ジェンダーの社会学 女であること/男であること キー コンセプト 性差・性別の相違 性差は、 解剖学的・(大脳)生理学的な差異を含む女・ 男の特定 「ジェンダー」という性別は、 文化・社会的規範による女としての判定・ 男としての判定
ジェンダーの社会学 女であること/男であること I. 外見に判定される人の性別・外見に(人の しぐさ)を合わせる性別判定 ~ 「受験願書,履歴書、クイズの応募はがきにも 性別欄が必ずあって」 p196 「外見はいろいろでも、『本当は』どちらかの はずと思う。」 p196 「顔つき,からだつき、しぐさや服装、言葉遣いも、『結局は』どことなく『らしく』思える。」 p196 「たいていは発情の相手を間違えない。」 p196
ジェンダーの社会学 女であること/男であること II.外見でも、内側でも判定されない性別は何か? 生殖能力・機能による区分に基づく「第二次性徴前の幼体や排卵サイクル停止後のメスは、不妊症のメス/オスは、あるいは『枯れた』老人や使い物にならなくなったオトウサンは...いったいどちらに…分類される?」p197 「性別区分は生殖能力/機能区分と常に一致しているわけではない...解剖学的な相違でさえ 必ずしもあてにならない。」p197
ジェンダーの社会学 女性であること/男性であること III. 人の性別と性別の判定、分類 「私たちは、何よりもまず生物学的・身体的な存在なのだから。ただ、それでも私たちが区別する、自覚する、欲情する性差は,身体―個体レヴェルのみで決定される問題ではない。私たちは,何はともあれ分類しているものだから。」p197 「『ちょっと変わった女/男』――どちらかにすれば気がすむんだ。」p198
ジェンダーの社会学 女であること/男であること IV. 文化の中の性別判定・ 社会規範としての女/男のカテゴリー 「人物の外見を手がかりに、性差のカテゴリーの内に透視している。」例: 「どちらにもとれる『ベビーX』を見て、男の子と判断した人、女の子と判断した人はまったく同じふるまいを、それぞれに『強さ』の表れ、『優しさ』の表れだと語っていた。」 p198
ジェンダーの社会学 女性であること/男性であること
ジェンダーの社会学 女であること/男であること IV. のつづき:文化の中の性別判定・ 社会規範としての女/男のカテゴリー 「性差が内側からにじみでてくるのではない。女・男のカテゴリー区分がまずもってあるわけだ。人は、その化身――事例――となってようやく生身の…人になる。 そうして初めて、それぞれにあるはずの性器――文化的性器――の存在が自明視され、 あるはずの情緒・感覚・行動・の違い―― 性差――が探される。」 p198
ジェンダーの社会学 女であること/男であること V. ジェンダー・アトリビュウション(性別判定) 「結果として既存のカテゴリーが強化= 維持され続けていく…この判別の過程を ジェンダー・アトリビュウションという。」 p198 性別は自然に決まるとは必ずしも言えない:「性別の判定は自然に決まるのではない… いかなる情報も完全無欠なアトリビュウションを保証しはしない。」 p198
ジェンダーの社会学 女であること/男であること V. のつづき: ジェンダー・アトリビュウション(性別判定) 「別の性を示す情報が飛び込んできたとしても…既成の枠組みのなかで適合的に解釈される… 〔ジェンダーが〕人をカテゴライズする核となる」 p198
ジェンダーの社会学 女であること/男であること V. のつづき: ジェンダー・アトリビュウション(性別判定) 「別の性を示す情報が飛び込んできたとしても…既成の枠組みのなかで適合的に解釈される… 〔ジェンダーが〕人をカテゴライズする核となる」 p198
ジェンダーの社会学 「鏡のなかの私」 「私」 p6、「個人」 p10 他者 p6~p10 関心:「私の関心」 p6 キー コンセプト 1 「私」 p6、「個人」 p10 他者 p6~p10 関心:「私の関心」 p6 4.「他者の…われわれの外見への関心」p8
ジェンダーの社会学 「鏡のなかの私」 キー コンセプト 2 外見 ジェンダーの社会学 「鏡のなかの私」 キー コンセプト 2 外見 信念 「自然に見える」こと・ 「性別によって『自然』」 「当然である」、「当然ではない」 p10 社会的カテゴリー p10 ・社会の規範
ジェンダーの社会学 鏡のなかの私 概念の説明 I 「私」=外見で他者に判断される者 =社会のなかに存在し定義づけられる「私」 ジェンダーの社会学 鏡のなかの私 概念の説明 I 「私」=外見で他者に判断される者 =社会のなかに存在し定義づけられる「私」 「他者」(複数形)=周囲に「私」を認知し、「私」を評価する。社会。
ジェンダーの社会学 鏡のなかの私 概念の説明 II ジェンダーの社会学 鏡のなかの私 概念の説明 II 「関心」=自己との関与や他者と自己の間の関与。意味は経済学の「私益」に近いが、金銭的な「関心」だけではなく、社会の場面における人間のやり取りのなかの関心も。 外見=格好+他者、社会への印象
ジェンダーの社会学 「鏡のなかの私」 概念の説明 III 信念=「当たり前」と思う、自然だと思う、実は社会に教わった価値判断が入っている現実の捕え方。 フーコーの「言説」の意味に近い。 社会的規範:自分の行為や他者の行為を判断することを可能にする社会制度に教わる判断。
「広告のジェンダー」 パラグラフ毎にプリントを参照。 人や世界を「解読するプラクティス」ということは? 人や世界を「解読するプラクティス」ということは? 第2パラグラフ:周りの社会を「…読み拾っていく」。見るものを 「解読の慣習的装置」を通して…社会的カテゴリーを典型化していく。 第3パラグラフ:解読される世界。既存の社会的なカテゴリーに 「印象つけられる」実践。
「広告のジェンダー」 第2 パラグラフ 街を通りながら、一瞬の世界 ・ 一瞥での見て取られる世界をみる。 第2 パラグラフ 街を通りながら、一瞬の世界 ・ 一瞥での見て取られる世界をみる。 この一瞬世界を深く処理しない。むしろ既存の社会的なカテゴリーの内に、「拾った」情報や「ビジュアルデータ」)入れる。
「広告のジェンダー」 第3 パラにあるキーワード 社会の中の慣習。「慣習化」された社会的な「プラクティス」。 第3 パラにあるキーワード 社会の中の慣習。「慣習化」された社会的な「プラクティス」。 プラクティス=社会で教わった(人への)考え方の応用。 この社会規範に従うプラクティスによる人への「読み方」、 そして他人による自分への読み方が機能する。 「一瞬世界」で見た「人」は、「社会的なカテゴリーの中 に「実在」と「本質」(として)印象つけられるものだ」
「広告のジェンダー」 第4 パラ 現実世界でも広告の世界でも女、男が「儀礼的に」動く = 習慣的で儀式的なしぐさ。 第4 パラ 現実世界でも広告の世界でも女、男が「儀礼的に」動く = 習慣的で儀式的なしぐさ。 儀礼/儀礼的 = 社会、人生で繰り返される 半無意識的な実践。 これらは日常の普遍的な動きであるから「解読」する時に半無意識的に意味をつける。 広告はこの「儀礼的な」動きの「シミュレーション」 を、「ありそうなこと」のようにする。
「広告のジェンダー」 第4 パラのつづき 広告は「現実のモデル」ではないが、上記の 「一瞬世界」と同様に知覚される。 第4 パラのつづき 広告は「現実のモデル」ではないが、上記の 「一瞬世界」と同様に知覚される。 広告を知覚する際、我々は「日常の社会的世界」へあてはめる(社会カテゴリーに素性がある)同じ「解読」を、広告の女と男にあてはめる。 認知科学の研究によるとも、人間の認知にとっては、双方とも「同質」である。 双方とも同じ「現実」ではなく、一瞬での同じ 「リアリティ」の一部として知覚される、解読される。
私たちにメッセージを伝う(ブルデューを参照)、私たちに「買い手もらいたい」読む物=「広告」のようなものがどこで見える? 「広告のジェンダー」 私たちにメッセージを伝う(ブルデューを参照)、私たちに「買い手もらいたい」読む物=「広告」のようなものがどこで見える? TVドラマ 居酒屋 映画 通勤・通学電車 雑誌 街 講義室
同質なのだということはどういう意味?... 「広告のジェンダー」 日常の社会的世界と広告の内的世界が 同質なのだということはどういう意味?... 現実世界と広告世界 ~ 「フィクションであれ、ファンタジーであれ」~リアリティは、同等な儀礼的なプラクティスを通して透視される。 社会的カテゴリーの内に保障される。 素性の同じリアリティなのだということ。
「広告のジェンダー」 広告の映像で見るジェンダー差異 1 「女は自分からは動かない」 (女は)「子どもっぽく動く」 広告の映像で見るジェンダー差異 1 「女は自分からは動かない」 (女は)「子どもっぽく動く」 男が立てるが、「ベッド、ソファー、床に 寝そべるのは、女」
「広告のジェンダー」 「広告の男は、、、女を支える」 男は「知性、気丈さ」があるはず 広告の映像で見るジェンダー差異 2 2. 「広告の男は女より上の位置でくつろぐ。」 「広告の男は、、、女を支える」 男は「知性、気丈さ」があるはず 広告の男の服装が示唆する地位と役割に 「まじめに」とり組んでいる
「広告のジェンダー」 「実際」とは?「実際ではない」とは? 広告に現れる(「棲む」)これらの人間の映像は 「実際の」ジェンダー関係を写実してはいない。 ただ、 少なくとも「不自然ではない」ように受け取られている。 いかにも「ありそうなこと」としてとらえられる。
『冷静と情熱』の広告から~ p207下 参照 「女が小首を傾げる 「知性、 気丈さ」 「男が まじめに」 「寝そべるのは女」