丹野忠晋 跡見学園女子大学マネジメント学部 2006年11月19日 国際経済の基礎 日本の産業と貿易構造の変化/2 丹野忠晋 跡見学園女子大学マネジメント学部 2006年11月19日
現代経済の特徴と日本の貿易構造の変遷 基本的な経済システムの特徴 価格システム インセンティブ 所有権 インセンティブと平等 日本の貿易構造
インセンティブ 複雑な経済が上手く機能する鍵は何? 人々が真面目に働くためのインセンティブが市場メカニズムに備わっているか? インセンティブ 真面目に働く動機付け(誘因) 社長がセールスマンを一生懸命働かせる 政府が国民を真面目に働かせる
現代経済の持つインセンティブ 現代経済の持つ人々を真面目に働かせる重要な仕組み: 価格システム 所有権が付随した私有財産制 価格という情報を見ることにより自分の費用と便益がはっきりと分かります.
価格と所有権 その価格情報を用いて経済活動を行った結果の利益=利潤は自分のもの. これで人々は真面目に働いて自分の好きな物やサービスを購入して自分の生活の質を高めようと思うでしょう. 持たない世界:誰かが恣意的に価格を設定,階級によって消費が決まる
所有権の持つインセンティブ 自分の物だから大切に使う 所有者は自分の好きなように財産を使う権利とそれを売る権利を持っている. 江戸時代:豊かになった町人の贅沢に対して倹約令を出す 大坂の豪商淀屋取り潰し. 幕府の奢侈禁止令を無視して贅沢三昧
利潤動機,情報,所有権 現代の市場経済では各個人が価格情報に反応して取引を行っている.自分の得た利潤や所得は所有権によって自分のものとすることができる.自分の持つ資源や能力を最大限に活かすことができる.こうした利潤と効用の動機付けは各個人や企業が真剣に経済活動を行うインセンティブを与えている.
インセンティブと平等のトレードオフ 業績と報酬の関連づけ 不平等の増大 勝ち組と負け組 インセンティブと平等のトレードオフ トレードオフとは: ある物を選択するには他の物を諦めなければならない
江戸時代と鎖国 江戸時代の末期に鎖国から開国へ政策転換を行う 明治維新で江戸時代が終る その後の日本の経済発展のための重要ないしずえを築いた時代でした そこで江戸時代を振り返りましょう
江戸時代の特徴 身分制度 武士が権力を握る. 人口の5%で領地を所有し武力を持つ. 百姓が人口の85%で農業が基幹産業. 人口は3000万人で1720年からほぼ一定 260年間戦争のない平和な時代.
江戸時代の特徴/2 鎖国-オランダ,清,朝鮮のみを相手にした制限貿易 越後屋の世界初定価販売「現金,安売りかけ値なし」 後の三越百貨店 大坂堂島米会所で米の先物取引. オランダのチューリップ市場に次ぐ先物市場
江戸時代の特徴/3 江戸の人口は100万人で世界最大. 次がロンドンで80万人. 高い識字率-男子50%,女子で20%という推定 教育制度が充実:寺子屋と藩校.
江戸時代に度々起こる飢饉 享保の飢饉 天明の飢饉 天保の飢饉 なぜ明治では大きな飢饉に見舞われてはいないのか? 鎖国は平和や国内経済の成熟をもたらす 飢饉という負の側面もあった
開国の影響 Tariff ペリー来航は鎖国体制を終了させました 1854年 日米和親条約 1858年 日米修好通商条約 不平等条約:相手国との合意のない限り関税率の改定不可 関税を英語で何と言いますか? Tariff
開国当時の輸出入 輸出-生糸,茶,海産物,銅 輸入-綿糸,綿織物,毛織物, 金属製品 実は大きな輸出品と思われる物があった. それは金です. 密貿易の形でかなりの金が流出したのです.
金が流出した理由 日本と外国の不利な為替レートが存在 しかし,もっとも致命的だったのは金と銀の交換比率の違いです. 為替レート-1ドル銀貨1個=1分銀貨3個 金銀比価-日本 金:銀=1:4, 外国 金:銀=1:15
金が流出した理由/2 これで1ドル銀貨60個で日本の銀を買い,そして金に交換すると45個の金貨を得ることができます. 1ドル銀貨60個では金貨が4個買えます 約11倍の儲けが出ます. 銀貨60個=金貨4個→日本銀貨180個→日本金貨45個 価格差を利用して利益を得る:裁定取引
明治維新の役割 権力の担い手が土地所有者から商工業・金融業者へ変わった フランス革命やアメリカ独立戦争と同様の近代革命といえます. 米市場のように江戸時代に市場や価格メカニズムが働いていました 奢侈禁止令などの抑圧的な政策もあった 経済の発展を政治の側が強く支持する体制になった
明治維新におけるインセンティブ 所有権が付随した私有財産 職業選択の自由(身分制の廃止) 移動の自由(関所の廃止) 自由な営業(株仲間の廃止)
工業化社会の到来のための条件 資本主義 人々が勤勉に働き,資本蓄積をする 産業革命 生産の機械化 近代革命 商工業・金融を支持する政治体制
日本の工業化 この時代,工業国として発展するのには資源が豊富であることが必要不可欠でした. 日本にとって幸福だったのは日本はある程度資源が豊かだったことです. 例えば,石炭,銅,硫黄,釜石の鉄鉱石,中国地方の砂鉄,金,銀,亜鉛など.
日本の工業化/2 三井,三菱,住友のような三大財閥もそれぞれの石炭と銅を背景に発展しました. 唯一の欠点は鉄鉱石と製鉄用の良質の石炭だけでした. 一方,イギリス,フランス,ドイツ,アメリカはすべて自国内に良質の鉄鉱石と石炭を産出していました.
日本の工業化/3 政府が機械設備を外国から輸入し,官営の工場として近代化に努めました. その技術指導も外国人に仰がねばならなく明治初期にはかなりのお雇外国人が日本を訪れました 後にはほとんどが日本人にとって代わられました.
明治初年の主な貿易 明治初年の主な貿易: 輸出-生糸,茶,海産物 輸入-綿糸,綿織物,毛織物,砂糖 明治初年では機械類の輸入が多いように思えるのですが,実はもめん製品が多い 手工業の木綿製品は工場で作られた質の良いイギリス製品に取って代わられた
日本の産業革命 日本の産業革命は一般的には日清戦争前後に始まり軽工業中心の産業革命から出発しました. その主役は機械紡績業で綿糸は1890年代には輸出が輸入を上回り生糸に並ぶ輸出品になりました. しかし当時の綿織物は手織り機の段階で機械制大工業までは到達していません.
重化学工業化 重化学部門でのリーディングセクターは造船業 第一次大戦期の1910年代までに輸入代替を実現しました. 輸入代替:外国からの輸入を止めて自国での生産にシフトすること
重化学工業化/2 船舶の輸出は第一次大戦期を除いてほとんど輸出されなかった 軍事用艦船建造が大きな部分を占めていました.
戦前(1930年代)の輸出
戦前(1930年代)の輸入
第二次世界大戦と戦後経済 自国の技術と資源の利用で財を生産しその輸出先を植民地に求める先進国の植民地獲得競争 後発国であるドイツと日本の挑戦による世界大戦に発展した 第二次世界大戦に日本は敗れると日本は自由主義体制の一員として経済の復興を目指した 1945年から1952年までGHQ 連合国最高司令官総司令部が日本を指導
戦後の経済改革 財閥解体 農地改革 労働運動の育成 この改革によって旧小作人や労働者の購買力が高まり国内市場が充実 さらに貧富の差が極端にではなくなり戦後の経済発展の土台に
日本の高度成長 以前は自国に資源を持つ国が有利 戦後の植民地の独立と資源の開発により海外からの安価な資源が購入可能 工場は資源立地から港湾立地へと変化 大型タンカーが寄航できる臨海工業地帯がもっとも効率の良い生産システム
日本の高度成長/2 国民の消費欲と貯蓄 成長と平等の両立 日本の高度成長と現代の北欧のみが達成
高度成長期(1970年代)の輸出
高度成長期(1970年代)の輸入
為替レート 戦後の為替レートはブレトンウッズ体制の下1ドル360円に固定されていた それが1971年のニクソンショックによりドルと金の兌換が停止されると固定為替を維持できなくなった そのため各国の外国為替は変動相場制に変更され今日に至っている
1971年以降の円ドルレート
今農業人口はどれくらい? はじめに江戸時代は日本の人口の85%が農業に従事していることを説明 現在は農林水産業を合わせて6%の人が従事しています. 戦前から農業人口は1300万人であまり変化はありませんでした 1960年代以降急激に農業人口が減少して現在は350万人ほど
まとめ ざっと江戸時代からの産業構造と貿易パターンを見てきました. 日本経済は産業,貿易,就業面でかなりの急激な変化を辿って来たといえます