百人一首 成り立ち物語 <宇都宮ゆかり> わたくし,「みやびぃ」が みなさんを,百人一首の 世界へ案内しますね。 みやびぃ わたくし,「みやびぃ」が みなさんを,百人一首の 世界へ案内しますね。 うつのみや百人一首 マスコットキャラクター みやびぃ
むかし、むかし、わたしたちのまち 宇都宮に 和歌のすきなお殿様がいました。 とのさま
宇都宮頼綱 名は 宇都宮城 五代城主です。 いました。 関東有数とうたわれて たいへん力があり、 鎌倉時代の宇都宮城主は 宇都宮城 うつのみやよりつな 宇都宮城 五代城主です。 宇都宮城 いました。 関東有数とうたわれて たいへん力があり、 鎌倉時代の宇都宮城主は じょうしゅ 宇都宮頼綱
蓮生入道 京都に住むことになりました。 城主の身分を捨て、お坊さんになり 守るため、やむをえず お城と宇都宮の人々を 疑いをかけられ、 しかし、幕府にさからったという お坊さんになった頼綱は、 蓮生入道 れんしょうにゅうどう と名前をかえました。 ぼう
京都にうつり住んだ蓮生は 当時の有名な歌人 藤原定家 ふじわらさだいえ と親しくなりました。 藤原定家 蓮生(宇都宮頼綱)
宇都宮家と藤原家は親戚になりました。 結婚し、 定家の息子為家は やがて、蓮生の娘と 蓮生と定家はますます仲良くなり ためいえ しんせき
はやっていました。 和歌を書き記した色紙をはることが また、当時は屋しきのふすまに 和歌がますます好きになりました。 蓮生は定家に和歌を教えてもらい、
選んでもらいました。 定家に そこで、蓮生は自分の別荘にはる和歌を べっそう
歌から百首を選び、 定家は、昔からよまれている 色紙にまとめました。
「小倉百人一首」 百人一首のもとになっているのですね。 定家がまとめたものが つまり、蓮生のお願いにより のちの この「小倉山荘色紙和歌」こそ、 「小倉百人一首」 とよばれるものです。
宇都宮に 百人一首が 楽しんでくださいね。 百人一首を 深い関係があることを ほこりに思いながら わたしたちのまち このように、日本の文化を代表する