マシュード・カーン:  ウィニコットの外傷 東京国際大学 妙木 浩之.

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対象の使用 妙木浩之 * この資料 ( 文字のみ ) は 「 フロイト以後 100 年 」 ブログサイトに掲載 。 D.W.Winnicott 1896 年 年.
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マシュード・カーン:  ウィニコットの外傷 東京国際大学 妙木 浩之

 はじめに 精神分析の発見は「神経症は性的倒錯の陰画である」という言葉に収束させることができる。ここで言う神経症は、いろいろな言い換えが可能だ。「文化適合性の不調」「過剰適応」などなど。フロイトは、文化は基本的に居心地が悪いと述べた。その産物が幻想だとも。 だからウィニコット流にいえば、本当の自分は、外面に出てこない。文化は中間領域だと考えれば性の欲動、衝動についての議論は、性的空想と錯綜している。フロイトの命題をウィニコットで言い換えるための努力が本発表になる。

ウィニコットの理論的発展 1. ストレイチーの分析(1923-33) 古典的なフロイト的解釈 2. クライン派の時代(1935-46) 1. ストレイチーの分析(1923-33)    古典的なフロイト的解釈 2. クライン派の時代(1935-46)   「躁的防衛」(35)「設定状況」(41) 3. 母性的環境仮説の着想(41-46)    定型的な治療構造から疎開計画の体験 4. 理論的な進歩(46-51)    環境としての母親、クラインから離脱 5. ウィニコットの臨床的な貢献(52-71)    治療的な技法の定式化     →リトル(49-)、カーン(51-66)

著作 “The Privacy of the Self” (1974) "Alienation in Perversions" (1979) "Hidden Selves" (1983) "The Long Wait" (1988) “When the spring comes” (1988)

カーンのもっとも優れた業績1 累積的外傷論 cumulative trauma  カーンのもっとも優れた業績1 累積的外傷論 cumulative trauma    累積的外傷は、子どもが保護膜としての母親(あるいはその代理)を必要として、使用する発達段階に起源をもっている。一時的で不可避な失敗は、成長のなかで修正されたり、回復するだけでなく、成長に於ける新しい機能の栄養になったり、刺激になったりする。病的な反応の核が生じるのは、その失敗がきわめて頻繁で、あるパターンのリズムをもち、心身的な統合に、消去できなほどの侵襲になる場合のみである。     ⇒スキツォイド人格の問題

業績2:つぎはぎの内的世界と偽りの自己 倒錯は、母親の溺愛や虐待、いずれにおいても自己の否定に基づいている。    業績2:つぎはぎの内的世界と偽りの自己  倒錯は、母親の溺愛や虐待、いずれにおいても自己の否定に基づいている。  偶像化された自己として修復される  偶像化された対象としてフェティッシュが形成される。  内的対象関係は「つぎはぎされた内的対象」として形成される。ペニスを持った女性、ヴァギナをもつ男性、両性をもつ男女など。  倒錯者がパートナーを求めるのは自己ナルシシズムのためであり、愛情は本当に親密さというよりも演技的、偽りのものになる。

 Goodleyの告発 2001年のLondon Review of Booksでの”Saving Masud Khan“での報告:カーンは最初から境界侵犯が激しかった。Goodleyは、カーンが自分のことを語り、治療的な中立性を常に破っていたということだった。当時彼はウィニコットの分析を受けていて、さらに著作集を編集する作業を手伝っていたので、その相談の電話などを分析の間で会話したのだと言う。推定では1959年2月から1966年7月までの期間ではないかと考えられている。

Masud Khan(1924-1989) Mohammed Masud Raza Khanは 78歳の父親(広い土地を持つ地主で、英国インド軍に参加した地元の名士、9人の子どもを育てた)と若いときに結婚して、最初の夫が亡くなり、その後19歳のときに、Khanの父親と四度目の妻として結婚した母親(高級娼婦?あるいはイスラム女性?)の間に生まれた。   父親は隠居生活に近いが権威的で、母親は父親の土地のなかで荒れた地に前夫の子と暮らすことを余儀なくされた⇒ひっそり母親へのこだわり  16歳のとき父親が亡くなると、母親のもとに移り、その後抑うつ:精神分析的治療を受けて、さらに英国へ

 本当の話かどうか分からないが Khanはブジャールの大学を英文学と心理学のダブル・ディグリーで卒業した。優秀な成績だったが、父親の死を始めとしてうつ状態のために精神分析的な心理療法を受けはじめた。彼は英国に留学、そのときに、英国協会のボウルビィの面接を受けたが、ボウルビィは彼を候補生だと考えて、勉強に来たのだと誤解したのだという。この点は記録が残っていないので、理解は難しいが、その後カーンは協会の論客になっていく。⇒ウィニコットの偽りの自己(1960)

 恵まれた訓練環境のなかで カーンは1946年にPunjabからロンドンに来て22歳で精神分析の訓練を始めた。おそらく性格的な問題は分析によって修正されると期待されていたのかもしれない。最初のケースは1948年にアンナ・フロイトのSVの元で始められたが、訓練委員会はケースの終結を決めている。再度最初のケースはシルビア・ペインかクラインかによってSVが行われている(記録が残っていない)。4ヵ月後に二つ目のケースがはじめられて、1950年には分析家の資格を与えられている。26歳という若さ!

 優れた洞察と知性 訓練委員会の記録には、講義やセミナーにおけるカーンの優れた知性と理解とが強く印象に残っているという印象が書かれている。1952年にはウィニコットが最初のケース、二番目のケースをマリオン・ミルナー、三番目をクリフォード・スコットのSVで児童分析家として資格を得ている。1951年に分析家リックマンが亡くなると、カーンは三人目の分析家としてウィニコットを選んでいる。それはウィニコット自身の分析と同様に長く、1966年まで、15年間続いている。

 正会員になる道程のなかで 最初の正会員のメンバーシップを得るための、論文「自慰に対する防衛としての同性愛エピソード」を1953年に提示した。それが患者のdisguiseが問題になって不適切として選ばれずに、1954年に再度「男性患者の同性愛エピソード」として発表して、この発表を聞いていた数人の年長の分析家が、論文の質についての議論ではなく、分析家の性格について、投票の前に議論されたと記憶している。32対15の投票で分析家として認められた。

 資格とは何かという問題 一年後ウィニコットの推挙で、訓練分析家資格に推薦されたが、この申し出は三回にわたって却下されている(1955,1955,1957)けれども1959年にカーンはこの資格にふさわしいと見なされた。こうした却下は、英国協会では、人格も含めて業績その他で珍しいことではない。ただカーンの業績は目覚しいものだった。カーンは55年から1977年までの22年間、英国精神分析協会の代表として活躍して国際的に有名になった。20年間IPAジャーナルの編集者であり、ReviewあるいはフランスのNRPの編集者であった。

 徐々に問題が起きた! 患者の問題については、それらの知名度と平行してしばしばうわさに上っていた。最終的に1976年に候補生が、自らの妻が候補生であり、カーンとの訓練分析をしていたが、性的関係による境界侵犯について訴えてきた。訓練委員会で問題になった(今日これらの文書は残っていない)。訴えは認められ、カーンは訓練分析家の資格を「辞める」ように伝えられたが、カーンは「辞める」のではなく、「引退する」という手紙を書いてよこした。彼はガンの診断を受けていたし、致命的な状態と判断され、それは受諾された。

カーンの分析体験 二人の分析者が治療間になくなっていること シャープ(9ヶ月間:1875-1947) リックマン(51年)    シャープ(9ヶ月間:1875-1947)    リックマン(51年) ウィニコットとの長いと言われる分析と共同編集作業(51-66年)    その間でウィニコットの理論の共同編集者になっていく(1963-) Privateであること、隠されていることが主題⇒スキツォイド論や「累積的外傷」理論 倒錯的対象関係が主題であること

 おかしな分析的倒錯関係 彼らの関係ははじめから知的であった。⇒D.W. Winnicott and M. Masud R. Khan, Review of Psychoanalytic Studies of the Personality by W.R.D. Fairbairn (1953); also in Psycho-Analytic Explorations (1989). そしてカーンのアプライは何度も審査から落ちているにもかかわらず、ウィニコットは彼を支え続けて、分析シリーズの編集者にしていった。当時ウィニコットも孤立していた。

倒錯が本当の自己なのか 分析がもたらした悲惨な結末⇒分析家が死ぬことは、対象喪失と見捨てられ不安の強化であり、深刻な外傷である。  倒錯が本当の自己なのか 分析がもたらした悲惨な結末⇒分析家が死ぬことは、対象喪失と見捨てられ不安の強化であり、深刻な外傷である。 異国語での分析体験(母国語ウルドゥー語が本当の自己である)اسلامی جمہوریہ پاکِستان‎⇒彼は、長く妹や母親とは自然で、仲の良い家族であり続けた。 周囲の人々のなかには、彼が優れた人格者えあったと報告する人は多いし、彼の日記Workbookにはその姿が描かれている(非公開)。

悲惨な結末=枠の問題 ウィニコットは知っていてもどうしょうもなかった。それに彼には抱える技法が芽生えている最中だった。 仕事と私的な世界の混同 クレアとの三角関係 ウィニコットの病気を心配する 抑うつ、アルコール依存症 双極性障害、人格の病  ここには倒錯ではなく、侵犯がある。

カーンの仕事 カーンの自己論は、自己を内的な環境の表象として考えて行く。 フェアバーンやボウルビイの理論をメタ心理学的に整理しながら、自己の構造論を構築する。 彼のスキツォイド人格理論は、フロイトの自己論と、フェアバーンの構造論を、ウィニコットの促進環境論とを纏め上げたものである。 累積的外傷理論が登場する。 人格障害、恐怖症的なスタンス、さらにヒステリー(境界例人格)が環境の失敗として定式化される。 倒錯におけるcollated objectの考え方を導入する。 臨床的な夢解釈における夢空間の考え方を利用する。 臨床的な潜在空間論と抱えることを強調する。 逆転移を保つと待つ。

 彼の心の中の人種 彼は母親の地を愛すると同時に、父親の地位と英国とを限りなく超自我的に捉えていた。だから英国では、自国の「プリンス」という名前で、セレブリティの間に身をおいた(偽りの自己で防衛した)。彼が本当に倒錯的だったのは、自国=女性に対してであり、それは二度の結婚で繰り返されていた。 11年後(1988)、5人の訓練分析家から彼の著作に反倫理的な発言があることが訴えられて、倫理委員会が彼を呼んだが、彼は咽頭ガン(肺がん)のため出席できず、次の年に亡くなっている。

 ウィニコットの偽りの自己 環境の侵襲的な要素に対して、心が組織する自己の一側面、表面的に見れば過剰適応であり、内面的に見れば人格のゆがみでもある。 本当の自己はつねに表面化しない。    →カーンの洗練化 性を理論のなかに入れていない、倒錯理論の顛末ともいえるのではないだろうか。 カーンの生きたセレブと軍隊の世界は、逆に倒錯を空想で許すような文化ではなかった。深刻な否認と分裂がそこにはある。

本当の自己の倒錯性と偽りの自己の神経症性 フロイト「神経症は倒錯の陰画である」⇒ 偽りの自己は、環境に対して組織された防衛であり、適応のための過剰な試みであることが多い。つまりそれは神経症的である。 イド要求が環境としてではなく,自己の一部として感じられる状態に到達する。この発展が生じるとき,イド充足は自我あるいは本当の自己を強化するとても重要なものになるのである。「偽りの自己」論文(1960)

資料は以下のブログにあります フロイト以後100年  http://winnicott.cocolog-nifty.com/psychoanalysis3/