MEDC フェローシップ モジュール2 キックオフセッション これまでの成長 キャリア・人生の歩みは十人十色 名前: 森本勝彦 現在の勤務先: 奈良県総合医療センター 循環器・腎臓内科 仕事の内容: 医師業務全般(外来病棟業務、研修医教育) 臨床研究や学会活動 地域住人向けの健康教室、など 大学勤務時には学生への講義を行っていました
学生時代の思い出① 地元の公立中学3年生の時に、父が脳出血で半身不随に。医師を志す。 医師を志すも受験戦争についていけず、某大学工学部に入学。電気工学の専門性を学ぶにつれ、『大学受験は所詮高校生レベル』と感じるようになる。同大学の自由奔放すぎる友人達にも後押しされ、地元の医学部に再入学。 大学2年生のときに、富士山8.5合目の山小屋で2か月間住込みバイト。いろんな意味で、多少無茶しても人生なんとかなる、と考える。
学生時代の思い出② 医学部5~6年生のとき、父のような患者を救うために、立派な臨床医になろうと考え(!)、有名研修病院をいくつも見学。在学する大学の恩師となった教授から、『そんなに有名病院に行きたいなら、海外の病院も見学したら?』と、ドイツの大学医学部を紹介してもらう(英語すら全くできないのに)。 6年生の夏休みを使い、初めての海外。ドイツの大学病院に一人で1か月間の見学実習。世界中から学生が見学に来ており、親友となる。酒に酔えば英語が話せることが分かった。日々、感動であった。 日本に帰国したら、以前に見学した研修病院の入職試験がすべて終わっていた・・・。
社会人なりたての頃の思い出 父の脳出血の原因は多数の生活習慣病の結果であると考え、内科医を志す。 少しでも早く一人前になりたくて、常に病棟に張り付いていた(急変や手技を探し歩く: 不謹慎)。朝6時から翌午前2時頃まで同期と病棟で勉強していたが、当時は意外に平気だった。 数多くの先輩医師から教えをいただく。先輩方も教えることで自分の知識や経験を確立しており、その教育法を真似て後輩を教育するようになる。 ・・・仕事をしている記憶しかない。あれ?
近況報告 現在は一般業務と研修医教育に加え、いくつかの学会の委員活動や後輩医師の臨床研究・学会発表(国内・海外)を行っています。 年を重ねるにつれ、社会人になりたての頃の情熱が失われてしまいました。先述の教育熱心だった先輩方も同様です。今の研修医の生活・考え方も以前とは異なると思いますが、後輩を指導する立場となった今、他の多くの指導医に少しでも以前のような情熱が灯る、後輩と指導医ともにwin-winである学習・教育ができれば、と考えています。 2016年2月末、父が死去しました。息子として、医師として父の生活習慣病とリハビリテーションに取り組みましたが、癌には勝てませんでした。父のおかげで今の私があると心より感謝しております。