三、安定成長期(1973年~1986年) 1 高度成長の挫折 2 産業構造の変化 3 円高と貿易摩擦 4 逆輸入と内需拡大
1、高度成長の挫折 1973年10月には第4次中東戦争が勃発した(第1次石油危機) 。 石油関連製品価格の高騰→狂乱物価 当時日本の産業は石油依存、石油大量消費の体質であり ,中東産油国のこれらのを措置は輸入依存度の高い日本に大きく打撃を与えた。 オイルショックをきっかけに日本経済は安定成長期に入り、以後、日本の産業構造も大きく変化した。
2、産業構造の変化 高度経済成長期には、オイルも安かったので、重化学産業が発展した。 オイルショック以後、エレクトロニクスを中心にした加工産業が主役となった。日本の企業は省エネ、自動化などに力を入れて、技術開発を行った。 この時から日本経済は成熟期に入ったといえる。
3、円高と貿易摩擦 プラザ合意(广场协议) 1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルで先進5か国蔵相会議が開かられ、「ドル以外、主要通貨の対ドルレートの秩序ある調整が望ましい」という合意声明が発表された(プラザ合意)。その後、円はどんどん高くなった。 プラザホテル
3、円高と貿易摩擦 円高不況:1985年7月~86年11月。 現地生産の急増 産業の空洞化 輸出不振 現地生産の急増 産業の空洞化 不況の打開策として、輸出は重要な役割を果たし、日本国内は不況から脱出できたが、国際的には輸出先の国との貿易摩擦が顕著になった。
円高不況は長く続かず、円高景気が現れた。なぜならば、円高で輸出商品はドルに換算すると、値上げしたが、輸入品の価格も安くなったため、海外から原材料の輸入を扱う企業の収益が増加したからである。円高のもうひとつの結果は日本企業の海外への投資が増えた。
4、逆輸入と内需拡大 円が高くなったんので、海外生産の増大に伴い、海外で生産した製品を今度日本に「逆輸入」するようになった。 貿易摩擦を解消するひとつの手段は内需拡大であった。新しい経営環境の変化に応じて、企業のリストラが盛んに行われていいる。
四、バブル経済と平成不況期(1987年~) バブル経済とは、不動産や株式をはじめとした時価資産の資産価格が投機によって高騰し、資産価格高騰が誘引となってさらなる投機を引き寄せている状態の経済のこと。
バブル景気:1986年12月~1991年2月。地価・株価の高騰による好景気。 バブル崩壊:1991年。地価税の導入→平成不況 。
バブル経済が崩壊してから、1991年3月から、1993年9月まで、経済が後退し、今日まで日本経済は不況から脱出できていない。1989年は平成元年であることから、この長引く不況は「平成不況」と呼ばれている。
平成不況の特徴 2 1 金融破綻 と 不良債権 消費不況
金融破綻と不良債権 1997年の東南アジアの通貨危機は日本経済の復興に大きな打撃を与えた。日本企業の対東南アジアへの投資は多かったからである。 通貨危機の影響で、日本国内で金融機関の倒産が相次いだ。同時に株も円も安くなった。金融機関だけでなく、企業の倒産件数も増えた。
バブル経済の時、企業が土地の担保さえあれば、銀行からお金をかりることができた。そのため、バブル崩壊後、地価が下落し、銀行やノンバンクは多額の債務を抱えるようになった。担保物を処分しても、回収が不可能な債権がある。 日本は50年の発展を経て、世界で指折りの産業経済大国になった。この50年間では成功もあるし、失敗もある。だが、日本人はあきらめる様子もなく、依然として辛抱強く明日への道を探索している。
ご清聴ありがとうございました ありがとうございます!