米ソ・二大陣営の対立 熱戦の回避、軍拡競争、核の均衡、 平和共存の大枠、 民族独立の運動・戦争と局地的戦争 第10章 冷戦期における東西対立とその終焉 米ソ・二大陣営の対立 熱戦の回避、軍拡競争、核の均衡、 平和共存の大枠、 民族独立の運動・戦争と局地的戦争 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
世界平和のための国際連合の設立 冷戦の始まり 1.連合の分裂から冷戦の開始へ 世界平和のための国際連合の設立 冷戦の始まり 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
世界平和のための国際連合の設立 米英ソを中心とする連合国の共通目標・・・領土不拡大、民族自決、貿易の自由化、社会保障の充実、軍縮、国際平和機構の樹立。 1945年4月、国際連合結成、50カ国が参加 1971年当時、117か国 2010年現在の加盟国は192か国 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
国際連合 (植民地独立などで加盟国が増加) 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
国際連合の構成 アメリカ、イギリス、ソ連に、中国、フランスを加えた常任理事国・・・・拒否権を持つ国々(大国優位)。 中国…1971年までは台湾・中華民国 その他の平等な権限を持つ数多くの国々 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
国際連合の諸組織・システム 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
冷戦の始まり 世界各地で、米英 対 ソ連の対立 ポーランド問題での米英 対 ソ連 世界各地で、米英 対 ソ連の対立 ポーランド問題での米英 対 ソ連 米英・・・在英ポーランド亡命政権をポーランド国民を代表する正統な政府と認定。 ソ連・・・ソ連占領下のポーランド政府を正統な政府と認定。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
ギリシア問題での米英 対 ソ連 英ソの連合国としての協調期・・・勢力圏協定 ギリシアはイギリス勢力圏 イギリスは、ギリシャの王党派を支持。 ギリシア問題での米英 対 ソ連 英ソの連合国としての協調期・・・勢力圏協定 ギリシアはイギリス勢力圏 イギリスは、ギリシャの王党派を支持。 しかし、王党派政権に対し、ギリシア左翼、ギリシア国民解放戦線が武力抵抗。 イギリスは、アメリカに軍事援助を要請。 →「トルーマン・ドクトリン」 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
東欧諸国のソ連の衛星国化 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
衛星国化の6段階 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
中国内戦、共産党の権力獲得 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
トルーマン・ドクトリン 1947年3月12日 トルーマン大統領の演説 ギリシア、さらにトルコをめぐる争いは、単なる地域紛争ではなく、 1947年3月12日 トルーマン大統領の演説 ギリシア、さらにトルコをめぐる争いは、単なる地域紛争ではなく、 世界的な「正義と悪」の闘いの決戦場。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
「世界史の現時点において、ほとんどすべての国民は、二つの生活様式のいずれか一方を選ばなければならない。」 トルーマンドクトリン(続き) 「世界史の現時点において、ほとんどすべての国民は、二つの生活様式のいずれか一方を選ばなければならない。」 一方は、「自由な制度をもち多数者の意志に基づく」自由主義体制。 他方は、「少数者の意志、恐怖と弾圧、個人の自由の抑圧に基づく」共産主義体制である、とした。 アメリカは、自由な制度を守るために、世界における「正義の十字軍」となる使命。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
アメリカを中心とする自由主義陣営 戦場とならず、国土(アメリカ本土)が全く戦果を浴びず、軍需経済により、飛躍的に生産力・生産量を高めることができ、アメリカの民間企業は利潤を蓄積したアメリカ。 P.103のGDP折れ線グラフ参照。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
マーシャル・プラン 47年6月、ヨーロッパの経済復興と統合を目的とするアメリカの経済援助政策 ソ連に対米不信・・・ソ連は援助拒否。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
「鉄のカーテン」・冷戦体制 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
ソ連を中心とする東欧地域 1939年9月から1945年5月まで、5年8カ月に及ぶ長期間、総力戦の戦場となり、ソ連だけで2000万人以上(最近では2700万人とも)の死者、 町や村、工場・鉱山などの生産設備、鉄道・道路などの交通網が、破壊された。 衣食などの消費物資が決定的に不足。 ヒト・モノ・カネのすべての面で、総体的欠乏状況・・・・争奪の混乱を回避するためには、配給や統制の必要性・・・「貧困・欠乏の共産主義」。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
戦後ソ連の工業大国化 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
ソ連の対米不信 ソ連は、占領下の東欧諸国の民主連合政権を解体し、共産党一党独裁体制を確立。 48年3月 ソ連占領下のベルリン(西側諸国の占領下にあった地区)を封鎖。 アメリカは、封鎖が解除されるまで1年間、西ドイツから物資空輸作戦。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
45年以降のベルリンと48年の封鎖 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
西ドイツから物資空輸作戦(49年5月まで) 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
政治的・軍事的・経済的分裂の拡大 西側、1949年、北大西洋条約機構≪NATO≫の結成 東側、1955年、ワルシャワ条約機構 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
ソ連の原爆実験成功 49年8月 毛沢東率いる中国共産党が、アメリカの支援する蒋介石の国民党との内戦に勝利。 毛沢東率いる中国共産党が、アメリカの支援する蒋介石の国民党との内戦に勝利。 49年10月、中華人民共和国、創立。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
アメリカは水爆開発へ 核独占を打ち破られ、「中国を失って」、軍事戦略の見直し。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
アメリカ占領下の日本 当初、民主主義的憲法制定、 民主主義的諸改革(軍国主義打破、財閥解体、農地改革) しかし、冷戦、ソ連圏との対抗、中国革命への対抗 48年10月、アメリカの国家安全保障会議は、いわゆる「逆コース」の政策へ。 民主化の推進を中止。経済復興優先。戦争犯罪者の公職追放の解除。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
朝鮮戦争と冷戦 赤狩りと粛清のインパクト 核軍拡競争と核の管理 2 冷戦の激化 朝鮮戦争と冷戦 赤狩りと粛清のインパクト 核軍拡競争と核の管理 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
ベトナム独立戦争 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
分割占領下の朝鮮半島 日本軍、武装解除 → 1950年6月25日、北朝鮮軍が、半島の武力統一をめざし、南の左翼勢力連携して攻撃開始。 日本軍、武装解除 → 北緯38度線で、ソ連とアメリカによる分割占領 多様な民族運動が覇を競う。 1950年6月25日、北朝鮮軍が、半島の武力統一をめざし、南の左翼勢力連携して攻撃開始。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
朝鮮戦争の勃発 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
戦争の経過(カラー地図) 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
ソウル陥落、半島南部まで侵攻 これに対するアメリカ・国連軍の反撃 国連は、北朝鮮による侵略と認定。 マッカーサー将軍を総司令官とする米軍主体の国連軍を投入。 50年9月、仁川、釜山に国連軍上陸、反攻。 50年11月、国連軍、中国国境近くに迫る。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
中国・人民志願兵の投入、反撃 国連軍を押し返し、 戦線は38度線まで押し戻された。 トルーマンは、原爆使用を示唆。 朝鮮の内戦は、世界戦争に拡大する気配。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
原爆使用に関し、イギリスの説得 イギリス、ヨーロッパでの再度の戦争勃発を恐れ、アメリカに原爆使用自制を要請。 戦争を朝鮮半島に限定するよう求める。 トルーマン・・・一方で、兵員大増強、大軍拡を提案。 他方で、原爆使用を自制し、戦争を朝鮮半島に限定。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
長い交渉、そして、休戦協定 53年7月、休戦協定の締結。 両軍死者146万人(うち米兵33万人) 民間人の死傷者推計300万人。 休戦協定締結により、戦争勃発前の分割状態に復帰。 南北双方に、深い不信感。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
アメリカの中国(中華人民共和国)敵視政策 アメリカは大規模な軍隊を恒常的に配備する体制 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
アメリカにおける赤狩り 民主党(トルーマン)政権に対する共和党の闘い 野党の共和党・・・対ソ・対中国など反共産主義の勢力の攻勢 「敵の手先」が民主党政府に浸透し、共産主義に対し軟弱な政策をとっている、と攻撃。 浸透した「赤」を狩り出すキャンペーン。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
50年2月、共和党上院議員ジョゼフ・マッカーシーの爆弾演説 「私は国務省にいる205人の共産党員のリストをもっている。国務省は共産主義者に侵されている」と。 政府内の「敵の手先」の告発に乗り出す。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
当面の議会の対応 「マッカーシーの告発は根拠がない」と判定。 事態は沈静化する兆し。 しかし、4ヶ月後の6月に朝鮮戦争勃発 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
戦争と議会選挙戦 議会選挙で民主党追い落としを狙う共和党、 赤狩りを最大限利用し、国民の不安をあおる。 マッカーシズム アメリカ内部の赤狩り=「非国民」告発が、連邦政府、議会だけでなく、各地方政府・議会、大学、映画界、労働組合など全社会で展開された。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
赤狩り・・・50年代を通じて アメリカ社会の思想・信条・言論の自由を抑圧。 政策立案者たちは、「敵に軟弱だ」と攻撃されることを何よりも恐れ、ひたすら強硬路線をとる。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
ソ連における粛清 ソ連においても、冷戦激化の中で、ふたたび、「裏切り者」の弾圧、すなわち、粛清の嵐。 2010/12/2 2010/12/2
冷戦対抗のなかでの軍事力増強 巨大国家・米ソの核軍拡競争 核戦争の勃発におびえるアメリカの人々 家庭に防空壕。食糧備蓄。 学校では防空頭巾をかぶり机の下に身を隠す訓練 アメリカ本土への攻撃の危機感。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
キューバ危機 キューバ革命 これに対し、キューバへの干渉・・・アメリカのキューバ侵攻の危険性 カストロのソ連に対する援助要請 フルシチョフの援助・・・1962年10月、キューバに核ミサイル基地を建設。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
ケネディのキューバ封鎖 キューバへのソ連船の接近を阻止。 ソ連が封鎖を強行突破すれば、戦争。 核戦争の危機か。 米ソの妥協・・・アメリカがキューバに侵攻しないことを条件に、ソ連はミサイル基地撤去。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
冷戦体制下の東西の同盟体制 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
対峙・対決する米ソ世界戦力 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
核兵器の開発競争と 管理交渉の開始 1960年代から70年代 イギリス、フランス、中国、インドの各国も核実験・・・核兵器開発の競争。 国際的に管理されない核兵器の拡散の危険。 1968年の国連総会で、核拡散防止条約推奨決議。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
核拡散防止条約の下での 核軍拡競争 核兵器をまだ持っていない諸国への核兵器の拡散は防止。 しかし、既に核兵器を保有している強国の間の核兵器開発の競争。 核兵器体系の開発に莫大な費用。 経済、特に国民の消費生活への圧迫。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
西側先進諸国における経済成長・社会的変動 社会主義体制の世界化・経済開発、中央統制・管理型経済の停滞性と経済発展競争での敗北 3 東西両陣営における 経済発展と社会的変動 西側先進諸国における経済成長・社会的変動 社会主義体制の世界化・経済開発、中央統制・管理型経済の停滞性と経済発展競争での敗北 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
資本主義(市場経済) 対 社会主義(中央統制・管理型経済) 資本主義(市場経済) 対 社会主義(中央統制・管理型経済) 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
1950-75年の年成長率 (前後4表は、中村隆英『現代経済史』岩波書店、1995年6-7ページより) 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
1900-87、一人当たりGDP 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
実質GDPの年成長率 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
アメリカを中心とする 西側の高度成長 1950年代から73年の石油危機まで。 先進資本主義国における生産力拡大は世界史的にみてもかつてなく目覚ましいもの。 国民の生活水準は急上昇・・・「豊かな社会」 但し、格差の現存・・・アメリカでも非白人集団の飢餓・貧困・犯罪などの諸問題の悪循環 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
農業の生産性の飛躍的上昇 農業機械化、化学肥料・殺虫剤の大量使用 国内農業人口の激減・・・・就業構造の大転換 アメリカ、カナダ、オーストラリア、南米などの農産物輸出・・・第三世界を含めた多くの国々の農業自給率を低め、伝統的農村社会を解体・・・・都市人口の急増、移民の急増。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
高度成長と政府の経済介入 冷戦体制下のアメリカ・・・軍事予算の飛躍的増大・・・経済を刺激し、科学技術の進歩を促進・・・・「産軍複合体」。 公共事業(道路・港湾の建設)、農業生産性拡大のための基盤整備・・・大規模予算の投入、産業基盤の拡大、雇用創出。 技術革新の促進のための研究開発、教育へも国家予算の投入。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
高度成長と社会福祉政策の発展 1970年代までに、大半の先進諸国で福祉国家体制、確立。 社会主義諸国と対抗しつつ、国民の支持を獲得。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
高度成長と「自由な世界市場」 市場開放化の進展 自由競争分野の拡大…自由市場の拡充 IMFやガットの体制 西ヨーロッパ諸国の経済統合の進展 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
73年石油危機後の低成長 70年代-80年代のヨーロッパなどの相対的低成長 福祉国家の修正・動揺 先進国からの産業の海外流出 先進国における産業の「空洞化」 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
先進資本主義諸国の社会的変動 差別されてきた女性や被差別集団の権利の保護・向上・・・国家統合 被差別集団の社会運動・・・アメリカの公民権運動 産業構造の高度化に伴う科学技術の高度化・・・そのための教育の高度化、大学の普及。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
社会的変動(ケルブレ、参照) 女性の高学歴化 女性の社会進出 出生率の低下 生に対する考え方、家族観の変化 出生率の低下 生に対する考え方、家族観の変化 母子家庭・一人親家庭、単身者の急増 女性の参政権の世界的普及 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
先進諸国の発展と移民 19世紀から20世紀前半まで、移民送りだし大陸だったヨーロッパ(西ヨーロッパ諸国)が、移民受け入れ大陸に。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
ヨーロッパ統合の進展 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
社会主義体制と社会主義運動 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
第二次大戦後、社会主義国の拡大 東ヨーロッパへ 中国・北朝鮮・ベトナム 世界を二分する一大陣営を構築。 非社会主義国(資本主義諸国)でも、戦後期から高度成長期、労働者運動、農民運動、社会主義運動が高揚。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
社会主義の国・勢力と 反植民地主義・反帝国主義 第三世界、旧植民地の独立、自立とソ連をはじめとする社会主義諸国・社会主義運動の連係・・・軍事援助・経済援助。 70年代までに、ほぼ世界の先進国植民地の独立。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
冷戦の緩和・平和共存体制と 社会主義諸国の経済開発 軍事優先の経済システム 軍事負担による経済のゆがみ 1970年代以降、先進資本主義国との格差拡大 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
社会主義国の瓦解・市場主義化 生活水準、消費生活の相対的貧困 「社会主義」中央集権的経済システムからの人心の離反 80年代、ペレストロイカ・・・その急激な進展の中で、「社会主義体制」の崩壊、市場経済化。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
中国の大きな変化 49年の中華人民共和国の成立 革命路線をめぐるソ連と中国の対立・主導権争い 57年11月、毛沢東のソ連批判・・・「武装闘争こそが第三世界解放の道であり、平和共存の名の下にそれを抑圧するのは誤り」と主張。 58年毛沢東による「大躍進」政策…失敗、2000万人といわれる餓死者 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
中ソ対立 ソ連・・・中国への原爆製造技術資料の提供を拒否。対中援助協定を破棄。専門家引揚。 69年には中ソ国境紛争(武力衝突)。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2
中国における権力闘争と 文化大革命 1966年から76年まで。 経済的社会的混乱。 この間、2000万もの死者を出したといわれる 79年から、「改革・開放」政策…共産党一党独裁体制のもとでの市場経済化。 高度成長へ。 2010/12/2 2010/12/2 2010/12/2