ジェンダーの社会学 キー コンセプト 1.0 「私」 、「個人」 他者 関心:「私の関心」 4.「他者の…われわれの外見への関心」
ジェンダーの社会学 キー コンセプト 1.2 外見 信念 「自然に見える」こと。 「性別によって『自然』」 「当然である」、「当然ではない」こと 社会的カテゴリー ・社会の「規範」によっての 他者の判定
ジェンダーの社会学 概念の説明 I 「私」=外見で他者に判断される者=社会の中に存在し定義づけられる「私」 「他者」(複数形)=「私」を認知する周囲、 「私」を評価する。社会。
ジェンダーの社会学 鏡のなかの私 概念の説明 II 「関心」=自己との関与や、他者と自己の間の関与 ジェンダーの社会学 鏡のなかの私 概念の説明 II 「関心」=自己との関与や、他者と自己の間の関与 意味は経済学の「私益」に近いが、金銭的な「関心」だけではなく、社会の場面における人間のやり取りのなかの関心である。 外見=格好+他者や社会への印象
ジェンダーの社会学 概念の説明 III 信念=「当たり前」と思う、自然だと思う、実は社会で教わった価値判断が入っている現実の捕え方。 フーコーの「言説」の意味に近い。 社会的規範:自分の行為や他者の行為への判断 を可能にする社会制度でわる信念、枠組み。
ジェンダーの社会学 女であること/男であること キー コンセプト 性差・性別の相違 性差は、 解剖学的・大脳生理学的な差異を含む女・男の特定 「ジェンダー」という性別は、 文化・社会的規範による女としての判定・男としての判定
ジェンダーの社会学 女性であること/男性であること I. 外見に判定される人の性別・外見に人の しぐさを合わせる性別判定 ~ 「受験願書,履歴書、クイズの応募はがきにも性別欄が必ずあって」 p196 「外見はいろいろでも、『本当は』どちらかの はずと思う。」 p196 「顔つき,からだつき、しぐさや服装、言葉遣いも、『結局は』どことなく『らしく』思える。」 p196 「たいていは発情の相手を間違えない。」 p196
ジェンダーの社会学 女性であること/男性であること II.外見でも、内側でも判定されない性別とは何か? 生殖能力/機能による区分に基づく「第二次性徴前の幼体や排卵サイクル停止後のメスは、不妊症のメス/オスは、あるいは『枯れた』老人や使い物にならなくなったオトウサンは...いったいどちらに…分類される?」p197 「性別区分は生殖能力/機能区分と常に一致しているわけではない...解剖学的な相違でさえ 必ずしもあてにならない。」p197
ジェンダーの社会学 女性であること/男性であること III. 人の性別と性別の判定、分類 「私たちは、何よりもまず生物学的・身体的な存在なのだから。ただ、それでも私たちが区別する、自覚する、欲情する性差は,身体―個体レヴェルのみで決定される問題ではない。私たちは,何はともあれ分類しているものだから。」p197 「『ちょっと変わった女/男』――どちらかにすれば気がすむんだ。」p198
ジェンダーの社会学 女性であること/男性であること IV. 文化の中の性別判定・ 社会規範としての女/男のカテゴリー 「人物の外見を手がかりに、性差のカテゴリーの内に透視している。」例: 「どちらにもとれる『ベビーX』を見て、男の子と判断した人、女の子と判断した人はまったく同じふるまいを、それぞれに『強さ』の表れ、『優しさ』の表れだと語っていた。」 p198
ジェンダーの社会学 女性であること/男性であること IV. のつづき:文化の中の性別判定・ 社会規範としての女/男のカテゴリー 「性差が内側からにじみでてくるのではない。女・男のカテゴリー区分がまずもってあるわけだ。人は、その化身――事例――となってようやく生身の…人になる。 そうして初めて、それぞれにあるはずの性器――文化的性器――の存在が自明視され、ある はずの情緒・感覚・行動・の違い―― 性差――が探される。」 p198
ジェンダーの社会学 女性であること/男性であること V. ジェンダー・アトリビュウション(性別判定) 「結果として既存のカテゴリーが強化=維持され 続けていく…この判別の過程を ジェンダー・アトリビュウションという。」 p198 性別は自然に決まるとは必ずしも言えないこと~ 「性別の判定は自然に決まるのではない…いかなる情報も完全無欠なアトリビュウションを保証しはしない。」 p198
ジェンダーの社会学 女性であること/男性であること V. のつづき: ジェンダー・アトリビュウション(性別判定) 「別の性を示す情報が飛び込んできたとしても…既成の枠組みのなかで適合的に解釈される… (ジェンダーが)人をカテゴライズする核となる」 p198
「広告のジェンダー」 パラグラフ毎にプリントを参照。 人や世界を「解読するプラクティス」ということは? 人や世界を「解読するプラクティス」ということは? 第2パラグラフ:周りの社会を「…読み拾っていく」~見るものを 「解読の慣習的装置」を通して…社会的カテゴリーを典型化していく。 第3パラグラフ:解読される世界~ 既存の社会的なカテゴリーによって、 「印象つけられる」実践である。
「広告のジェンダー」 第2 パラグラフ 街を通りながら、一瞬の世界 ・ 一瞥での 見て取られる世界をみる。 第2 パラグラフ 街を通りながら、一瞬の世界 ・ 一瞥での 見て取られる世界をみる。 この一瞬世界を深く処理しない。むしろ既存の社会的なカテゴリーの内に、「拾った」情報や「ビジュアルデータ」)を入れる。
「広告のジェンダー」 第3 パラにあるキーワード 社会の中の慣習。「慣習化」された社会的な「プラクティス」。 第3 パラにあるキーワード 社会の中の慣習。「慣習化」された社会的な「プラクティス」。 プラクティス=社会で教わった(人への)考え方の応用。 この社会規範に従うプラクティスによる人への「読み方」、 そして他人による自分への読み方が機能する。 「一瞬世界」で見た「人」は、「社会的なカテゴリーの中 に「実在」と「本質」(として)印象つけられるものだ」
「広告のジェンダー」 第4 パラ 現実世界でも広告の世界でも女、男が「儀礼的に」動く=習慣的で「儀式的」なしぐさがある。 第4 パラ 現実世界でも広告の世界でも女、男が「儀礼的に」動く=習慣的で「儀式的」なしぐさがある。 儀礼/儀礼的 = 社会、人生で繰り返される、 お決まりの手順のように半無意識的な実践。 これらは日常の普遍的な動きであるから「解読」する時に半無意識的に意味をつける。 広告はこの「儀礼的な」動きの「シミュレーション」 を、「ありそうなこと」にする。
「広告のジェンダー」 第4 パラのつづき 広告は「現実のモデル」ではないが、上記の 「一瞬世界」と同様に覚えられる。 第4 パラのつづき 広告は「現実のモデル」ではないが、上記の 「一瞬世界」と同様に覚えられる。 広告を知覚する際、我々は「日常の社会的世界」へあてはめる(社会カテゴリーに素性がある)同じ「解読」を、広告の女と男にあてはめる。 認知科学の研究によっても、人間の認知にとっては、双方とも「同質」である。 双方とも同じ「現実」ではなく、一瞬での同じ 「リアリティ」の一部として知覚される、解読される。
私たちにメッセージを伝う(ブルデューを参照)、私たちに「買い手もらいたい」読む物=「広告」のようなものがどこで見える? 「広告のジェンダー」 私たちにメッセージを伝う(ブルデューを参照)、私たちに「買い手もらいたい」読む物=「広告」のようなものがどこで見える? TVドラマ 居酒屋 映画 通勤・通学電車 雑誌 街 講義室
同質なのだということはどういう意味?... 「広告のジェンダー」 日常の社会的世界と広告の内的世界が 同質なのだということはどういう意味?... 現実世界と広告世界 ~ 「フィクションであれ、ファンタジーであれ」~リアリティは、同等な儀礼的なプラクティスを通して透視される。 社会的カテゴリーの内に保障される。 素性の同じリアリティなのだということ。
「広告のジェンダー」 広告の映像で見るジェンダー差異 1 「女は自分からは動かない」 (女は)「子どもっぽく動く」 広告の映像で見るジェンダー差異 1 「女は自分からは動かない」 (女は)「子どもっぽく動く」 男が立てるが、 「ベッド、ソファー、床に寝そべるのは、女」
「広告のジェンダー」 「広告の男は、、、女を支える」 男は「知性、気丈さ」があるはず 広告の映像で見るジェンダー差異 2 2. 「広告の男は女より上の位置でくつろぐ。」 「広告の男は、、、女を支える」 男は「知性、気丈さ」があるはず 広告の男の服装が示唆する地位と役割に 「まじめに」とり組んでいる
「広告のジェンダー」 「実際」とは?「実際ではない」とは? 広告に現れる(「棲む」)これらの人間の映像は 「実際の」ジェンダー関係を写実してはいない。 ただ、 少なくとも「不自然ではない」ように受け取られている。 いかにも「ありそうなこと」としてとらえられる。
『冷静と情熱』の広告から~ p207下 参照 「女が小首を傾げる 「知性、 気丈さ」 「男が まじめに」 「寝そべるのは女」