犬と連弾するグレン・グールド http://sankei. jp. msn 犬と連弾するグレン・グールド http://sankei.jp.msn.com/photos/entertainments/music/081119/msc0811190839000-p1.jpg http://www.k4.dion.ne.jp/~ohkubo/LOVELOG_IMG/83O815B838B83h.jpg
帽子を被って演奏したり脚を組んで演奏するグールド http://book-dvd. blog. ocn. ne 帽子を被って演奏したり脚を組んで演奏するグールド http://book-dvd.blog.ocn.ne.jp/photos/uncategorized/2008/11/16/glenn_gould003.jpg http://pds.exblog.jp/pds/1/200910/22/61/d0103561_224938100.jpg
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑥ 「小ぎれいに整った番組はラジオやレコードのような熱いメディアに向いている。フランシス・ベーコン(1561-1626大法官、イギリス経験論の父)は熱い散文と冷たい散文を対照させることに倦むことがなかった。 「方法」に則って書いたもの、すなわち完全に仕立てあげられたものを、警句で書いたもの、すなわち「報復は一種の野蛮な正義である」というような単一の観察と、対照させてみた。受動的な消費者は完成品を求めるけれども、知を追い求める者は警句に赴くのではないか。そうベーコンは言うのであった。警句は不完全であり、深いところで参加を求めるからに他ならない」(『メディア論』邦訳p.32)。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑦ 文学研究者の本領発揮 受け手の解釈の可能性、参与性で(冷たいメディアを)プラスに評価 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑦ 文学研究者の本領発揮 受け手の解釈の可能性、参与性で(冷たいメディアを)プラスに評価 象徴主義(サンボリズム)、反小説(アンチロマン)、ヌーヴェルヴァーグ 作品の完成を拒む 作品を作るという行為そのものを描き、作る行為を相対化
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑧ →作ることの意味を問う芸術の潮流 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑧ →作ることの意味を問う芸術の潮流 前衛芸術の作者の相対化、作品の完成性への崩壊の流れ≒マクルーハンの芸術理論(芸術の志向性) →「冷たいメディア」擁護
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑨ (写真のインパクトを論じる中で) 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑨ (写真のインパクトを論じる中で) 「詩人や小説家は、われわれがそれを用いて洞察力を獲得し、われわれ自身や世界をつくりあげていく、あの精神の内的身振りというものに目を転じた。このようにして、芸術は外界との対応から内面での創造へと移っていった。既知の世界に対応する一つの世界を描き出す代わりに、芸術家たちは創造の過程を提示して、公衆がそれに参加できるようにする方向へ変わった。いまやわれわれには創造過程に参与する手段が与えられたのである」(『メディア論』p.198)
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑩-活字文化批判① 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑩-活字文化批判① 活字文化批判との絡み オーラルコミュニケーション・・・双方向性ある この反対が活字文化 講義(一方向)と演習(双方向) 文字、活字文化批判--民衆をエリートが支配する道具としての文字
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑪-活字文化批判② 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑪-活字文化批判② 活字文化批判ないしは「熱いメディア」批判 価値中立的でないという問題(ウェーバーの方法、「メディア社会学」の授業参照) ただし彼の批判する「活字文化」の内実は? 表音文字批判・・・アルファベット批判 表意文字(漢字等)には、やや肯定的
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑫-アルファベットの特質① 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑫-アルファベットの特質① 全ての文字を25文字に集約→文字が普及しやすい。文字そのものは誰でも読める(単語の発音はたとえ無理でも)→世界中に普及する。 単語を形の束縛から解放→より抽象化→言葉のより普遍的な流通 具象性の少ない文字。より抽象的に→地域の隅々、あるいは世界の隅々に伝わる。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑬-アルファベットの特質② 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑬-アルファベットの特質② 国旗と、それを意味する文字を比較 「かりに、星条旗を掲げる代わりに、一枚の布に「アメリカの旗」と書いて掲げたら、どういうことになるか。記号は同一の意味を伝えるであろうけれども、効果は完全に異なるであろう。星条旗の視覚的なモザイクを文字形式に移し変えてしまえば、それと一体化したイメージや経験の質の多くが奪い去られてしまうであろう」(『メディア論』邦訳p.84)。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑭-表意文字① 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑭-表意文字① 表意文字・・・国旗に近い要素を留める 「表音文字で書かれたことばは、象形文字や中国の表意文字のような形式で確保されていた意味と知覚の世界を犠牲にする。しかしながら、こういった文化的に豊かな文字の形式は、部族のことばからなる呪術的に不連続で伝統的な世界から、冷たく画一的な視覚メディアの世界に、突然に転移する手段を提供しなかった。中国社会は幾世紀にもわたって表意文字を使用してきたが、その家族および部族の継ぎ目のない微妙な網の目が脅威にさらされることがなかった」( 『メディア論』邦訳p.85)。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑮-表意文字② 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑮-表意文字② →表意文字・・・部族の言葉 ・・・要するに部族の生活に密接に結びついた言葉である。・・・よって画一的ではない。 これは誰が話すかということにも関わり、メディア(話し手とか声)のメッセージ性と不即不離の関係
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑯-表意文字③ 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑯-表意文字③ 「二〇〇〇年前の古代ローマの属領ガリアがそうであったように、こんにちアフリカでアルファベット文字を身につけて一世代もすれば、少なくとも部族の網から個人を解き放つのに充分である」( 『メディア論』邦訳p.85)。 →要するに、部族社会から個人を解放するのが、アルファベットなどの表音文字
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑰-表意文字④ 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑰-表意文字④ 「この事実は、アルファベットで綴られたことばの「内容」には関係がない。それは人の聴覚経験と視覚経験が突然に裂けた結果である」 ( 『メディア論』邦訳p.85) 。 「内容」=メッセージより「聴覚」「視覚」といったメデフィアの変化の方が重要→ここも「メディアはメッセージ」のバリエーション
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑱-表意文字から表音文字へ① 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑱-表意文字から表音文字へ① 前のスライドの「聴覚経験と視覚経験」の分離とは何か? 「表音アルファベットのみがこのような経験の明確な分割をおこない、その使用者に耳の代わりに目を与え、その使用者をこだますることばの魔術の陶酔と親族の網目から解き放つのである」 ( 『メディア論』邦訳p.85) 。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑲-表意文字から表音文字へ② 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑲-表意文字から表音文字へ② アルファベットなどの表音文字 →視覚優位の社会 「表音アルファベットは視覚の機能を強化し拡張するものであるが、文字文化の内部で、それ以外の聴覚、触覚、味覚などの感覚の役割を縮小させる」(『メディア論』邦訳p.86)。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑳-論理の線形性① 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑳-論理の線形性① 表音文字文化-論理の線形性→話が論理的な前後関係によって構成される→因果関係で物事を捉える。 しかし因果関係のない連続というものもあるとマクルーハンはいう。 「西欧の文字文化をもった社会では、なにかがなにかから「続いて生じる」というのが、あたかも、そのような連続を作り出す原因のようなものが作用しているかのように感じられ、いまなお、いかにももっともなこととして受け入れられるのである」(p.87)。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア(21)-論理の線形性② 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア(21)-論理の線形性② 「こんにちの電気の時代に、われわれは非ユークリッド幾何学を自由自在に作れるような気がするのと同じように、自由自在に非線条(sic)論理学を作れるようにも感ずる。・・・一行省略・・・結びつけられた線状の連続は、心理ならびに社会の組織に普遍的な形式となっているが、これまでにそれをマスターしたのはアルファベット文化だけだった」(同ページ)。 ハイパーテクスト、マルチメディアの構造・・・複線的・非線形的に情報が流れる