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Published byきよあつ かせ Modified 約 8 年前
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鎌倉武士の生活 6年 藤組 黒須 麗香
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武士 武士団の始まり 地方の豪族たちも新しい土地を開拓し、農地を広げて いった。特に関東は、多摩川や相模川などの大きな河川 が多く、それらが作り出していた平野や湿地域(しっち いき)は次々と田や畑に変わっていった。 しかし、立場の弱い豪族の土地はしばしば争いや、中央 からきた国司、国主の代理である目代によって領地をお びやかされていた。 そこで、親戚一同や一族でまとまりを強め、自分達の土 地を守るため、武装した。 さらに、武士団同士が結びつくときには、自分達よりも 身分の高い人をリーダーに選んだ。 それらが源氏と平氏。彼らの事を、武士の棟梁(とう りょう)の言う。
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〜武士の位〜 《豪族》 豊かな農民。村をまとめ戦の時は主人とし て兵をまとめる 《郎党》 豪族ほどの力はないが、自分の土地を持っ ている。豪族の家来として戦に参加 《下人》 土地を持たない小作人。豪族、郎党に従っ て馬の世話や主人を守る 《所従》 下人と同じような立場で、その家の使用 人。下人と同じような働き ※豪族、郎党は馬に乗り、下人、所従は歩いたり走っ たりして戦に参戦していた 〜頼朝の立場〜 棟梁をまとめたさらに上の棟梁。こうした人の事を 武士の棟梁という
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《御恩と奉公》 将軍と御家人の主従関係(しょじゅ う)。 頼朝 御家人 ↓ 豪族 御恩 奉公⇒戦う ⇦⇦ 土地 ⇩ 土地を認めて もらったり 新しくもらっ たり
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生活、食事、修行 4:00〜5:00 起床 5:00〜6:00 行水、修行 17:00〜 自由 20:00 就寝 食事は1日2回(朝、夕)戦の時は1日5食 玄米、干し魚、昆布とにごぼう、大根汁、酒などを食べて いて、戦時には 3000 ㌔㌍を摂っていた。この時代貴族と武 士の食事は大幅に違っていた。栄養バランスが悪く、寿命 も短かった。 〜修行〜 (弓の練習) 主に、笠懸(笠を的に討つ練習)、流鏑馬(馬で走りなが ら的を討つ練習)、犬追物(犬を放して馬に乗って追いか けて先のとがっていない矢で討つ練習)
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武士の家(農民・御家人) 農民の家 『掘り建て小屋』と いう家に住んでいた。 ・御家人の家 館(たて/たち)と 呼んでいた。 後ろに山を控え、前に小高い所に作られてい る所が多かった。 館のまわりには、水堀・空堀(からぼり)・ 築地塀(つきじべい)・垣根(かきね)など で囲われていた。
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《付属家屋(ふぞくかや)》 この建物の役割は分からず、収穫した農作物、 農具、馬具などをしまう納屋かもしれない。 又、大仏をまつった持仏堂(じぶつどう)か もしれない。 引退した元の主人の 住んでいたところ。
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《廚(くりや)》 廚とは、現代の台所にあたる調理場。 冷蔵庫がないから魚と肉類は塩付けか乾燥品。 調理の仕方は、焼く・煮る・蒸すの3種類が 基本。 燃料の薪(まき)は 男が山の中に入って 集めていた。 これは重労働だった。
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《主屋(おもや)》 主屋は主人一家が 寝泊まりしていた。 客を迎えた。 支配者の象徴。 床は板張りで、部分的には畳(たたみ)。 照明はひょうそくという小さな明かり。 燃料の油は貴重品のため必要な時にしか使わ ない。 夜の家の中はとても暗かった。 本は、明かりの近くでないと読めない。
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《門と見張り》 鎌倉時代の屋敷を館(たて・たち)と いう。 館の回りは柵と堀、崖で守られてた。 警備は厳重で、門の近くには出入りす る人や荷物を点検する人がいた。
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《表語(ひょうご)》 武士の心を表した言葉の事を『表語』という 一所懸命・・・御家人が将軍から与えられた 領地を命がけで、守ったことから作られた。 今では、一生懸命と言われている。 いざ鎌倉・・・幕府が非常事態の時には、い つでも真っ先に駆けつけて戦うことを誓った から。
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《まとめ》 最初は、ごく普通の農民だったのに、自分た ちの土地を守るために、命がけで戦う武士に なるには、とても勇気がいると思った。そし て、少し間違えると命を落としてしまうとい う修行に耐えていたのにはとても驚いた。 こうして毎日、いつ死ぬのかを心配しつつ、 その場から逃げない勇気を持った武士は、と てもすごいと思った。 画像は下の URL からです。 http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/
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