ウリミバエの根絶 1993年以前、沖縄のゴーヤが 県外に出荷できなかったことを 知っていましたか? ウリミバエの根絶 1993年以前、沖縄のゴーヤが 県外に出荷できなかったことを 知っていましたか? NPO法人放射線教育フォーラム
ゴーヤ
ウリミバエ 体長: 8 ~ 9 mm
害虫駆除というと 殺虫剤散布を連想するが、 害虫駆除というと 殺虫剤散布を連想するが、 多量の薬剤使用は 環境を汚染し 根絶は困難。 ほかに良い方法は 考えられないか?
放射線の授業だから「放射線」という答えが出るだろう 放射線を使ったには 違いないが、 放射線で殺したの ではない。 放射線をどのように 使ったのだろう?
沖縄県 病害虫防除技術センター 当時:ミバエ対策事業所 沖縄県 病害虫防除技術センター 当時:ミバエ対策事業所
ウリミバエの大量飼育と採卵
幼虫の飼育
蛹(サナギ)の飼育
中央に設置した放射線源を中心にし大量のサナギを入れた容器を円形等距離に動かして放射線を均一に照射
放射線の量はどのようにして決めた? 放射線の照射量が多ければウリミバエのサナギは死んでしまう。 少なすぎれば効果がない。 羽化した成虫が正常に活動できて、 しかも、繁殖力がなくなる量を選定した。
不妊虫放飼法 E.F.ニップリング(アメリカ)が 1930年代に考案 不妊虫放飼法 E.F.ニップリング(アメリカ)が 1930年代に考案 ラセンウジバエの根絶に成功 ラセンウジバエ ウシ、ヒツジなどに傷をつけ 卵を産む。幼虫は肉を食べ ウシ、ヒツジを弱らせる。
ウリミバエの根絶例 1962 ~ 1963年 アメリカ マリアナ群島 ロタ島(85km2)で成功 総面積2,254km2の沖縄県では 1962 ~ 1963年 アメリカ マリアナ群島 ロタ島(85km2)で成功 総面積2,254km2の沖縄県では 条件が異なるため 独自に研究する必要があった。
羽化2~3日前のサナギに放射線を照射してかごに入れ屋外に吊るしておくと放射線を受けた虫が飛びだす。
仮に100万匹の野生虫に対して 100万匹の不妊虫を散布すると 1匹の野生虫が1匹の不妊虫と 出会う機会は 2匹に1匹の割合(1/2)になり、 次世代の野生虫は半減して50万匹になる。
不妊虫100万匹を散布し続けると 100万匹いた野生虫は 不妊虫100万匹を散布し続けると 100万匹いた野生虫は 2世代目に 50万匹 3世代目に 16万6,667匹 4世代目に 2万3,810匹 5世代目に 554匹になり 正常に交尾できる野生虫の数は 0匹になる。
ウリミバエ根絶までの足取り 沖縄県 1972 ~ 1978 久米島 1982 大量増殖施設完成 1983 ミバエ対策事業所設置 1972 ~ 1978 久米島 1982 大量増殖施設完成 1983 ミバエ対策事業所設置 1984 ~ 1987 宮古群島 1986 ~ 1990 沖縄群島 1990 ~ 1993 八重山群島 鹿児島県 1985 ~ 1989 奄美群島
その後沖縄県産ゴーヤは県外出荷ができるようになった。
不妊虫放飼法によるウリミバエ根絶がなぜ成功したか ① ウリミバエ大量飼育法を確立した。 ② 不妊虫に野生虫と同じ活力をもたせる 適切放射線照射量を決めることができた。 ③ 大量のサナギに放射線均一照射が成功 環境に対して放射線による影響も 殺虫剤による薬害も出さなかった
1972年間から22年間 放射線によるウリミバエ根絶事業 放飼した放射線虫:625億匹 動員数: 32万人 費 用: 204億円
ウリミバエの根絶 完 資料提供:沖縄県病害虫防除技術センター