吉田 第三回 ヴァーチャル・ワールドでの倫理の可能性 リアル・バーチャル 吉田 第三回 ヴァーチャル・ワールドでの倫理の可能性
VR世界と現実世界 m(IR)∧t(I) ¬m(IR)∧¬t(I) ¬m(IR)∧t(I) m(IR)∧¬t(I) VR 人はヴァーチャル・ワールドに ログオンする。 そこで、感覚し、行為し、出会い、 その世界は持続する。 二つの世界が並存? ¬m(IR)∧¬t(I) AW ログイン 想像する 想像する PW3 PW2 ¬m(IR)∧t(I) m(IR)∧¬t(I)
想定される問題 VRはAWに完全に追いつくことはないだろうが、部分的にかなり近づきうる 想定される問題点 故障によるトラブル(AR) VRとAWの干渉または融合によってAWに生じる問題
倫理とは? 「倫理」=人生の価値、生きる意味の追求 =善い生き方とは? 正しい行為 →行為の正しさの基準を求める (正しい行為の積み重ね→善い人生) 自分のことだけでなく相手、社会のことを考える(⇔エゴイズム、利己主義) 基準は、自分だけでなく、万人に当てはまるもの(普遍化可能性) 正しい行為 =正義justiceや幸福happinessを社会にもたらす行為
功利主義 社会の最大の幸福をもたらす行為が最も善い行為(最大多数の最大幸福) 幸福=快楽 快楽計算によって、社会の快楽の総計を求める 行為の結果を考え、より多くの快楽をもたらす行為をより善い行為と考える 正義<幸福の立場
功利主義2 二人の幸福が最大になるように行為しましょう! 恋人同士で映画を見に行くなら? どちらか一名だけが救命ボートに乗れるなら? 功利主義に従って考えるならば・・・ 二人の幸福が最大になるように行為しましょう! 恋人同士で映画を見に行くなら? どちらか一名だけが救命ボートに乗れるなら? 賄賂を提供された役人なら?
カント主義(義務論) 人を人格として尊重するという原則に合致するように理性的に判断して行為 人格=理性的 己の欲するところを人に為せ 人を手段としてではなく目的として扱え 人格=理性的 理性的に判断=感情でなく義務から行うこと 行為の善し悪しは結果よりも動機で判断 正義>幸福
カント主義(義務論)2 お互いに相手の人格を尊重しましょう! 恋人同士で映画を見に行く どちらか一名だけが救命ボートに乗れる カントに従って考えるならば・・・ お互いに相手の人格を尊重しましょう! 恋人同士で映画を見に行く どちらか一名だけが救命ボートに乗れる 役人が賄賂をもらう
現実世界でなぜ倫理が成り立のか 「人格の交わり」がある 自分の人生=自分の生きている現実を「善く」しようという態度 理性的判断力と自由意志を備えた意識的主体 相互に因果的な関係をとり結べる「場」の共有 自分の人生=自分の生きている現実を「善く」しようという態度 コミットメント
可能世界で倫理が成り立つか? 夢の世界、想像の世界 「人格の交わり」がある? 自分の人生=自分の生きている現実を「善く」しようという態度 理性的判断力と自由意志を備えた意識的主体 これはOK。可能世界を想像している主体。○ 相互に因果的な関係をとり結べる「場」の共有 他の主体と因果的な関連はない。× 自分の人生=自分の生きている現実を「善く」しようという態度 コミットメント ? 善くしようと思うことは可能かも△ 他の主体と「場」を共有できないから、倫理は成り立たない。
V世界で倫理は成り立つか? VR技術によって構築されたV世界 「人格の交わり」がある? 理性的判断力と自由意志を備えた意識的主体 これはOK。可能世界を想像している主体。○ 相互に因果的な関係をとり結べる「場」の共有 他の主体と因果的な関連が可能。○ 自分の人生=自分の生きている現実を「善く」しようという態度 コミットメント ? 善くしようと思うことは可能かも。△ その世界を「善くしよう」と思うならV倫理は成り立つ
コミットメントとアフォーダンス アフォーダンスのない世界にコミットメントできるか? アフォーダンス=人がそれを探りつつ世界を認知し、成長してきた世界の潜在的情報 アフォーダンスは世界の深み アフォーダンスのない世界には創造的な発見と驚きがない <私>と世界との偶然的でない結びつきをつくる 出来合いの世界にたまたま存在したのではなく、自分が生きてきたということがその世界にいるということ
V倫理、V正義、V幸福 V倫理はV世界において、V正義、V幸福を実現しようとする 事例 V功利主義 V義務論 恋人同士で映画を見に行く どちらか一名だけが救命ボートに乗れる 役人が賄賂をもらう
V倫理とA倫理 V倫理はA倫理に影響するか? 功利主義 義務論 V世界で賄賂をもらうことはA世界での倫理的評価に影響するか? V世界の行為がA世界に影響しないから、影響しない。行為が因果的に影響するV世界でのみ善し悪しが問題になる。(ただし、V世界での出来事がA世界に影響するなら別) 義務論 V世界とA世界の主体は共通(でなければV世界にならない)→V世界での非倫理的行為は主体(A世界V世界共通の、「唯一の主体」)の倫理性を損なう。 従って、V行為はA倫理で評価される→A倫理とV倫理は連続している
主体の問題 主体はひとつ 唯一の主体=<私>(永井均) 『<私>のメタフィジックス』(勁草 ) 永井 均 (著) 唯一の主体=<私>(永井均) 『<私>のメタフィジックス』(勁草 ) 永井 均 (著) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4326151765/503-6919867-2447100 もし、私が猫の主体だったら? それでも、そのとき私はその猫の<私> →A世界に<私>は一つだけ。そこから私はこの世界を自分の「開け」として=人生として、見ている。 もし私が可能世界の登場人物だったら? その登場人物を第3者的に見ているなら、それはA世界の私の性質を持った<私>でない別の主体 <私>は、その可能世界を想像し、意識している、A世界の私である 世界=<私>にとっての開けた場=私の生
V倫理 功利主義、義務論共通 義務論のみ 私は、V世界自体を善くしようとしてV倫理的になれる。 私は、義務論の立場をとるなら、A世界の倫理に基づいてV世界での倫理を要求できる。
参考文献 『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』村上春樹、新潮文庫(二重世界、その世界での正義) 『知性はどこに生まれるか』佐々木正人、講談社現代新書(赤ちゃんの「リーチング」による世界の「アフォーダンス」の探求) 『デジタル・ナルシス』西垣通、岩波同時代ライブラリー(コンピュータ技術に本質的に?宿るヴァーチャルな欲望、エロティシズム)
来週 <私>の現実世界のヴァーチャル化