火山噴火災害の軽減に関する危機管理の雛形の現状と問題 東京大学工学部 中橋徹也
行政対応が問題に上った災害 1986年伊豆大島 一万人の島民の全島離島避難・一時帰島 1990~1996年雲仙普賢岳 1986年伊豆大島 一万人の島民の全島離島避難・一時帰島 1990~1996年雲仙普賢岳 避難勧告、警戒地域の設定 1998年岩手山 2000年有珠山 避難勧告・警戒地域の設定 2000年三宅島~現在 島民の離島避難
研究目的 火山噴火災害に関わる予測情報(学術情報)を防災・減災行動に結びつけてもらえるように ①行政 ②住民 ①行政 ②住民 に発信、伝達するルール・手法をつくる。 行政・科学者にまたがる 危機管理のしくみの検討をつくる。
研究の流れ
ツールの評価 ゲーミングシミュレーションを用いた 火山噴火災害時の行政行動の分析 ↓ 伊豆大島の事例ではある程度の再現が ゲーミングシミュレーションを用いた 火山噴火災害時の行政行動の分析 ↓ 伊豆大島の事例ではある程度の再現が 可能。他の事例では? 火山学者、行政担当者の参加による シミュレーション
危機の段階 ①噴火前 リスクコミュニケーション期 ②小噴火・前兆期 クライシス期 ③噴火(緊急期) エマジェシー期 ④噴火推移期 ⑤終息期 リスクコミュニケーション期 ②小噴火・前兆期 クライシス期 ③噴火(緊急期) エマジェシー期 ④噴火推移期 ⑤終息期 クライシス期・リスクコミュニケーション期
分析ツール・・・多重遠近法 ①合理的遠近法 ②組織的遠近法 ③個人的遠近法 ① ② ③
1991年の雲仙普賢岳噴火の検証 1991年雲仙普賢岳の6月3日火砕流被害の検証 ↓ 非常に長い期間活動を行っていなかった火山に 1991年雲仙普賢岳の6月3日火砕流被害の検証 ↓ 非常に長い期間活動を行っていなかった火山に 活動が生じた場合の危機管理対応 現状では、行政的判断を下すには、目に見える形の被害が生じてからしかできない。 大きな被害の発生の可能性
1991年雲仙普賢岳噴火災害 1990年7月 火山性微動が始まる 10月 頻発化 11月17日 噴火開始(地獄跡火口) 合同観測班結成 1990年7月 火山性微動が始まる 10月 頻発化 11月17日 噴火開始(地獄跡火口) 合同観測班結成 1991年2月12日 再噴火 3月下旬 マグマ水蒸気爆発に変化 4月初旬 変化 5月10日 火口直下地震増加 5月17日 予知連コメント 溶岩流出の可能性 5月20日 溶岩ドーム出現 5月31日 火砕流発生(やけど1名) 6月3日 火砕流発生(死者の発生)
6月3日の火砕流被害は 避けられなかったのか? ①警告はされていた。 ②市長の認識 ③対応・手段の問題 ④消防団・マスメディアの認識 情報・警告は提供されていたが、まわりにそれを聞く耳をもたなかった。 市助役からのお願い 報道陣に対して市からお願いをして 直接、親しい報道関係者に警告 報道関係者の認識 5月31日のやけどは、火砕流があの程度だと思った。 太田先生の防災への意識はさほど高くなかった。(新聞分析) 火砕流以後、防災に踏み込んだ発言が多くなっている。 眉山崩壊が最大の災害との認識。 この対策に絶対の自信を持っていた。 背景には、広域消防本部の長をつとめていたこと。 長年、消防団のトップとして活動していたこと。 土石流被害での避難継続にもやや難を示していた。 土石流による避難勧告が出されて、10日目。 すでに発せられていた避難勧告で十分とする考え。 ハザードマップの作成がまだであったこと (範囲の拡大の必要性) 消防団はマスメディアが入っているのだから安全。 マスメディアは地元がはいっているのだから、安全。 火砕流への認識
1991-1995年雲仙普賢岳噴火災害 6月3日火砕流以前 九大島原・太田先生 島原市 長崎県
1991-1995年雲仙普賢岳噴火災害 6月3日火砕流以後 国関係機関 予知連 気象庁
特 徴 合理的遠近法 一見合理的に見える行動が多い。 組織的遠近法 組織より個人が浮き彫りになった。 個人的遠近法 個人の関係に頼っている。 特 徴 合理的遠近法 一見合理的に見える行動が多い。 組織的遠近法 組織より個人が浮き彫りになった。 個人的遠近法 個人の関係に頼っている。 個人的対応が多い。
学術情報の判断 科学的判断 観測機関がばらばらに動き、土石流と火砕流の予測機関が異なるのに、リンクが十分ではなかった。 社会的判断 観測機関がばらばらに動き、土石流と火砕流の予測機関が異なるのに、リンクが十分ではなかった。 社会的判断 個人的対応のみではなく、組織的対応が必要だった。
科学的判定情報 科学的可能性情報 科学的判断 火山活動の推移 防災的判断 科学的判断の 防災的解釈 読みかえ 危機・危険の 認定 警報化 避難勧告 警戒区域 行政判断 実施 予知連 首長
1998年岩手山噴火危機 1995年9月 火山性微動観測 1997年7月 火山性地震発生 1998年2月 火山性地震増加 4月 臨時火山情報 1995年9月 火山性微動観測 1997年7月 火山性地震発生 1998年2月 火山性地震増加 4月 臨時火山情報 5月7日 雫石町 震度3 5月16日 INS岩手山火山防災検討会発足 5月22日 「岩手山火山活動対策検討委員会」設置 「関係市町村等連絡会議」設置 6月24日 低周波地震観測される。 7月1日 入山規制 7月8日 「岩手山火山災害対策検討委員会」(建設省、岩手県) 防災マップ作成 7月22日「岩手山火山防災マップ~西側で水蒸気爆発編」公表。 9月3日 M6.1の地震(雫石町北部で震度6弱) 9月10日岩手県・火山対策監設置(4名態勢) 10月8日 「岩手山の火山活動に関する検討会」 10月9日「岩手山火山防災マップ」公表 1999年1月21日 県によるテレビ会議システム導入 2000年3月23日 「岩手山火山防災ガイドライン」
1998年岩手山噴火危機 マスコミ 住民 INS 予知連・気象庁 6市町村協議会 盛岡市・滝沢村・雫石町 玉石村・松尾村・西根村 県の検討委員会 岩手県
INS【岩手ネットワークシステム】 岩手大・斉藤教授 岩手山方式の特徴 学術情報の科学的判断の機関(予知連)と社会的判断の機関(岩手山検討委員会)の明確な分離 徹底的な地元優先の情報管理 早期段階での岩手県の関与 INS【岩手ネットワークシステム】 岩手大・斉藤教授
科学的判定情報 科学的可能性情報 科学的判断 火山活動の推移 防災的判断 科学的判断の 防災的解釈 読みかえ 危機・危険の 認定 警報化 避難勧告 警戒区域 行政判断 実施 予知連 検討委員会 首長
大島町、島原市ともに、非常に小さな範囲で危機管理を実施している。 ↓ 結果、自分たちの持てる資源内での対応にとどまるため、対応範囲が狭くなる。 被災後、雲仙・大島町ともに、都道府県レベルに危機管理の範囲を広げており、範囲が大きくなっている。
危機管理のひとつの可能性 早期の段階での都道府県レベルでの危機対応のしくみを作ること 学術情報の社会的判断機関(翻訳機能)の立ち上げ 地理的なこと(大島町、三宅島、島原市など) 危機の認知 (東京都は地震対策、長崎県は水害対策) 市町村防災計画への反映 BUT
火山学者がどのような関わりを もてるかどうか? 危機認知の問題 危機についての知識 行政対象についての情報 行政の役割認識 意思決定への介助(予知連の役割変更) 火山現象の危険性評価と危険回避の方策の 学術的な検討 行政をサポートする専門家チームの結成 マスコミ・住民への説明
科学者のかかわりにおける問題点 災害が大きくなるにつれて、科学者のもたらす情報の存在が小さくなる。 対応する行政機関の主体が、市町村~国へと上がるにつれて、科学者のもたらす情報の存在は小さくなる。 リスクコミュニケーションの分野では、科学者の役割は軽くなってきている。(BSEについては、日本は専門家を入れる方向で、イギリスでは専門家を軽視はしないが科学評価を行政の決定に直結させない方向で検討が進んでいる。)
科学者のかかわり方の5段階 水準0 純粋な科学的知見(論文そのもの) 水準0 純粋な科学的知見(論文そのもの) 水準1 該当する政策決定に必要な科学的知見につき科学的コミュニティで合意する内容を科学的に結論されていること、まだ結論されていないこと、研究対象になっていないことを明示したうえで提供 水準2 該当する政策決定の結果として生起する可能性についての科学的予測の呈示 水準3 科学的コミュニティにおいて科学的判断がまとまらずに対立する見解がある場合、それぞれに立脚する政策の結果についての科学的見解 水準4 科学的検討に立脚した政策の提案
次年度以降 火山学者の意思決定過程への参加の可能性 火山現象検討の場である予知連への、防災関連分野の専門家の加入の可能性