍事協定を結ぶ。 それまでナセルはフセインを「腰抜け」と言って馬鹿にし、フセインは傷ついていた。 フセインは、この汎アラブ主義の流れに勝てなかった。

アラブ指導者の問題 面子 まとまりのなさ イスラエルに対する 好戦的姿勢によって、 自分の威信を高めていた。 自分が主人になるべく、  好戦的姿勢によって、  自分の威信を高めていた。 自分が主人になるべく、  相手を「腰抜け」と言って  けなしていた。 その面子をつぶされたくないばかりに、国内問題(経済など)が山積して戦力に不安であったのに、実行に移さざるを得なくなった。

イスラエルの問題 三方面からの攻撃で、国滅亡の危機 米国に頼れない 三正面からの攻撃だけは避けたかったが、次第にそうなっていく。 到底、自分たちだけでは勝てないと思っていた。イスラエル滅亡の危機を感じていた。 米国に軍事行動の支持を求めたが、米国はソ連を意識して、またベトナム戦争にかかりきりで、それどころではなかった。 指導者層が重責で押しつぶされそうになっていく(例:イツハク・ラビンはニコチン中毒で倒れる)。

怪しいソ連の陰 ソ連は、シリアに偽情報 微妙な影響力行使 ソ連は、シリアに「イスラエル空軍がゴラン高原に対して戦闘態勢を整えている。」という情報を流し、それがシリアを本気にさせた。 中東を不安定化させ、自分の影響力をその地域に保つためと考えられる。(けれども、米国との対立は避けたかったので、戦争は考えていなかった、と言われる。)

戦力比較 イスラエル: 兵員5万人(予備兵21万4千人)、戦闘機200機、戦車1100両。 イスラエル: 兵員5万人(予備兵21万4千人)、戦闘機200機、戦車1100両。 アラブ: 兵員27万人、戦闘機957機、戦車2504両。 ソ連からの最新兵器 イスラエル: 兵員5万人(予備兵21万4千人)、戦闘機200機、戦車1100両。 アラブ: 兵員27万人、戦闘機957機、戦車2504両。 アラブ、ソ連から供与を受けている最新アラブのそれとは比べ物にならなかった。特にエジプトにはMig21戦闘機があった。

イスラエルの先制攻撃(6月5日) 六日戦争は、この攻撃をもって勝敗が決定。「照準作戦(Operation Focus)」 基地に駐機している戦闘機 8時45分(操縦士らが朝食を取っている時) 第一波で、一網打尽 六日戦争は、この攻撃をもって勝敗が決定。「照準作戦(Operation Focus)」 エジプトの空軍基地に駐機している戦闘機を徹底的に打ち叩く電撃攻撃。 時間はエジプト時間で8時45分、操縦士らが朝食を取っている時を狙う。 なんと第一波で、戦闘機と滑走路を一網打尽にする。

撃破されたエジプト空軍機

大混乱のエジプト アメル元帥は、何の行動も起さず。 大勝利の宣伝 ヨルダン西岸地域から侵攻開始。 シリアも後に侵攻。 この打撃は、誰もが信じられなかった。アメル元帥は、報告を受けても何の行動も起こさなかった。 おまけに、しばらくの間、エジプトは大勝利を周りに伝えていた。 これでヨルダンの判断が誤る。西岸地域から侵攻開始。 後に、シリアの判断も誤らせる。

侵攻を急ぐイスラエル 外交上の圧力 シナイ半島に戦車で一気に侵攻。 この戦争は、外交上、とてつもない圧力を受けることを予測していたイスラエルは、なるべく早く事を済ませないといけないことを知っていた。 シナイ半島に戦車で一気に侵攻。

混雑に巻き込まれるエジプト軍戦車 アメル元帥は、急遽、撤退さす。 スエズ運河への道が混雑 シナイ砂漠の中を徒歩で逃走するエジプト兵 大混乱に陥ったアメル元帥は、まだ戦力の残っていたエジプト陸軍を急遽、撤退させた。 けれども、スエズ運河に戻る道は限られている。イスラエル軍は待ち伏せし、列になって待っている戦車を次々に撃破。 中には、シナイ砂漠の中を徒歩で逃走するエジプト兵も。スエズ運河は泳いで渡河。

「あなたを呪う者をわたしは呪う」 「ユダヤ人を追い詰めて、地中海に投げ込んでやる。」と息巻いたナセルだが・・・ 自分の兵士たちが、スエズ運河に投げ込まれてしまった。 主がアブラハムに語られた言葉通り(創世記12:2)。

エルサレムでの戦闘

西岸への攻撃 エジプトで制空権を既に獲得していた空軍が、打ち叩く。 エルサレムへの兵投入も容易に。

「弾薬の丘(Ammunition Hill)」の戦い エルサレムの北部にある、ヨルダン軍の要塞を、激しい戦闘の結果、奪取。これでエルサレム攻防戦は決定的となった。

神殿の丘へ ためらったが、攻略開始 イスラエル軍首脳は、感情的に、霊的に大きな葛藤を感じた。 そこは、ユダヤ民族にとっての中心。積年の願い。 イスラム教、キリスト教にとっても重要な所。したがって、侵入したら国際世論が許さないのでは? しかし、国連が停戦に向けて動いていることを聞いたモシェ・ダヤンは、攻略を命令。

嘆きの壁の前に立つイスラエル兵

ゴラン高原攻略 「時間」との戦い ソ連の介入を気にして躊躇していたが、ダヤン国防相に、エジプト軍壊滅の知らせが入り、攻撃を命令。 これは、「時間」との戦いであった。米ソ、そして国連からの停戦の圧力が強く圧しかかる。 シリア軍は途中で逃走。 エシュコル首相の妻は、米国からの電話を受け取ったが、首相は「何を言っているんだ?聞こえないぞ。」としらばっくれて、時間稼ぎ。

戦争は「六日」で終結 領土は、  「シナイ半島」  「ガザ地区」  「ヨルダン川西岸」  「ゴラン高原」  と増え、当初の約四倍に。

主な文献 “Six Days of War” by Michael Oren

六日戦争の影響 イスラエル「強国」 ユダヤ人の間に宗教復興 「管理(or占領)地域」に、入植地 →これが、今の「入植地」問題の始まり。  →これが、今の「入植地」問題の始まり。 国際社会が、イスラエルを「強国」とみなすようになった。 ユダヤ人の間に宗教的復興が起こった。それまでシオニズムに反対していたユダヤ教正統派から「宗教シオニズム」が起こる。 西岸やガザ地区など「管理(or占領)地域」に、入植地を作る。  →これが、今の「入植地」問題の始まり。

キリスト教会の二極化の始まり 「異邦人の時」 従来は「神の支配はイスラエルから教会に移った。」 しかし、神の働きかけには「時」が。 「異邦人の時」の終わりを意味するかどうかで、キリスト教神学が試された。 それまでは、「神の支配はイスラエルから教会に移った。」と考えていた。 しかし、神の働きかけに「時」があることを聖書の中で発見し始める人々が出てくる。 六日戦争は、その理解を一気に深化させた。 教会としてのイスラエル支持。特に米国福音派。 キリスト再臨の期待

キリスト教シオニズム 英国 「バルフォア宣言」 実は、ユダヤ人が帰還し始めたときから、英国を中心として、聖書預言の約束として見るキリスト者が多かった。 例えば、ユダヤ人民族郷土を推す「バルフォア宣言」の筆者バルフォア外務大臣はキリスト者である。

聖書信仰とイスラエル支持の比例 かつて霊的復興の起こった英国 聖書信仰が数々のリバイバルで覚醒した米国 かつて霊的復興の起こった英国で、シオニズム支持が多かったところが、その信仰は薄められていった。 聖書信仰が数々のリバイバルで覚醒した米国が、いま唯一、イスラエルを支持する霊的母体となっている。だが今は・・・。

汎アラブ主義の崩壊 ナセル再度、大統領に。 アメル元帥は追放 アラブ諸国「三つのNo!」 イスラエルとの和平にNo. エジプトの面子は完全に潰れてしまった。ナセルは辞任したが、民衆の後押しで大統領職を継続。 アメル元帥は追放される。 アラブ諸国は続けて、「三つのNo!」を宣言 イスラエルとの和平にNo. イスラエルとの和平交渉にNo. イスラエル国の認知にNo. イスラエルは、またしても平和への期待を裏切られる。

アラブ界の二つの動き① ゲリラの活躍 ヨルダン王国内に、PLOが国を造ろうとした。 → 黒い九月 → レバノンへ拠点移動  → 黒い九月  → レバノンへ拠点移動  → レバノン内乱 (→ ガリラヤ平和作戦)  → ミュンヘンオリンピックの黒い九月 ゲリラの活躍 国として屈辱を受けたアラブ人は、ゲリラとしては無傷であった。ファタハは、ヨルダン側東岸からイスラエルへ攻撃を早速開始。 ヨルダン王国内に、PLOが国を造ろうとした。  → 黒い九月  → レバノンへ拠点移動  → レバノン内乱 (→ ガリラヤ平和作戦)  → ミュンヘンオリンピックの黒い九月

アラブ界の二つの動き② 社会主義革命的なパレスチナ解放から、イスラム主義へ 世界的な現象となっていた革命主義 ハマスやイスラム聖戦などが出現。 社会主義革命的なパレスチナ解放から、イスラム主義へ 世界的な現象となっていた革命主義(中国の文革、中南米、東南アジアの共産化)などがほころび始める。 イスラムへの傾倒が不足していたから、アラブ民族の解放は成功しなかったのだ、と考える。 ハマスやイスラム聖戦などが出現。