公益社団法人倉敷青年会議所 第77回倉敷経済文化講座 倉敷経済文化講座とは 明治34(1901)年、小さな「まち」倉敷出身の大原孫三朗氏は、22歳で東京専門学校(現早稲田大学)を中退し、帰郷した翌年の明治35(1902)年日に「第1回倉敷日曜講演会」を開設しました。国がこのような社会教育を地方都市で本格着手していない時代に、個人の力で実施したことは驚くべきことでした。第1回講演会は、岡山県知事桧垣直右「社会の制裁」の演題で行われました。そして、政治・経済・科学・宗教・文芸など各界第一人者を24年間76回にわたって招きました。地方民の知的水準は、これによって大きく向上したといわれています。こうした伝統の中で育まれてきた文化の芽吹きは、やがて進取の気性盛んな倉敷在住の事業家仲間に引き継がれました。戦後の目覚しい経済発展から開放経済体制への移行が強く叫ばれた昭和39(1964)年、倉敷をこよなく愛した故大原総一郎倉敷レイヨン社長を中心に、行政・各種経済諸団体および企業に呼びかけが行われ、当時の社団法人倉敷青年会議所(以下、倉敷JC)OB・現役メンバーを軸に「倉敷経済講座」として、新たな歴史が刻まれます。
第1回「倉敷経済講座」趣意書には「国際都市としての調和のとれた地域社会発展の為の絶えまざる新知識の導入」の必要性が強調されています。そして、設立総会において故秋山政彦・故鴨井正夫両先輩を筆頭に、倉敷JCメンバーから理事が選出され、法人会員・個人会員(設立当初、約220名)による会費を資金として、その運営にあたることが決議されました。その後、法人会員・個人会員を解消し、改めて倉敷JC歴代理事長を賛助会員、現役メンバーを個人会員として、その会費と各種団体の賛助金をもとに運営資金の確立がはかられています。「倉敷経済講座」は、文化都市といわれる豊かな市民意識の高揚をはかり、新たなる市民文化の創造を目的とし、昭和60(1985)年第50回より名称を「倉敷経済文化講座」と改めております。
今回は講師に鳥越俊太郎氏をお招きし 「今後の日本の将来像~豊かな日本 その光と影~」 と銘打ってご講演頂きました。 アンケート総数800枚、回収率87.5% 10代 4名、20代 13名、30代 90名、40代 100名、50代 129名、60代 226名、70代 138名 今回のアンケート結果ですが、参加して頂いた方の大半が60代であり、若い世代の方への関心の度合いが低い結果となりました。PRをしていく中でもやはり年配の方のほうが興味を示してくれ、鳥越氏と同世代の方が積極的に参加してくれたのではないかと思います。
また、講演内容や今後の社会や生活で役立つかといった質問に対しては、ほとんどの方が肯定的な答えを書いている一方でごく少数ながら否定的な答えもありました。これは鳥越氏の過去の遍歴や有名であるがゆえに、その発言の重さから否定的な考えを持つ方もいるのではないかと思いました。いずれにしましてもほぼ100%の方が今回の講演に満足して帰られたのは明らかであり、倉敷青年会議所が行う継続事業としては大変意義のあった事業ではないかと思います。