ウィニコットの仲間たち 東京国際大学 妙木 浩之.

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対象の使用 妙木浩之 * この資料 ( 文字のみ ) は 「 フロイト以後 100 年 」 ブログサイトに掲載 。 D.W.Winnicott 1896 年 年.
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母親と言うものはないのだろう か? 東京国際大学妙木 浩之. 個人的体験から 傷つきやすさの活用という視点から ウィニコットの母親について、多くの証言が うつ病であったと語っている。姉たちは結婚 していない。 ウィニコットの母親について、多くの証言が うつ病であったと語っている。姉たちは結婚 していない。
ネット中毒・携帯依存症 自分の世界にのめり込む若者たち. ネット中毒・携帯電話依存症とは・・・? ネット中毒 【インターネットに接 続し、チャットや BBS へ書き込み、オンライ ンゲーム等を長時間に わたりやり続けるなど、 現実世界の生活に支障 をきたすまでになって きている状態のこ と。】最近急増してい.
J.Kominato 個別ケアプラン作成の留意点 個別ケアプラン作成の留意点 J.Kominato.
キー・コンピテンシーと生きる 力 キー・コンピテンシー – 社会・文化的,技術的道具を相互作用的に活用する力 – 自律的に行動する力 – 社会的に異質な集団で交流する力 生きる力 – 基礎・基本を確実に身に付け,いかに社会が変化しようと, 自ら課題を見つけ,自ら学び,自ら考え, 主体的に判断 し,行動し,よりよく問題を解決する資質や能力.
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2007年10月14日 精神腫瘍学都道府県指導者研修会 家族ケア・遺族ケア 埼玉医科大学国際医療センター 精神腫瘍科 大西秀樹.
心理学 武庫川女子大学文学部教育学科 北口勝也 http: //www. mukogawa-u.ac.jp/~kitaguti.
ウィニコットフォーラム 共視論としての発達促進的環境.
治療構造論.
てんかんという病気に 向かい合うために ・家族内力動について
看護管理学特論 救急・集中治療領域における家族看護
スライド資料 C4 ICT機器を活用した授業づくり ④特別支援学校における ICT活用 兵庫教育大学の小川です。一応作者です。
認知症老人の介護   家族に対するケア 上野公園病院 高 田 靖 子.
がん患者の家族看護 急性期にあるがん患者家族の看護を考える 先端侵襲緩和ケア看護学 森本 紗磨美
マシュード・カーン:  ウィニコットの外傷 東京国際大学 妙木 浩之.
フーコー 言説の機能つづき: ある者・社会・国の「排除」
(相互に利益を得、円満な関係で良い結果を得る)の関係です。
リーダーの役割 総合政策学部3年 鋤先麻美 環境情報学部3年 生田目啓
心理科学・保健医療行動科学の視点に基づく
高齢慢性血液透析患者の 主観的幸福感について
性差と、性別(=ジェンダー)の相違とその調べ方
理論研究:言語文化研究 担当:細川英雄.
理論研究:言語文化研究 担当:細川英雄.
フロイト あるいは自我心理学を通して 妙木 浩之
児童治療における論争.
子どもの性格は生まれつき? ー性格の決定因と発達ー
ホップ!ステップ!ワーク!2017 一般社団法人 宇治青年会議所.
2011 行動分析学特論 (1)行動分析学と 対人援助(学)
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第13回(通算29回) 福祉対象者への相談援助 合意形成
図15-1 教師になる人が学ぶべき知識 子どもについての知識 教授方法についての知識 教材内容についての知識.
広告会社で働く自分が 考えていること・考えてきたこと
浜松医科大学附属病院・磐田市立総合病院 チャイルド・ライフ・スペシャリスト 山田 絵莉子
2010応用行動分析(3) 対人援助の方法としての応用行動分析
Presentation transcript:

ウィニコットの仲間たち 東京国際大学 妙木 浩之

個人的体験から 傷つきやすさの活用という視点から  個人的体験から 傷つきやすさの活用という視点から ウィニコットの母親について、多くの証言がうつ病であったと語っている。姉たちは結婚していない。 第一世界大戦で仲間を失い、夢を見られないという症状で精神分析と出会う。 最初の結婚相手が、精神障害をもっており、青年期から成人期をその介護に費やす 第二次世界大戦における疎開活動 そこでのクレア・ブリットンとの出会いと不倫

母親の謎 仮説「母親は抑うつ的であった」 1948年「母親の抑うつに対して組織された防衛の観点から見た償い」 ↓ 治療における環境の位置づけ 複数の母親たち- 忙しい父 67歳の手紙(義理の兄へ)-リトルの証言 1948年「母親の抑うつに対して組織された防衛の観点から見た償い」 ↓ 治療における環境の位置づけ

大戦の傷 第一次世界大戦で医大生として参戦し、多くの同僚を失う→PTSD 「夢がみられなくなる」という症状 ↓ 1.精神分析との出会い 2.外的環境の内界への影響 3.環境欠損の子どもたちのケア

ある反復:発病した妻 1923年7月7日 結婚 →発病 「若い頃のウィニコットの精力を使い果たした」(カーン) 1923年7月7日 結婚 →発病 「若い頃のウィニコットの精力を使い果たした」(カーン) 23-25年に起きた多くの出来事 ↓  1.子どもを作れなかったことと不倫  2.疎開計画への熱意  3. 在宅でのケア(反社会的傾向):マネージメント   1955年「在宅で取り扱われた症例」  4.holdingと逆転移の意味の深さ

メラニー・クラインとの関係 クラインが重症の鬱症状に悩んでいたことは多くの同時代人が目撃している。 ウィニコットは彼女の息子の治療者である。  メラニー・クラインとの関係 クラインが重症の鬱症状に悩んでいたことは多くの同時代人が目撃している。   ウィニコットは彼女の息子の治療者である。 再び1948年「母親の抑うつに対して組織された防衛の観点から見た償い」    →彼女との関係が破綻した後に書かれた論文としての意義:独立宣言

 攻撃性は天性のものではない 最初子供は無統合で、Motility(運動性)が中心である。だから相手のことよりも、運動性が前面にあるので、環境からは、陰性の無慈悲な状態に見える。だがそこで母親は母性的な機能によって、それを抱えるので環境によって、攻撃性に見えるだけである。 陰性のものの裏側には、環境への期待があり、環境側はそれを逆転移によって耐えることが必要になる。

ウィニコット独自の仕事:環境論へ 1948年「母親の抑うつ」 1950年代→ マネージメント 1952年「症状の容認」 分析体験の完成  ウィニコット独自の仕事:環境論へ 1948年「母親の抑うつ」 1950年代→ マネージメント    1952年「症状の容認」   分析体験の完成 1947年「逆転移のなかの憎しみ」  クラインからの離脱と自分のあり方 1951年「移行対象論」

1954 「精神分析設定内における退行的および臨床的側面」  1954 「精神分析設定内における退行的および臨床的側面」 1963年「幼児のケア,子どものケア,分析的設定における依存Jにつながる発想  抱える環境=分析設定:雰囲気であって、ここには触ることなどは含まれていない。この設定が依存への退行を生み出す素地になり、信頼感から転移を育む素地を生み出す。 ⇒退行する元来備わっている内的組織 1.偽りの自己の発達をもたらす自我組織の失敗 2.元の失敗が修正できる可能性

依存への退行と解凍 分析設定のなかでの転移関係として生じるのは依存への退行である(依存への退行と退行した患者とは違う)。  依存への退行と解凍 分析設定のなかでの転移関係として生じるのは依存への退行である(依存への退行と退行した患者とは違う)。 環境としての母親はかつて融合(子供が母親を空気のように感じる)状態と呼んだものであり、対象としての母親とは出自が違う。抱えることのなかに自我組織がある。 考えない記憶には、外傷が凍結されていて、そこには自我組織がある。

 依存への退行 退行には二つある。一つは早期の失敗状況に戻ることであり,もう一つは早期の成功した状況に戻ること…環境の失敗状況が問題となるような症例でわれわれが目にするのはその個人によって組織化された個人的な防衛の証しであり,これは分析を必要とする。より正常な,早期の成功した状況を有している症例でわれわれがよりはっきりと目にするのは依存の記憶であり,それゆえわれわれは個人的な防衛の組織よりはむしろ環境の状況に出会う。

 分析家の失敗の意義 この新しい環境にとって,分析家の失敗は重要な要素である。それは転移,すなわち早期の失敗状況の再演(re-enactment) のなかで生じなくてはならない。よって分析家の失敗は,上演(enactment)であり,適切なタイミングで生じる必要がある。しかしながら,患者にとっての癒しの効果を持たせるためには,分析的枠組みがいったん確立した後においてのみ生じる

 失敗による成功 限定された文脈では誤解されていることに耐えなくてはならない…。今や患者は分析家を失敗,元は環境の要素から生じた失敗のゆえに憎むが,その失敗は幼児の万能的コントロール外のものだったものが,それは今は転移のなかで演じられる。それゆえ,最後には私たちは失敗する一患者のやり方に失敗する一ことによって成功するのである。これは修正体験による治癒という単純な理論とはかなりかけ離れている。

 存在することとすることの極 一方の端には存在することがあり,それは健康や統合,存在することの能力,その結果,行うことと関連している。もう一方の端には,原初の苦悩があり,そこでは未熟な反応しかなく,内側と外側の区別ができず,自分と自分でないものの区別ができない。その場合,そこには常に一つのチャンスがあるが,それは,存在することに始まる転移関係のなかで,重心を発見するために必要な退行を精神療法が促進するチャンスである。

1.ウィニコットの臨床感覚

Harry Guntrip(1901-1975) 1944 Smith and Wrigley:The story of a Great Pastorate 1949 Psychology of Ministers and Social Worker 1951 You and Your Nerve( Your Mind and Your Health 1970) 1956 Mental Pain and the Cure of Souls 1961 Personality Structure and Human Interaction 著作→Schizoid問題 1962 “The manic-depressive problem in the light of the schizoid process” 1964 Healing the Sick Mind. 1967 “The concept of psychodynamic science” 1968 Schizoid Phenomena, Object Relations and the Self 1971 Psychoanalytic Theory 1973 “Sigmund Freud and Bertrand Russell” 1974 “Psychoanalytic object relations theory :The Fairbern-Guntrip Approach” 1976 “My Experience of Analysis with Fairbain and Winnicott” 1994 Personal Relations Therapy (ed,J.Hazell)

1976 “My Experience of Analysis with Fairbain and Winnicott”(1975 親の不仲 女の子の洋服:母親の趣味 二才下の弟の誕生と16ヶ月目で死ぬ  牧師への道 1938年 37歳のとき、彼を補佐していた年下の同僚が去ったとき、スキツォイド状態、心身消耗状態になる。 1949‐1959年 計1000回を越える分析をフェアバーンからの分析 1962‐1968年 計150回のウィニコットの分析

H.Guntripの分析体験 クラインとフェアバーンの統合 対人関係論から自我心理学までも含めた 立場 →『対象関係論の展開』   対人関係論から自我心理学までも含めた   立場 →『対象関係論の展開』 1938年 彼の年下の同僚が去ったときに   パニック、心身の不調→   フェアバーンから分析(49-59)   ウィニコットから分析(62-68)

ガントリップの分析内容 健忘はいずれの治療が終わってから明確になった。 「フェアバーンは理論に比べて、臨床はよりオーソドックスで、ウィニコットは理論に比べて、臨床はより革新的であった」   フェアバーン:郊外の、古道具があって、大きな待ち合わせ室   ウィニコット :シンプルで計算された都会的待合室

ガントリップの分析内容 弟の死と母親との葛藤 フェアバーン:エディプス・コンプレックス ウィニコット :母親との関係の欠損 治療技法   フェアバーン:エディプス・コンプレックス   ウィニコット :母親との関係の欠損 治療技法   フェアバーン:内容の解釈   ウィニコット :沈黙と母子関係の転移解釈 内容は同じでも→解釈を手控えているウィニコット

2.精神病と退行

赤ん坊というものはない 「赤ん坊」という存在はない。赤ん坊と母親(養育者)は対であり、乳母車があれば、そこには母親がいる。  赤ん坊というものはない 「赤ん坊」という存在はない。赤ん坊と母親(養育者)は対であり、乳母車があれば、そこには母親がいる。 精神病は、無統合な時期の環境欠損病である。 早期の失敗を補うには、母性的な機能の必要な段階への退行が必要になることがある(精神病性の転移:リトル)

母親的な没頭 maternal preoccuaption 母親的機能 Holding Handling Object-presenting  母親や養育者に備わっている本能の解除によって生み出される。→精神病的なものに対する治療技法

ウィニコットの理論的発展 1. ストレイチーの分析(1923-33) 古典的なフロイト的解釈 2. クライン派の時代(1935-46) 1. ストレイチーの分析(1923-33)    古典的なフロイト的解釈 2. クライン派の時代(1935-46)   「躁的防衛」(35)「設定状況」(41) 3. 母性的環境仮説の着想(41-46)    定型的な治療構造から疎開計画の体験 4. 理論的な進歩(46-51)    環境としての母親、クラインから離脱 5. ウィニコットの臨床的な貢献(52-71)    治療的な技法の定式化       →リトル(49-)、カーン(51-66)

M.Littleの分析体験 M.I.Little(1901-1994) 「逆転移と患者の反応」論文(51) 転移性精神病、妄想性転移   「逆転移と患者の反応」論文(51)   転移性精神病、妄想性転移      →『原初なる一』 ウィニコットとの分析体験(49-55)    混乱期とその治療体験    『精神病水準の不安と庇護』

Margaret Isabel Little(1901-1994) 1907年 病気で不登校 1909-19年 女子高校 1919-26年 ロンドン大学-ベッドフォード大学‐聖マリア医学校 1927年 医師になる 1929年 G.P.を始める 1939年 開業場面を売り、精神科医を目ざす 1941年 シャープとの分析

1945年 英国精神分析学会準会員 1946年 会員としての資格を得る 1947年 シャープ死去。ウィニコットが空くまでの間、ミルナーとの分析 1971年 英国精神医学大学協会の会員 1971年 引退 1981年 論文集『原初なる一』 1990年 ウィニコットの治療体験の本 1994年 11月27日ケントの自宅で死去

『ウィニコットの治療記録』 センセーショナルな扱いを受けた論文 第3章 Dr.X.との精神療法 1936~ 1938年   『ウィニコットの治療記録』 センセーショナルな扱いを受けた論文 第3章 Dr.X.との精神療法 1936~ 1938年 第4章 Ella Freeman Sharpeとの,精神療法 1940~ 1947年 第5草 D.W.Wとの精神療法 1949~ 1955年,そして1957年 第6章 その後のこと 1957~ 1984年まで

精神病と子供のケア(1952) 精神病は環境欠損病  である 環境の侵襲    impingement 抱えることと移行領域

リトルの臨床報告 パラノイドの「さまよう人」の分析(1944-46,46(3/w)46-48(1/w)、1954末(1M)  リトルの臨床報告 パラノイドの「さまよう人」の分析(1944-46,46(3/w)46-48(1/w)、1954末(1M) 患者のニーズに対する分析者の総反応  重症の患者では転移解釈が意味をもつようになるのは、治療者の現実的な反応のほうである。→「解釈は妄想に何の影響も与えません。夢から目覚めさせること、それは真実だと信じられたことが真実ではないと気付くことです。解釈の背後に一人の人間がいることです」。

臨床的問題(リトル) 1. 何も言わずに面接室を出て行く 2. 何も言わずにつぼを代える。 1. 何も言わずに面接室を出て行く 2. 何も言わずにつぼを代える。 3. クライアントの手を握り続ける(現実に抱きかかえる) 4. 状態に合わせて面接を延長する 5. 入院中に訪ねて行く(外でも抱きかかえる)  →枠組みからの逸脱=フェレンチィ的伝統

 Littleの臨床理論と逆転移 身振りとしてや相手に触れようとして、です。それは妄想を分析する時です。…患者がひどい頭痛を訴えたときに、私は患者の額に手を置きます。…「いつ患者に触れるのですか」と、そお時わたくしは言いました。「これ以上触れないでは、いられなくなたっときです」。(分析者が率直に感情を示すのは)「自由に活用できることが、重要」だという。 原初的一体性があるという原理がある→「二人は実際に、長期間にわたって人生の部分であり、共通の、そして相互に関心を抱いている事柄の分析に深くかかわっているのですから。

 リトルの見たウィニコット ①その人の個人としての大切さと同時に,その人の極早期の環境の大切さ,に注目している:②共感し相互性を体験する(ノン・バーバルなコミュニケーションとボディ・ラングージとを理解する。これは単に,無意識に行う動作や姿勢に気がつくということ以上の意味です):③ 固さのない確かさ:④ 「依存状態への退行」の許容:⑤「抱え」と遊ぶこと

 主客未分化の世界の中で わたくしは「徐々に」,これまでの万能感的な偽りの「管理する」自分を放棄して,彼のholdingに身をゆだね,傷つきに満ちた幼児期と小児期を,もう一度生きたのです。必然的に,わたくしはイメージ界で彼を破壊し,に破壊され(どちらでも同じ),そしてしばらくして,二人とも生き残っているのに気づき,彼を役立て,に役立つことができるようになったのです。

クラインとウィニコットとの亀裂 フロイト-クライン論争後 中間学派を選択した人たちの意思     フロイト-クライン論争後 中間学派を選択した人たちの意思 ウィニコットの臨床実践と理論がクラインのそれと異なっていた           ↓(46年~51年)     1951年「移行対象」論文  攻撃性の直接解釈を二次的なものにした

ウィニコットとクラインとの相違 分裂妄想ポジションは存在しない。  ウィニコットとクラインとの相違 分裂妄想ポジションは存在しない。   病的な表現は原初の母子関係を正確に記述していない。無慈悲な時期は存在するが、それは環境がほど良ければ自然に統合される。 死の本能はない。   子ども時代にあるのは運動性であり、それが対象を見出せないときに、攻撃的、破壊的なものとして表現される。 乳幼児期は健康な環境のなかでは、不安に満ちていない。発狂や精神病は環境欠損病である。

錯覚と芸術 創造を錯覚の体験とみなす場合: Milnerの立場:世界との融合の官能的体験  錯覚と芸術 創造を錯覚の体験とみなす場合: Milnerの立場:世界との融合の官能的体験 Rycroftの立場:一時的万能感→万能感や過剰な理想化の放棄によって生じる脱錯覚 Winnicottの立場:移行対象の発現と徐々に脱錯覚すること

描画を用いること 自由に連想できない、連想の乏しい患者のために導入する(精神病的な要素が大きい)。  描画を用いること 自由に連想できない、連想の乏しい患者のために導入する(精神病的な要素が大きい)。 絵を患者が自らの体験を捕捉し、伝えるために持ってくる。それを受け取る。 頻度の低い治療つまりオンディマンドでは効力を発揮する。 一緒にそれを見ることで、より深い主題を取り扱えるし、その容器になる。 治療の場で自分の気持ちや思いを伝えるために、交流することの一部として活用する。

 3.マネージメント

ウィニコットの第二次世界大戦 Clare Brittonとの出会い(1944)と結婚(1951) Clare Brittonとの出会い(1944)と結婚(1951) 疎開計画のなかで発見された愛情剥奪と「反社会的傾向」 クレアとの出会いによってソーシャルワーカーや多くの抱える環境を重視するようになる。BBCなどでの講演会ほか。

クレアとの出会い ウィニコットは1943年時点で、心理治療的な仕事においてチームワークは悪いと述べていたが、しだいにその意見を変えていくことになる。 1946年10月 ウィニコットはクレアに次のような手紙を書いている。「私の仕事はまったくのところ貴方と関連しています。私に対する私の影響は私を鋭く、生産的にしますし、これは実に恐ろしいほどなのです。貴方と離れ離れになると、私はあらゆる行動、独創性が麻痺してしまう感じなのです」。

クレアがウィニコットに与えた影響 1945年 遊べない子供という論文 →『遊ぶことと現実』 1946年 1945年 遊べない子供という論文    →『遊ぶことと現実』 1946年  里子に出す子供にとって移行のために所有物が重要であると発見した。    →移行対象論 1954年  子供ケアサーヴィスにおけるケースワーク技法という論文でholdingの重視    →ウィニコットに取り入れられる ウィニコットはManegementという言葉とソーシャルワークをしばしば結びつけて語っている。

ウィニコットの概念:反社会的傾向 盗みで始まって、反社会的傾向によって、行為障害などにいたる臨床群   :原因は愛情剥奪にあり、彼らの中核に愛情剥奪コンプレックスがある。  →施設をはじめとして、マネージメントの問題がもっとも深刻な事例である。

Clare Britton Winnicottの仕事 ウィニコットの概念を流布 子供たちの内的体験を理解する 子供とコミュニケーションする技術 クライエントの人生のなかでの「移行的参与者transitional participant」としてのソーシャルワーカー 治療プロセスで重要な他者を投入する 援助関係における逆転移反応

 小児医学から精神分析へ 「児童部門のコンサルテーション」(1942) 「小児医学と精神医学」(1948) 小児医学に精神分析は必要だが、現実には全部の子どもに行うことができない。 「小児医学における症状の容認:ある病歴」(1953) 「在宅で取り扱われた症例」(1955) 別の方法を考える⇒マネージメント

精神分析家として働くとき     1.狂気恐怖が情景を支配しているとき     2.偽りの自己が成功をおさめていて、分析をしていけばある時期にはこれまでにつくりあげられていた見せかけの成功や才気闊達さなどが壊れてしまいそうなとき、     3.患者の中に反社会的性向、攻撃的なかたちをとるもの、いずれにしても母性愛剥奪の遺産であるとき、     4.文化的生活が認められないとき、つまり内的な心的現実と外界の外的現実に対する関係、その二つの結びつきがうすいとき     5.病んだ両親像が情景を支配しているとき

 4.移行領域の臨床

小児医学から精神分析へ 1941年「設定状況における幼児の観察」 舌圧子 医師 母親と子ども

第一段階 驚きから「ためらい」の段階 第二段階 欲望を受け入れて、口で噛む、空想する 遊べる段階 第三段階 捨てられる。放っておいても大丈夫な段階 生後5ヵ月から13ヵ月(13ヵ月過ぎると幅が広がる)に典型的なやりとり。

移行対象 1951年「移行対象と移行現象」 生後4、6、8、12ヶ月に発見される 最初の所有物 1952年「精神病と子どものケア」 中間領域と移行対象の理論、そして精神病 ↓ 1. 枠組みと治療空間、間の体験 2. スクウィッグルと相互作用 3. 内と外、パラドックスの発見と理解

間の体験とパラドックス 錯覚の瞬間 illusionment 二つの線が出会うことで空想と創造が 行われる中間領域が出来る。 ↑ ↓    二つの線が出会うことで空想と創造が 行われる中間領域が出来る。         ↑         ↓ 脱錯覚の領域 disillusionment 徐々に失敗することで間が作られる。

交流することと交流しないこと 一人でいられる能力 capacity to be alone 無慈悲から思いやりの段階への発達 偽りの自己の形成   環境からの侵襲に対して組織される自己 交流する領域と一人の領域   交流と内省

治療相談therapeutic consultation 精神療法面接とは異なる技法  二三回あえば治る症例に対するもので   転移と抵抗を扱うよりも   間の体験のなかでクライアントのニードに合わせた体験を提供する。 スクィグル技法 オンディマンド法 在宅などの環境の活用

スクィグルの特徴 治療者のほうが子供たちよりもなぐりがきが上手で、子供のほうがたいてい絵を描くのが上手である スクィグルには衝動的な動きが含まれている スクィグルは、正気の者が描いたのでない場合には狂気じみている。そのためスクィグルが怖いと思う子供もいる

スクィッグルの特徴2 4. スクィグルは制約をつけることはできるが、それ自体は制約のないものである。だからそれがいたずら描きだと思う子供もいる。これは形式と内容という主題に関係している。用紙の大きさと形がひとつの決め手となる。 5.それぞれのスクイグルにはある統合が見られるが、それは「私」の側にある統合から生じるものである。これはよくある強迫的統合ではない。よくある強迫的統合には混沌の否認が含まれていると思われるからである。

スクィグルの特徴3 6.ひとつのスクィグルのできばえは、それ自体が満足のいくものであることが多い。そういうのは例えば、彫刻家が石や古い木片をひとつ見つけて、手を加えずに一種の表現としてそれを置いたような「見出されたオブジェ」のようなものとなる。

ウィニコットの移行対象(1951) 4ヶ月、6ヶ月、8ヶ月、12ヶ月までにあらわれ始める、私でない所有物。 乳房、内的対象との関係がある。 現実検討の確立に先行する。 全能的、魔術的操作から巧みな操作統制へ フェテシズムに発展することがある。

錯覚と脱錯覚 母親ははじめ100パーセント、母性的没頭によって、適応して、幻想を生み出す機会を幼児に与える 一次的創造性と現実検討に基づく客観的知識の間に領域が存在し、程よい母親はそれをかかえる。自分の創造能力に対応する外的現実があるのだという錯覚を与える。ここで対象が内的か外的か問わない。共有体験。 次第に外的現実が母親の徐々に失敗することを通して、体験される。

発達 絶対的依存 相対的依存 自立に向けて  抑うつポジション→思いやりの段階   攻撃性はない。あるのは運動性である。

Winnicottの gradual failure of disillusionment 転移関係のなかでの治療者の失敗の意義            (ウィニコットの知恵) 抱える環境とその失敗によって生まれるズレの意識が生まれるということではなく、むしろ「徐々に」という点が重要であると思う。 これをめんどくさいと感じたり、焦ったりしない態度を維持する治療者(母親) Durable therapist(mother)

Winnicottの発達モデル Illusion →母性的没頭 absolute dependence Holding      -- integration Handling -- personalization Object-presenting -- object-relating  統合が達成される         (realization) Disillusionment →ほど良い母親   gradual failure -- relative dependence toward independence

母親と家族の鏡としての役割(1968) 主観的対象の段階では、二人は融合しているので赤ん坊は母親の顔に自分の顔を見ることになる。  母親と家族の鏡としての役割(1968) 主観的対象の段階では、二人は融合しているので赤ん坊は母親の顔に自分の顔を見ることになる。 移行対象の段階では、ほど良い母親によって養育されていれば、母親の顔は自分の顔であると同時に母親の顔である。 ほど良くないと、早期の脱錯覚が起き、母親の顔は母親の顔にしか見えない。まなざしは自分の見てくれないので自分の姿を見いだせない。想像力でそれを補う。

治療相談の臨床 子どもは前もって、医師に合うことを期待してくる。しばしば医師の夢を見ている。⇒主観的な対象としての医師  治療相談の臨床 子どもは前もって、医師に合うことを期待してくる。しばしば医師の夢を見ている。⇒主観的な対象としての医師 治療の中で、お互いをすり合わせるtuning inのプロセスがある。 カオスが示されて、そのなかに「何か」がある。 夢を語る場としてコンサルテーション 良い夢ではなく最悪のバージョン(悪夢は語ることで悪夢ではなくなる)

中間領域の臨床 中間領域を間に置けるようになることで、一人でいられる能力を持つ  中間領域の臨床 中間領域を間に置けるようになることで、一人でいられる能力を持つ 外傷が乖離によって精神身体からはみ出してしまうときに、中間領域のなかで、心が場所をもてるようにすること。 ズレと一致の間に、その人の心が場をもてるようにすることで、交流する領域(偽りの自己)と交流しない領域(本当の自己)が生み出される。

スクウィッグルの活用 舌圧子と同様に媒介物なので、治療者は観察能力を維持できる。  スクウィッグルの活用 舌圧子と同様に媒介物なので、治療者は観察能力を維持できる。 相互に交流する領域で、治療者の解釈を子どもに与えて、それに対する反応を(象徴的)対象としてみる。 夢(本当の自己)への入り口として活用される

私はいつも解釈の重要な機能とは、分析家の理解に限界があることが明示されることにあると感じている。「交流すること」 創造的な広がりが生じてくるような休息状態にいたることができるようにすること 患者の遊び能力、つまり分析作業において創造的である能力を許容してほしいという懇願である。患者の創造性は、知りすぎる治療者によっていとも簡単に奪われ得るのである。『遊ぶこと』 舌圧子に似たものとして解釈 精神分析の設定全体が一つの大いなる保証である、特に分析家の信頼にたる客観性と行動、そして瞬間の情熱を無駄に食い物にするのではなく、建設的に使用する転移解釈がそうだ。

Marion Milner(1900-1998) 11歳のとき、ナチュラリストを目指す。 18歳で、自然から人間性に関心が移り、子どもとの仕事のための訓練を始め、ロンドン大学で心理学と生理学の学士を取る  (1921-23)。 卒業後、産業心理学の仕事を 1927年 結婚。米国でロックフェラーのフェローとして二年過ごした(1927-29)。 1934年 A Life of One’s Ownを出版 1937年 An Experiment in Leisure.

 続編は50年後にEternity‘s Sunriseとして出版される。 1934-39年 少女パブリックスクール財団から教育研究。 1938年 The Human Problem in school.    シルビア・ペインから分析を受けはじめ、    ウィニコットを知る。ウィニコットが夫の分析を 行なう。 1940年 訓練を開始する。離婚。 1942年 ‘The child’s capacity for doubt’ 1943年 精神分析家の資格を得る 1950年 On not Being Able to Paint.

Hands of Living God(1969) 1943年の秋:X氏から電話。調査分析の以来。スーザン、23歳、機能的な神経障害で、病院から退院してきたばかり。妻がそこを訪れて、この女の子に関心を持ち、彼女にうちに来て、暮らさないかと誘った経緯。病院を退院することになりそうだったのに、彼女の女性の精神療法家であるF博士は以前から彼女はE.C.T(電気ショック療法)を受けるべきだと言っていて、スーザンは二度E.C.T。X氏といっしょに暮らすようになった。主な治療は家庭を提供することであるとX氏。分析のためにお金を出す。

  4.ウィニコットへの批判的検討

偽りの自己 環境の侵襲的な要素に対して、心が組織する自己の一側面、表面的に見れば過剰適応であり、内面的に見れば人格のゆがみでもある。 本当の自己はつねに表面化しない。

 自我と自己と主観性 ウィニコッとにおいて、自我と自己は異なる。自己は主観的な広がりであり、内なる世界である。この出発点は思いやりの段階にある。自我は経験の総和、「自己は休息の体験、自発的な運動と感覚、活動から休止への回帰などの総和である」(原初の母親的没頭)。そこでは穏やかさと興奮、性的なものと攻撃的なものが統合されていく。

イド欲求に対応する自我ニード 自我で関係することを通して、イド欲求を自我のニードに組み込んでいくことで自己が形成されていく。 realization personalization integration これらは適切なマネージメントによって起きる。 。

偽りの自己と本当の自己 偽りの自己(患者によっては世話役の自己)はうその患者の分析作業開始の最初の二三年は取り扱わなければならない。   偽りの自己と本当の自己 偽りの自己(患者によっては世話役の自己)はうその患者の分析作業開始の最初の二三年は取り扱わなければならない。 それは健康から病理まであるが、本当の自己を防衛するために存在する構造である。 偽りの自己が知性を利用すると、簡単に人を欺くことができる。迎合と妥協の場になる。

Masud Kahn(1924-1998) 隠遁生活に近い →母親へのこだわり 16歳のとき妹と父親がなくなる  78歳の父親(地元の名士)と19歳の母親(高級娼婦)の子供   隠遁生活に近い            →母親へのこだわり  16歳のとき妹と父親がなくなる   抑うつ:治療を受けて、さらに英国へ

二人の分析者が治療の間になくなっていること    シャープ(47年)    リックマン(51年) ウィニコットとの長い分析(51-66年)    その間でウィニコットの理論家になっていく Privateであること、隠されていることが主題    「累積的外傷」理論

悲惨な結果=枠の問題 仕事と私的な世界の混同 クレアとの三角関係 ウィニコットの病気を心配する 抑うつ、アルコール依存症 人格の病

カーンの仕事 カーンの自己論は、自己を内的な環境の表象として考えて行く。 フェアバーンやボウルビイの理論をメタ心理学的に整理しながら、自己の構造論を構築する。 彼のスキツォイド人格理論は、フロイトの自己論と、フェアバーンの構造論を、ウィニコットの促進環境論とを纏め上げたものである。 累積的外傷理論が登場する。 人格障害、恐怖症的なスタンス、さらにヒステリー(境界例人格)が環境の失敗として定式化される。 倒錯におけるcollated objectの考え方を導入する。 臨床的な夢解釈における夢空間の考え方を利用する。 臨床的な潜在空間論と抱えることを強調する。 逆転移を保つと待つ。

つぎはぎの内的世界と偽りの自己 倒錯は、母親の溺愛や虐待、いずれにおいても自己の否定に基づいている。 偶像化された自己として修復される  つぎはぎの内的世界と偽りの自己  倒錯は、母親の溺愛や虐待、いずれにおいても自己の否定に基づいている。  偶像化された自己として修復される  偶像化された対象としてフェティッシュが形成される。  内的対象関係は「つぎはぎされた内的対象」として形成される。ペニスを持った女性、ヴァギナをもつ男性、両性をもつ男女など。  倒錯者がパートナーを求めるのは自己ナルシシズムのためであり、愛情は本当に親密さというよりも演技的、偽りのものになる。

カーンの業績 累積的外傷論     累積的外傷は、子どもが保護膜としての母親(あるいはその代理)を必要として、使用する発達段階に起源をもっている。一時的で不可避な失敗は、成長のなかで修正されたり、回復するだけでなく、成長に於ける新しい機能の栄養になったり、刺激になったりする。病的な反応の核が生じるのは、その失敗がきわめて頻繁で、あるパターンのリズムをもち、心身的な統合に、消去できなほどの侵襲になる場合のみである。     →  スキツォイド人格の問題

ウィニコットの偽りの自己 環境の侵襲的な要素に対して、心が組織する自己の一側面、表面的に見れば過剰適応であり、内面的に見れば人格のゆがみでもある。 本当の自己はつねに表面化しない。    →カーンの洗練化

ウィニコットにとってのカーンとクレア カーンとはウィニコットの息子であり、鏡であり、歪みである。 クレアはウィニコットの妻であり、母であり、環境であり、生き残った対象でもある。   →人はつねに自分のなかの他人と他人のなかの自分との相互交流の中で生きている。

抱えることと解釈 Doing と Being (Slochower) 対象の使用    生き残ることの失敗 否定的、攻撃的要素を見直すこと

それぞれのウィニコット クラインに彼が言い続けたこと:偶像破壊のために、学派的な言葉をつかわないこと  それぞれのウィニコット クラインに彼が言い続けたこと:偶像破壊のために、学派的な言葉をつかわないこと  ⇒自分が作り出したそれぞれのウィニコットがいるはずだろう。 自分の領域は、偽りと本当が乖離しない程度に、good-enoughなスタンスを維持して、良くも悪くもある程度でい続けることが重要だろう。

母親と家族の鏡としての役割(1968) 主観的対象の段階では、二人は融合しているので赤ん坊は母親の顔に自分の顔を見ることになる。  母親と家族の鏡としての役割(1968) 主観的対象の段階では、二人は融合しているので赤ん坊は母親の顔に自分の顔を見ることになる。 移行対象の段階では、ほど良い母親によって養育されていれば、母親の顔は自分の顔であると同時に母親の顔である。 ほど良くないと、早期の脱錯覚が起き、母親の顔は母親の顔にしか見えない。まなざしは自分の見てくれないので自分の姿を見いだせない。想像力でそれを補う。

想像力による練り上げが自己愛として環境から閉じこもって、自分の世界に孤立する。ウィニコットにとっては、これが二次的な自己愛である。 客観的対象の段階では、普通に発達した子ども赤ん坊にとっては、母親の顔は母親の顔であり、自分の顔は自分の顔として鏡に映ったものと見ることができる。 ⇒一次的自己愛は、万能感との関連で融合している状態のことである。

イド欲求に対応する自我ニード 自我で関係することを通して、イド欲求を自我のニードに組み込んでいくことで自己が形成されていく。 realization personalization integration これらは適切なマネージメントによって起きる。 。

大人の分析におけるウィニコット IPAの最近の特集「大人の分析におけるウィニコットの創意」 Michel Eigen, Jan Abram, Vincenzo Bonaminio ‘‘On Winnicott’s clinical innovations in the analysis of adults’’(introduction by Blass) アイゲン「破壊性が創造的、孤立が発達の重要な要素、早期の外傷的な状況への回帰が臨床的転機である」 エイブラム「分析の三段階から、非分析的関係の必要な場合について」 ボナミノ「非分析的な関係の中の現実的な要素」