戦争中の勝馬の様子 6年生
この課題に決めた理由 戦時中の様子に興味を持っていて、福岡市の当時の様子などは、本などを読んで少し知っていたけれど、勝馬の様子はどうだったのか知りたかったから。
調べた事がら 1.戦争はいつごろから始まったのか 2.戦時中はどのような生活をしていたのか 3.戦時中はどのような物を食べていたのか 4.勝馬に被害はあったのか 5.防空ごうは、どのような作りになっている のか
調べる方法 インタビュー インターネット
インタビューに協力して下さった人 ・崎田 洋子さん ・嵜田 晴彦さん ・奥村 利一さん ・角谷 良一さん ・崎田 洋子さん ・嵜田 晴彦さん ・奥村 利一さん ・角谷 良一さん ・崎田 美代子さん ・鍋島ひさこさん
調べて分かった事がら 終戦 質問①いつごろから始まったのか? O 太平洋戦争【大東亜戦争】 1941年【昭和16年】12月8日 1945年【昭和20年】8月15日
太平洋戦争【大東亜戦争】 主な参加国
質問②どのような生活をしていたのか? 勉強はしていなくて、家の手伝いをしていた。 敵【B-29という戦闘機】がせめてきたら、防空ごうやしげみに避難していた。
質問③どんな物を食べていたのか? ・麦が主食 ・かぼちゃのだご汁 ・芋ご飯 ・大根ご飯 おやつ ・芋 ・かきもち
ばっかり料理とは? その季節にとれる野菜を使った料理の事 例えば・・・ ・大根だったら大根ばっかり ・さつまいもだったらさつまいもばっかり
質問④被害はあったのか? 戦死者【戦争で亡くなった人】 計 310万人 〇 太平洋戦争による、日本全体の被害 ・兵隊 ・・・230万人 〇 太平洋戦争による、日本全体の被害 戦死者【戦争で亡くなった人】 ・兵隊 ・・・230万人 ・一般の人 ・・・80万人 計 310万人
福岡市の被害 福岡大空襲【1945年6月19日】 約2時間の空襲で、福岡市の3分の1の家や建物が焼けて無くなった。 死傷者・・・約2000人
勝馬の被害 B-29などの戦闘機は勝馬にも飛んできていたが、被害は無かったようである。 はっきりとは分からない。
質問⑤防空ごうはどのような作りになっているのか? 土手に穴を開けて作っていた。 木でとりい型に作っていた。 防空ごうはだいたい14~15人位入っていた。
まとめ・感想 私はこの勉強で驚いた事が二つありました。一つ目は戦争を五年間も続けていて、その間に何百万人もの人が亡くなった事です。B-29は、勝馬にも飛んできていたのに、勝馬には大きな被害もなく、亡くなった人もいないみたいで安心しました。もし私のおじいちゃんやおばあちゃんが戦争で亡くなっていたら、私は生まれてなかったかもしれないと思うと、とてもこわいです。
二つ目は、子供は勉強をせずに家の手伝いをしていた事です。今の小学生は勉強をしたり、好きな習い事をしたりしているけれど、昔の子供達は勉強をせずに家の手伝いばかりをしていて大変だったんだなあと思いました。 私はインタビュー中に、角谷さんの家にある防空ごうの中に入らせてもらいました。生まれて初めて入った防空ごうの中はとても暗くて、ずっとこの中に入っていたなんて信じられませんでした。きっと、とてもこわかったんじゃないかなあと思います。
インタビューを通して、興味を持っていた戦時中の様子について少し詳しくなれた事、そして、勝馬のおじいちゃん、おばあちゃんがみんな無事で元気だった事が分かって、うれしかったです。