第12回 ハイデッガー 「実存主義と現代技術」 吉田寛 思想と行為 第12回 ハイデッガー 「実存主義と現代技術」 吉田寛 「シュバルツバルトな毎日」 http://diary.jp.aol.com/mkupjekwyxne/ より
ハイデッガー 1889年 誕生 ドイツ田舎町、ドナウ川の上流、アルプスの麓 哲学者、大学教員として一生を送る 1889年 誕生 ドイツ田舎町、ドナウ川の上流、アルプスの麓 哲学者、大学教員として一生を送る 20世紀最大の哲学者(ウィトゲンシュタインと共に)と称される 『存在と時間』(人間存在とは何か) 実存主義の代表者(サルトルと共に) ナチズムへの協力を疑われる 1976年 没
ハイデッガー時代 二度の大戦 1989年 ハイデッガー誕生(ウィトゲンシュタイン、和辻哲郎、ヒトラーと同年) 1905年 サルトル誕生 ハイデッガー時代 二度の大戦 1989年 ハイデッガー誕生(ウィトゲンシュタイン、和辻哲郎、ヒトラーと同年) 1905年 サルトル誕生 1914-19年 第一次大戦(戦車、毒ガス等) 1917年 ロシア革命 文化と人間の危機『魔の山』『西洋の没落』 1923年 マールブルク大学教授『存在と時間』 1933年 フライブルク大学総長(~34年辞任) ナチス政権を取得(圧迫と追放の時代) 1939-45年 第二次大戦(原爆など) 戦後一時追放 復職後 教育と研究→ 1976年没 長崎修学旅行ナビ http://www.ngs-kenkanren.com/syuryo/peace/index.html より
現代社会と人間性 「人間疎外」人間が人間らしさを奪われ、奴隷状態に陥っている状態(⇔善く生きる) マルクス、レーニン ハイデッガー、サルトル 労働者の貧困、過酷な労働、文化的、人間的生活の荒廃、植民地獲得戦争、過酷な植民地支配 マルクス、レーニン これらを市民社会、自由社会の社会構造の問題と捉えて、その改善を求めてる思想と人生 問題を解消したら「人間らしい」社会が誕生する? ハイデッガー、サルトル 人間と社会の中にある、人間の弱さと現代文明、現代技術の問題 取り戻すべき「人間らしさ」の内実の解明
「存在」を問う(現象学的方法) 存在論=存在者の世界の前提的構造を解く 「世界」=人が見て触って、そこで生きる、人にとっての世界 存在者たち(山、机、クルマ、社会、制度)の存在(どうやって存在者として現れるか)を問う 「世界」=人が見て触って、そこで生きる、人にとっての世界 意識の問題 人間が独自の仕方で意識を向ける(配慮する)ことで、「世界」として存在する →では、どんな「仕方」で?
「世界」とは(存在の仕方-1) 「世界」は「道具」として存在する たいていの存在者は「道具」として存在している 「世界」とは(存在の仕方-1) 「世界」は「道具」として存在する たいていの存在者は「道具」として存在している 人間にとって使えるものとして世界は人間に意識されている こうした人がそれを使って生きていく時間・空間の中で、いまあって、これから使えるものとして、モノは意識される (⇔なまのモノに触れる芸術的経験) 手元にないものも、使えるかもしれないものとしてある こうした「生きる」という関心や感情、意味のこもった「世界」で私たちは生きている
「人間存在」(存在の仕方-2) 「人間存在」だけは、特別な存在者である 実存主義 一人一人が「世界」を存在させている特別な存在 存在させられているに過ぎない「道具」たちとはぜんぜん違う 実存主義 モノとはぜんぜん違う特別な人間の生き方 自己の「誕生」と「死」が代替不可能な自分の固有性の源 それを引き受けて、いつも忘れずに存在すること 「一期一会」の心で生きるということ(?)
「人間存在」(存在の仕方-3) 堕落した人間存在=モノと同じ どうして堕落してしまうのか 自己の存在(実存)を手放した存在者 =実存を持たない、ただの存在者(モノ) どうして堕落してしまうのか 「一期一会」の精神で生きるのは難しい 自分の誕生と死を見つめるのは不安で恐ろしい 単調で平和な日常生活に慣れてしまう 「ひと」ばかり見て、自分の固有性を見失い、手放してしまう 現代社会と技術が、人をモノ化してしまう
サルトルの実存主義 サルトル(1905-80年) 人間は自由な存在である(自由の刑⇔モノのあり方) 「人間」なら「自由」を引き受けるべし 自由と人間性を実存主義の立場から擁護、活動 人間は自由な存在である(自由の刑⇔モノのあり方) 「実存は本質(性質)に先立つ」 「人は人になるのだ」 だが、人間はすぐに自由を手放してしまう(=ハイデッガーの考察) 「人間」なら「自由」を引き受けるべし 自己の人生において決断と責任を引き受けなければならない 自由を奪うものとは戦うべし(政治活動へ)
ハイデッガーの技術論 近代技術technikの本質=Gestell ⇔芸術や素朴な工芸 Ge-stell(骨格) 「仕組み」「組-立て」「集-立」「巨大-収奪機構」 つまり、自然からまとめて強制的に奪い、管理・ストックする というイメージ Stellen(立つ) Bestellen() Bestand(在庫) 強制的で非人間的なイメージ(人間破壊、自然破壊) 人間らしく自然や自己に向かう可能性を締め出してしまう ⇔芸術や素朴な工芸 物事の隠れた真理に接して表現しようとする 人間らしい世界とのかかわり 人間性と内面性、自然と根源性
ハイデッガーの技術論への批判 「素朴な自然さと人間性を大事にすることと高度の科学・技術を用いることとを、わざと絶対に和解できないような対立関係に押し込め、云々」(加藤尚武、p.28) ハイデッガーは「技術決定論」だが、「技術にブレーキをかけたり、方向づけをする」ことは可能(村田「技術哲学の展望」『思想』926号) 「技術」=目的合理性と「コミュニケーション」=公共性との、バランス(ハーバマス)
現代技術と人間 論点(技術-現代文明-人間破壊の組に対して) 技術はそれ自体では善悪無記(人間にとって善いも悪いもなく、完全にニュートラル)なのか? メリットとデメリットがあるとしたら、それはどの程度、どのようにか? それは、人間性の観点からみてコントロール可能か? どうやって社会的にコントロールできるのか? また人は、個人として技術とどうやって生きるのが、善い生活、よい人生なのか?
参考文献 『人と思想 ハイデッガー』、新井恵雄(著)、清水書院 『人と思想 サルトル』、村上嘉隆(著)、清水書院。紹介本 『人と思想 ハイデッガー』、新井恵雄(著)、清水書院 『人と思想 サルトル』、村上嘉隆(著)、清水書院。紹介本 『存在と時間』 ハイデッガー(細谷貞雄訳)、ちくま(学芸文庫) ハイデッガーの主著 20世紀の代表的哲学書 『イデオロギーとしての技術と科学』 ハーバマス(長谷川宏訳)、平凡社(ライブラリー) カント、ヘーゲル、マルクスらの技術思想を批判的に検討した技術論(専門的) 『科学と社会』 都留重人、岩波(ブックレット622) 科学技術と社会の問題を間単にまとめたパンフレット 『ハイデッガーの技術論』 加藤尚武(編)、理想社 研究、批判と解説
連絡など 最終日1月29日、31日はレポート提出日にします。一週間前(来週)にはレポートのテーマを出します。その場で書ける内容にしますので、その場で書いても、授業の最初に提出しても、どちらでもかまいません。(の、予定です) 2月15日が早い人の成績締め切りなので、早めに提出してもらって、急いで成績つけに入るつもりです。