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関東地震 02T3601D 荒木太郎
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地震の概要 発生日時 1923年9月1日午前11時58分44秒 震源地 相模湾西北部 139.3゜E,35.2゜N
発生日時 1923年9月1日午前11時58分44秒 震源地 相模湾西北部 139.3゜E,35.2゜N 原因 フィリピン海プレート沈み込みに よる海溝型地震 マグニチュード 7,9 被害状況 死者 99,331人、 負傷者 103,733人、 行方不明 43,476人、 全壊家屋 128,266戸、 半壊家屋 126,233戸、 焼失家屋 447,128戸、 流出家屋 868戸、 罹災者数 340万人
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詳細
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この地震で死者が多くなったのは火災が原因であり、当時の東京市内で約130ヶ所から発生した火事は三日二夜燃え続け、東京全市街の三分の二が完全に焼失しました。死者などの多くは地震そのものではなく地震によって発生した火災によるものであり、地震発生から何時間も後に命を落とすことになりました。
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この地震の特徴のひとつとして震度7の激震域があまりにも広範囲に及んだことが挙げられる。
この地震の特徴のひとつとして震度7の激震域があまりにも広範囲に及んだことが挙げられる。
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二つの図を比べると死者数と震度の強さが一致していないことがわかります。これが火災のひどかったことをあらわすひとつ証明となります。
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関東大震災といわれるゆえんが上のふたつの図であると思います。震度が大きい場所と死者数の多い場所が不一致であり、地震の揺れによる建物の倒壊だけでなく火災がこのような結果をうんでいるのでしょう。しかし、こうした火災被害については,関東地震の以前から警鐘が鳴らされていました。当時,東京帝国大学地震学教室の大森房吉教授と今村明恒助教授のふたりは,東京で地震が起こればあまり強い揺れでなくとも,水道管が破壊されて消火活動の大きな障害となり,大火災が発生する危険性を警告していたのです。防災で重要なことは準備です。こうした予想が出ているにもかかわらず対策をとらなかったことがこの火災の被害が大きくなった一番の原因 だと思われます。
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構造による倒壊状況
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1891年(明治24年)に発生した濃尾地震では煉瓦造の建物に大きな被害が発生し、煉瓦造の建物が地震に弱いことがわかりました。 その後、コンクリート造の建物が現れますが、関東大震災当時の建物はまだ煉瓦造の建物が多く、濃尾地震以前に建てられた煉瓦造の建物もそのまま残っていました。 そして、濃尾地震の32年後に関東大地震が発生し、多くの煉瓦造の建物に被害が集中するなど耐震性を考慮されていない建物や粗製乱造の建物は破壊されました。 その一方では、鉄筋コンクリート造や鉄骨造の耐震性が明らかになり、鉄筋コンクリートや鉄骨造りの建物について新しい研究がおこり大きな進歩となります。
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建物の倒壊
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震源の真上となった神奈川県や千葉県南部でも,震度の大きさは一様はありませんでした。 こうした揺れの差は,地質構造によるものです。同じ地域で周辺よりも激しく揺れた場所は,比較的新しい時代にできた柔らかい地盤で形成されています。震源から離れた東京の下町や埼玉県東部で大きく揺れたのも同様の理由によります。 東京中心部の震度分布も,同じように地盤の性質に左右されており、関東地震で激震を記録した場所は,昔の入江や河川,沼地にあたる。 上の写真では鉄筋コンクリートの建物が倒壊したものもあり木造よりも耐震性に優れているとはいえ地盤を無視するようだとこのような結果もおこりかねないということがわかります。
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