道徳教育(他学部) 5月22日(金)4、5限 第四回「子どもの道徳的な学びについて考える②」
グループワーク① 皆さんは小さい頃、虫などの生き物を殺して遊 んだことがありますか? その経験がある人は、何が楽しかったのかを覚 えていますか? その経験を通して皆さんにどのような学びが あったのか、できれば振り返って考えてみてく ださい。 その時、大人はどのような反応を見せました か?
始めに大事なお願い 今回は今回は僕が以前に働いていた愛育養護学校での 経験を題材に子どもの道徳的学びについて考えます。 この授業で取り扱う実践事例は、全て僕がかかわった 学校関係者の厚意によってこの授業で紹介することを 承諾していただいています。 今回は学校名を挙げています。従って、個人情報につ いてはより注意が必要になります。 従って、ツイッター、Facebook、ブログ、そ の他、不特定多数の人が見る可能性のある媒体に授業 の内容について書くことは絶対にしないでください。 この授業のブログに書き込む場合には、個人の名前は 出さず、Aさん、B君のように頭文字で表してくださ い。
愛育養護学校について 東京都、私立の特別支援学校。 障碍の種類はさまざま。最近では、知的な障碍や身体の 障碍のみならず、情緒的な面での障碍を抱える子どもも 増えている。 「障碍」という字の使い方について、本校の前々校長で 幼児教育学者の津守真は、「障害の『害』は害毒の 『害』だが、子どもたちは何も害毒を流していない、 『碍』は妨げの石という意味で、石を取り除けば障碍で はなくなる」と述べている。 字の使い方だけで見方が変わるわけではないが、愛育で は障碍をもった子どもを欠点のある存在としてではなく、 ありのままに魅力ある人として捉えたいと考えている。 全員共通の時間割やカリキュラムはない。子どもたちが 自分で生活を創り、遊びの中で物や世界の仕組み、人と の関係など、様々なことを学んでいる。
津守真の言葉から 子どもの行為は心の表現である。保育は、子どもが遊び の中で表現する彼 ( 女 ) の内的世界を理解することから始 まる。 心の表現と言っても、ほとんどは無意識の表現であり、 多くの場合、子ども自身もその意味を自覚していない。 保育者が子どもの行為の意味を理解し、それに応えよう とする中で、心の表現として子どもの遊びも充実し、子 どもの心の成長につながる。 ここで、理解するとは、知識の網の目の中に位置づける ことではなく、自分が変化することである。自分の知識 や価値観に固執せず、相手(子ども)の側に立たなけれ ばいけない。
グループワーク② 吉國の実践事例を聞いて考えたことを自由に話 し合ってみて下さい。テーマ案を示しますが、 使っても使わなくても構いません。 テーマ案 A君が今回の一連の遊びの中で学んだことにつ いて考えてみてください。 A君の遊びの中にA君のどのような心の表現が 表れていたのか、考えてみてください。 吉國の保育(教育)者としての判断の妥当性、 皆さんであればどのようにしたかを考えてみて ください。 当時者である吉國への質問があればどうぞ。
感想シート 今日の授業の中で考えたこと、疑問や質問、グループワーク の中で話し合ったこと、授業に対する要望、なんでもかまい ません。 感想の紹介は匿名で行いますが、プライベートなことにかか わるなど、どうしても次回の授業で紹介してほしくない部分 などがあればその旨を記してください。 必ず、名前、学籍番号を書いて出してください。 授業中に伝えきれなかった質問、意見はメール、もしくはブ ログを利用してください。 メール HP ユーザー名 moral-education パスワード
参考文献 津守真 『子どもの世界をどう見るか - 行為 とその意味 - 』 NHK ブックス 津守真 『保育者の地平』ミネルヴァ書房 津守真、岩崎禎子、佐藤学 『学びとケアで育つ ― 愛育養護学校の子ども 教師・親』 小学館