海外医療援助の現場で、女性たちは・・・ 国境なき医師団 産婦人科医 山本 阿紀子
トルクメニスタン 2006/12~2007/3 パキスタン 2006/1~3 スリランカ 2007/4~11 国境なき医師団にて活動しています、産婦人科医の山本と申します。これまで、パキスタン、スリランカ、トルクメニスタンにて活動を行ってきました。今日は私が、これまでの活動を通してみた、海外の産婦人科医とそこに通う女性たちの現状と問題点について、簡単に発表させていただきたいと思います。 スリランカ 2007/4~11
Pakistan, Bagh 2006/1~3 2005年10月に発生したパキスタン北部大地震後の災害援助の一環として活動 まずはパキスタンから。 私が派遣されたのは、2005年10月におきた、パキスタン北部大地震の災害援助として、バーグというカシミール地方に派遣されました。 地震によって病院が崩れてしまったため、テントで作られた病院の中の産婦人科病棟で、パキスタン人の産婦人科医二人、(一人はもともと保健省の医師、もう一人はUNFPAより派遣された医師)とともに働いておりました。この病院に三人の産婦人科医というと、多すぎると思われると思いますが、このお二人は、自称産婦人科医ですが、正常分娩をマネージできる、というレベルで、リスクのある分娩や手術は帝王切開を含めしたことはなく、超音波ももともと地震前からあったにもかかわらず、使い方はわからない、という状況でした。
Pakistan, Bagh 2006/1~3 産婦人科医療・医師の現状 パキスタンの医療システム 海外での研修が必須 パキスタンの医療システム 海外での研修が必須 カシミール地方の問題点 産婦人科医の現状 l 専門医になるには海外(イギリス、カナダ、オーストラリアなど)での研修が必須であり、そのまま、海外に在住する医師が多い l カシミール地方は、よく言えば、半分自治がみとめられており、なかなか医師が集まらない
Pakistan, Bagh 2006/1~3 カシミールの女性たち イスラム教徒 TBAによる自宅分娩 妊婦検診受診率低い カシミール地方の女性たち l 特に信仰の厚いイスラム教徒であり、女性に決定権はない。(入院、手術が必要でも誰か男性の家族が一緒でないと、医療行為ができない。) l 男性医師に見られることは耐え難い l 多くは自宅分娩、妊婦検診も未受診→何か起こっても、統計はない。胎盤遺残の話。 l 未婚女性の診察について
Sri Lanka, Batti & PPD 2007/4~11 民族間の対立が20年以上続く。 戦闘の激しい地域の国内避難民 次にスリランカの話 スリランカは、シンハラ人とタミール人との間に20年以上にわたって紛争が続いています。特に対立の激しい少数派のタミール人地域に派遣され、国内雛移民のキャンプおよびその周辺の病院にて活動を行ってきました。 民族間の対立が20年以上続く。 戦闘の激しい地域の国内避難民 キャンプやその周辺の病院で活動。
Sri Lanka, Batti & PPD 2007/4~11 産婦人科医療・医師の現状 スリランカの医療システム 海外での研修が必須 スリランカの医療システム 海外での研修が必須 民族間での医療格差 スリランカンプロトコール 産婦人科医の現状 l 専門医になるにはパキスタン同様、海外での研修が必要。一度出ると戻ってこない医師も多いし、専門医をとって、あえて戦闘地域に戻ってくる医師は殆どいない。 l 少数派のタミール人は、絶対的に医師の数が少ない。(医学学校に合格するのにも、人種間で数が決められている。)→ロシアや中国で医学を勉強してきた医師が多い。 l スリランカの国全体の医療レベルは非常に高い。国のプロトコールが決められており、基本的にはそれに沿った医療が行われる。技術的には、GPでもCSのトレーニングは受けているが、決定権はない。 7
Sri Lanka, Batti & PPD 2007/4~11 スリランカの女性たち 高い妊婦検診率 分娩施設での出産 Security l スリランカの妊婦はよくfollowされている。ほぼ母子手帳持参。ワクチンもよくカバーされている。キャンプにも助産師が訪問し検診を行っていました。 l 出産は医療施設でするものだという意識であるが、セキュリティーの問題で、毎晩外出禁止令が出ているため、ライトを照らし、白い旗を持っていれば、外出可能であるが、人々は恐れていて、陣痛が始まっても病院にこられず、自宅で分娩してしまった、というケースは何件か見られた。 l ただ、もし自宅分娩になったとしても、翌日には診察に医療機関に来る。 8
Trukmenistan, Magdanly 2006/12~2007/3 最後にトルクメニスタンについて。 この国は旧ソビエト連邦の中央アジアの国です。ソ連崩壊後、長期にわたり独裁者が統治しており、中央アジアの北朝鮮と呼ばれています。一般市民には外の情報が全く入らず、医学に関しても旧ソ連時代の医療技術、薬剤がそのまま使われている。その中で、WHOのプロトコールを導入し、医療関係者のトレーニングというのが目的でした。 ソ連崩壊後、独裁者による統治。 WHOプロトコールの導入を目標に 活動。 9
Trukmenistan, Magdanly 2006/12~2007/3 産婦人科医療・医師の現状 旧ソヴィエト崩壊後の独裁国家 トルクメニスタンプロトコール 国家による監視 産婦人科の現状 l 旧ソ連時代(約20年前の)のやり方。薬の名前や、薬効を調べてもどの本にも載っていない。CS一つとっても、麻酔科はいるが当然全例ケタミンによる全身麻酔で、(腰椎麻酔は、聞いたことがあるという程度)医療器材の補給も十分でないため、気管チューブも破れるまで使う。手術も平均二時間以上はかかるので、当然赤ちゃんは寝ている。全例ドレーンを挿入し、CS後はルーチンで輸血(当然感染症等の検査はされず、多くは父親からの血液をそのまま輸血) l 新生児黄疸の赤ちゃんが、例えば二人いたとすると、母乳性黄疸との診断で、赤ちゃんを交換して授乳。 l 国のプロトコールに沿っていないと、逮捕されることもある。とのことで、数人の医師は私たちの活動に賛同して、私たちの薬を受け入れてくれていたが、カルテに記入すると後で調査に来たときにまずい、とのことで、カルテにはうその内容を記入。どこにも事実が残っていないので、実際どのような治療が行われたのか不明。 l 患者の状態が悪くなると退院させる。病院で亡くなると、自分たちの立場がまずくなるから。患者の家族が帰ると言い張ったということにして、病院から追い出す。 10
Trukmenistan, Magdanly 2006/12~2007/3 トルクメニスタンの女性たち 家庭医による妊婦検診 高いSTD陽性率 胎児多発奇形 トルクメニスタンの女性 l 妊婦検診は基本的には家庭医がみることになっているのですが、それが、一週間ごとにfollowしてそのたびに患者さんは料金を支払って、という状況です。それも、回数を減らしても、価値ある検診にしようと、していたのですが、それも、あとで一週間ごとに見たという記録がないと、後に問題が起こると、なかなか、受けてもらうのに苦労しました。 基本的にはイスラム教の国ではあるが、性に対しては非常にオープン。妊娠中のSTIスクリーニングを私が派遣する前に行うという調査をして、クラミジアの陽性率が90%であったとの報告でした。私は、基本的に患者さんを治療することは許可されていなかったので、一緒に働いていた現地人の産科医が処方していました。治療中の性生活について説明し、コンドームを配ることになっていたのですが、一週間の治療に対して7個以上コンドームを配らなければいけないと、言い張って。妊娠中であってもそれほどその国では、sexual activityが高いのだと。驚いたのを覚えています。 l l あとは、本当かどうかわかりませんが、その地域は、ソ連時代は年に何回か放射能か何かの検査にきていたという噂があって。私がいた三ヶ月の間に、一月の出産が60-70の病院で多発奇形の胎児を5回くらい見つけました。医療者の間では放射能の影響じゃないかとの噂が広がっていました。 この国に関しては、おそらくこのような私が今述べたようなことは、公の場で話してはいけないことなのかもしれないのですが、その当時の独裁者が、私の活動中に亡くなったので、状況が変わっていることを想定して、述べさせていただきました。 以上が私がみた、海外での産婦人科医とそこに通う女性の現状です。当然のことですが、派遣される国の宗教や、文化的・政治的背景によって、医療や患者さんの問題点も異なりますし、同じことをしても、非常に喜ばれることもあれば、全く受け入れられないこともあります。つらい思いをすることも多々ありましたが、国に関わらず、赤ちゃんが元気に産まれて、お母さんと無事家に帰っていくのを見送るのは、いつもうれしいことで、産婦人科医でよかったと感じる瞬間でもあります。 今後はもう少しトレーニングを積んで、要請があれば、またどこかで、一人でも多くのお母さんが無事に元気な赤ちゃんを出産できるように、手助けができればと思います。 11