京1000年の超新星街道 超新星残骸の研究 進化:時間発展を たどることが重要 SN1987A (左下):可視光

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京1000年の超新星街道 超新星残骸の研究 進化:時間発展を たどることが重要 SN1987A (左下):可視光 その後の20年 (下):X線 超新星残骸の研究   進化:時間発展を   たどることが重要

国宝「明月記」の超新星は1230年11月8日の稿にある。これを記録した背景は11月4日の彗星?の稿である。 夜天は晴れて奇星が見えた。此星は朧々とし て光薄し、其の勢い小からず。二日に泰俊朝臣 (晴明から8代目)の連絡は「一昨日の夜(10 月の最後の日)より織女の東、天津の東北奚仲 (白鳥座)の傍らに奇星が現れた。彗星の疑い があるけれども、未だに光っている。今ご時世 客星が出現しても不思議ではないので上奏い たしません。けれども、定家様には申しあげて おきますので、もし何かあったときはどうぞお 含みおきください」。「私は病気で籠もっており ますので、すぐには対応できせん 夜天晴見奇星此星朧々光薄其勢非小 去二日泰俊朝臣示送自一昨日夜奇星 現辛方在織女東天津艮奚仲傍其体客 彗之疑候未 及光芒如当時者客星之 条無不審客与彗大略雖同体占文各別 其重変候依事恐候不注進本文未蒙密 奏宣旨雖不及披露如此時不出詞近彼 処 不伺見候依無由事内々言上若事 次候者可得御心候、答依病籠居由訖、

藤原定家 明月記(国宝) 客星は一昨日は終日見えた。その2日後には雲に隠 れて見えなくなった。それから後は快晴で、連日見 藤原定家 明月記(国宝) 客星は一昨日は終日見えた。その2日後には雲に隠 れて見えなくなった。それから後は快晴で、連日見 えていた。この2日間は全く変りない。明け方には北 東の方に見えます。暁と夕べで東と西に現れる様子 は仰天しますね。 ハ日、霜が固まってしまったような晴れた日で、北山の雪は白い。客星事、依不審問泰俊朝臣、返事此暁と夕べで東西に動く様子は驚いて余りある。 Teika Fujiwara, 1230, Meigetsuki Vol 52 日本最古の天文学“論文 ” Crab Nebula 1054 3C58 1181 SN1006

SN1006 一條院 寛弘三年 四月二日 葵酉 夜以降 騎官中 有大客星 如螢惑 光明動耀 連夜正見南方 或云 騎陣将軍星本体 増変光 いかに大きく、明るかったかがわかります。 Chandra image of SN1006

寛弘三年四月二日(1006年5月1日)、京都南 巨椋池上空 寛弘三年四月二日(1006年5月1日)、京都南 巨椋池上空 火星 アンタレス SN1006 騎陣将軍

明るさの記録 (感覚的で明らかに誇張がある?)        超新星SN1006の千年紀  記録からは史上最高の明るさ?  南天(観測に不利):世界中の記録:30  参考 かに星雲 北天(観測に有利):10    明るさの記録 (感覚的で明らかに誇張がある?) ○中国:   地上の物がはっきり見えた(5日の月-8.5等級) ○エジプト: 1/4の月より少し明るかった ○シリア:  月のようだった。 ○イラク:  月のようだった ○イエメン: 水面がぎらぎら輝き太陽のようだった ○スイス:  目がくらむようだった (アルプスの山々をかすめる)      参考 金星-4.6等級 :  満月 -12.6等級

1000歳の記念写真から、何がわかったか? 1.史上最も明るい超新星だったことを科学的に裏付けた (核暴走型=Ia超新星だった) ネオン 珪素 X線の強度 硫黄 アルゴン 酸素 鉄 マグネシウム カルシウム X線のエネルギー

かに星雲 (1054) 丑時 客星觜参度 見東方 孛天関星 大如歳星 明月記:後冷泉院 天喜二年 四月中旬以降 一代要紀:二年甲午四月大客星 かに星雲  (1054) 明月記:後冷泉院 天喜二年 四月中旬以降 丑時 客星觜参度 見東方 孛天関星 大如歳星 一代要紀:二年甲午四月大客星 続資治通鑑:宋仁宗至和元年五月己丑客 星天関東南出 射場保昭氏 昭和9年(1934年) 「明月記の古客星現 例」を英訳、 アメリカの天文雑誌 (Popular Astronomy, Vol. 42, p 251) に発表した ヨーロッパには 一つも記録がない

1054年7月5日、京都の未明 東山上空 すばる カペラ  アルデバラン SN1054

3C58 (1181) 明月記:高倉院 治承五年 六月廿五日 庚午 戌時 客星見北方 近王良 守伝舎星 吾妻鏡:治承五年六月二十五日庚午戌時客星見 艮方鎭色靑赤有芒角。是寛弘三年出見之後 無例 クォーク星か Chandra image of 3C58 日本では2ヶ月ほど、中国では半年ほど見えていた。

図1:京都府観光マンガマップより、天文街道の部分を転載

江戸方:寛政九年(1797)に西三条に改暦所(天文台) 江戸時代の古文書(大國家文書: 府立総合資料館)では「三条北一町千本西へ三町計余」とある。厳密にはこの位置関係は矛盾するが、敷地の南東の隅が月光稲荷だろう。敷地は東西100メートル南北60メートルほど(寛政九年天文方測量場平面図)で経緯儀、垂揺球儀(振り子時計)、象限儀など。土御門の天文台と同じ経度である。伊能忠敬(1745—1818)が「大日本沿海輿地全図」を作製したとき、本初子午線(経度0度)を西三条天文台を通る線にした。また西三条天文台は北緯35度線上(正確には四条通の100m南)。地図作成にあたって、忠敬は正確な天体観測を併用した。従って緯度方向(南北)の精度は高い。一方、経度方向(東西)の誤差はやや大きい。しかし全体として測定誤差は0.1 %という驚異的な精度であった。明治維新のころ、列強の連中はその精度に驚いた。 土御門側:  寛延4年(1751)安倍泰邦製 梅林寺の大表土台(日時計)      円光寺の渾天儀(天文観測)

土御門由来の古天文暦道資料を収めた「方徳殿」がある。生嶋宮司さんの先先代が皆川家から来られたおりに、土御門の史料を持って来られたそうである 明治維新になった。土御門家の暦は非科学的ということで陰陽寮は廃止された。御役御免となった土御門家は京をすてて、東京に移住する。後始末をまかされたのが家司であった若杉家と皆川家である。若杉家があつかった資料は現在京都府資料館へ、皆川家の資料は円光寺から大将軍八神社に移されている。やがて、土御門が担った京都1000年の古天文学は、   近代天文学として京都大学に引き継がれ発展していく

「京1000年の天文学街道」全体の模式図、京都府マンガ観光マップより転載。

一条通: 付喪神の百鬼夜行図(京大総合図書館所蔵:無断転写厳禁) 百年経過した古道具は妖怪になる(付喪神)。康保(946-968)のころ、これら付喪神は船岡山にすみついた。王城の北方を守る玄武も有象無象の百鬼が移住してきた時にはたまげたことだろう。深夜、付喪神たちは一条通り(大将軍八神社--安倍晴明神社)を練り歩いた。百鬼夜行という。 天竺、中国(殷)、平安京(鳥羽上皇)と時代と空間を超えて大暴れした妖狐・玉藻前が安倍泰成により正体を見破られ、征伐され、殺生石になった。この石から作られた地蔵ということである(「神明鏡」)。安倍晴明の五代泰親の四男に泰成がいるが、この話の陰陽師は泰親のこととも言われている。 殺生石鎌倉地蔵

中国の記録 宋会要輯稿 宋史天文志 五月一日(1006年5月30日)司天監言 先四月二日(5月1日)夜初更,見大星, 色黄,出庫楼東、騎官西,漸漸光明, 測在氐三度。 宋史天文志 景徳三年四月戊寅(5月6日), 周伯星見,出氐南騎官西一度, 状如半月,有芒角,煌煌然可以鉴物, 历庫楼東,八月,随天轮入浊, 十一月,復見在氐。

56Coの半減期 Ia型(核暴走型):標準光源:絶対等級(極大) = -19.5等級 距離 = 7100光年 = 2.2kpc 記録から再現した光度曲線 56Coの半減期  視等級 1006年5月1日からの日にち Ia型(核暴走型):標準光源:絶対等級(極大) = -19.5等級 距離 = 7100光年 = 2.2kpc  視等級 = -8.5等級

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