戦後アメリカの対日政策 政治神学からの考察

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戦後アメリカの対日政策 政治神学からの考察 岸添 雄作 浅井 大也 片野 慧

~1925年(変更前)   天皇         院           天皇        ・             ・                                      967年            幕末      村上天皇             天皇 1925年~(変更後)

ペリー来航をきっかけに倒幕運動が起き、幕府は争いにより倒幕することになる。この行為を正当化するために「天皇」をトップにもってきた。→幕府にいる征夷大将軍は天皇が任命するため

明治維新の目標…富国強兵と殖産興業 目標達成のために、1⃣天皇の権力を大 →国家が利用するため 2⃣国民国家体制をつくる(国民の統合)            →国家が利用するため          2⃣国民国家体制をつくる(国民の統合)            →国家神道            →キリスト教的影響

国家神道の形成 ①神道と天皇の結びつき ②神道と仏教の分離 ③一町村一社 ①明治政府は神道を国教化した。そして、神道の本宗である伊勢神宮を天皇の祖先をまつった場所にし、伊勢への信仰と過去の天皇の信仰を同一化させた。 ②明治初めには廃仏毀釈によって、仏教は多大な被害を受けたが、政府は仏教勢力の攻撃が激化することに不安があった。さらに、神道だけでは民衆教化できないと政府は思ったので、僧侶たちの力を借りるようになり、仏教勢力と天皇制国家との話し合いが成立。 ③神社を少なくして、行政単位と同じにすることで、より統合しやすくした。

キリスト教的影響 初の文部大臣である森有礼はキリスト教の信者であった。 ・キリスト教から日本が近代化するという目標を達成するため置き換えたこと (森有礼のビジョン)    1、「神と個」というキリスト教的関係             ↓      「天皇と臣民」という国家的関係    2、超越的な神のもとで個を主体化し、自分を修練していく、自分の神の      意志にとって役立つ者に改造していく      国家に能動的な主体としてある種の近代的な主体として立ち上がる

…要するに、キリスト教的な神の位置に天皇を据えた。 キリスト教を少し編集して、天皇制に組み込むような教育制度をつくるが、反発を受ける。 ただ、「人はつねに国家のために自分を改造しなくてはならない。」という風潮が根付いた。

天皇制、国家神道は、富国強兵と殖産興業のために利用された。

終戦までの流れ 15年戦争‥1931年から1945年までの15年間にわたる日本の対 外戦争のこと。 この15年間で起こった、満州事変・日中戦争・太平洋戦争という三つ の争いは、相互に密接でひとつづきであることから、15年戦争という 名称で呼ばれる。 15年戦争が終わり、日本はアメリカに降伏し、そこから日本のアメリカ による占領政策が開始された。

天皇制をなぜ残したいのか 日本→今まで続いてきた天皇制を途絶えさせたくない アメリカ→①占領政策を効果的・効率的に実施するため、天皇を利用 したかった ②共産主義の浸透に対する防壁のため お互いに目的は違うが、天皇制を残したいという所では一致した。

戦争責任問題 天皇側としても、アメリカとしても天皇が起訴されては困る! 天皇を残す上での一番の問題が、戦争責任の問題である。 戦争に負けてしまった以上、この戦争の責任は誰が取るのかという問 題が出てくる。 その場合、戦争責任の判決が下される東京裁判で、天皇が起訴され る可能性がある。 天皇側としても、アメリカとしても天皇が起訴されては困る! 天皇の免責に向けて天皇の側近メンバーとGHQが動き出す!

戦争責任に関するGHQの意見 連合国軍最高司令官であるマッカーサーは、天皇の戦争責任につい て 「過去10年間に、程度はさまざまあるにせよ、天皇が日本帝国の政 治上の諸決定に関与したことを示す(中略)明白確実な証拠は何も発 見されていない。可能なかぎり徹底的に調査を行った結果、終戦時ま での天皇の国事へのかかわり方は、大部分が受動的なものであり、 輔弼者の進言に機械的に応じるだけのものであったという、確かな印 象を受けている」 という極秘電報を陸軍参謀総長あてに送ったとされている。

免責工作① ★GHQと連携を強めよう大作戦★ 作戦①天皇側近メンバー、寺崎英成・松平康昌による、 GHQに対して、接待などを多く実施し関係を深め、 戦争を推進したと思われる人の情報など、GHQとの情報交換を頻繁 にしていった。 →天皇の免責のために、東京裁判を有利に進める必要があったので、 GHQと連携し協力を求めた。

免責工作② ★内部告発大作戦★ 作戦②天皇側近メンバー、田中隆吉による、 公判廷の場で内部告発を繰り返し行った →戦争責任のすべてをできる限り少数の人々に押し付けることによっ て、天皇訴追を回避するため。

免責工作③ ★天皇の責任を別の人になすりつけよう大作戦★ 作戦③GHQによる、 裁判の際に、太平洋戦争の開始時に首相であった東条英機に全責 任を背負わせるようにする。 →天皇の免責のために、天皇には決定権などなく、対米戦争は東条 の決定で始められたと主張し、東条に責任を背負わせた。

免責工作③ GHQのフェラーズ准将によると、「天皇が何等罪のないことを日本側 が立証してくれることが好都合である。そのためには近々開始される 裁判が最善の機会と思う。ことに、その裁判において東条に全責任を 負担せしめるようにすることだ。即ち東条に、次のことを云わせて貰い たい。『開戦前の御前会議において、たとい陛下が対米戦争に反対せ られても、自分は強引に戦争まで持っていく腹を決めていた』と。」 実際は天皇に決定権が存在した。

免責工作④ ★昭和天皇独白録の発表★ 作戦④天皇と天皇側近メンバーによる、 「昭和天皇独白録」…昭和天皇が戦中の出来事に関して側近に語った ことをまとめた記録のこと。←表向きの説明 ↓ 東京裁判を強く意識しながら、直接的にはGHQに対して天皇が戦争 責任がないことを論証するために作成された政治的文書。 →いわば「弁明の書」

東京裁判の結果 免責工作の結果、天皇が起訴されることはなかった。 東京裁判では、28人のA級戦犯が起訴され、そのうち25人が有罪と なった。 天皇の罪をかぶらされた東条英機は絞首刑となっている。 そして、天皇および天皇の側近メンバーは起訴を免れている。 こうして、天皇の免責を実現したことで、天皇もGHQもお互いの目的 を達成した。

穏健派の存在 穏健派…軍部の強硬派とは一定の対立関係にあり、太平洋戦争の開 戦には反対ないしは消極的な姿勢をとっていた人たちのこと。 穏健派には東京裁判に積極的に協力した人が多数いる。 ↓ 満州事変や日中戦争に対する自らの責任の問題をあいまいにさせつ つ、むしろ東京裁判に積極的に参加することによって、15年戦争のす べての責任を陸軍を中心とした軍部に押し付けることに成功した人た ち。 →アメリカは対米戦争の責任にはかなり重きが置かれたが、対アジア 責任の問題はあまり視野に入っていなかった。

満州事変や日中戦争は、太平洋戦争の引き金でもある。 穏健派の人の中には、満州事変や日中戦争に参戦した人が多くいる。 しかし、実際に東京裁判で裁かれたのは対米戦争に関わった人ばか りだった。 そしてその裏では、天皇制を残すために手を組み工作を駆使した、政 府とGHQの存在があった。

裏舞台での天皇発言 1945年9月27日 昭和天皇ははじめてマッカーサーを訪問 1945年9月27日 昭和天皇ははじめてマッカーサーを訪問 「私(昭和天皇)は、国民が戦争遂行にあたって、政治、軍事両面で行った全 ての決定と行動に対する、全責任を負うものとして、私自身をあなたの代表 する諸国の裁決にゆだねるためにおたずねした。」 私(マッカーサー)は、大きい感動にゆすぶられた。死を伴うほどの責任、そ れも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきでは ない責任を引き受けようとする。この勇気に満ちた態度は、私の骨の髄ま でも揺り動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格にお いても、日本の最上の紳士である事を感じ取ったのである。 『マッカーサー回想記』(1964年出版)

しかし表舞台では 1946年1月29日 マッカーサーは極東委員会にたいして、 「私(昭和天皇)としては決して戦争を望んでいなかったが、自分であれ(他のいか なる天皇であれ)開戦時に政界や世論の圧力に対して有効な抵抗をすることはで きなかった」と指摘。 天皇は戦争に反対すれば、取り替えられるおそれさえある、いわば操 り人形にすぎなかったと強調した

裁判対策 満州事変の実行者などの証言と被告人選定において 田中隆吉元陸軍少将にマッカーサーは、 この戦争は私の命令で行ったものであるから、戦犯者はみな釈放して、 私だけ処罰してもらいたいと発言したこと、だからもし天皇を裁判に出 せば、法廷でそのように主張するであろう。そうなれば、裁判は成立し なくなるから、天皇を出廷させてはならぬ、と命じた。 マッカーサーの絶対的な方針により、天皇発言がたくみに活用

マッカーサー奔走の理由 天皇の戦争のシンボルから民主化へのシンボルへの180度 のイメージ転換を鮮明に印象付けることによって、マッカー サーはみずからの「権力」と天皇の「権威」による上からの 民主化路線を内外に宣言した 占領の円滑な遂行のための政治的道具として、天皇の権 威を利用しようとした

朝鮮戦争 1950年6月 北朝鮮が統一を目指し、 半島南端にせまった 国連安全保障理事会は、北側の侵略と断定して国連軍の派遣を決議した。 1950年6月 北朝鮮が統一を目指し、  半島南端にせまった 国連安全保障理事会は、北側の侵略と断定して国連軍の派遣を決議した。 1953年7月 休戦協定

朝鮮戦争を受けて 米国政府の考え 日本を速やかに民主主義の陣営に引き入れ、ソ連の東亜における 新攻勢に対処する態勢を整えること 日本を民主主義陣営の一員として協力させ、あるいは日本を活用す る基礎をつくることを主眼とする

日本政府の考え(外務省) 日本が国連に加入するまで、外部からの保障もなしに無防備のまま 険悪な国際社会に投げ込まれるような事態を避けたい 朝鮮戦争により、非加盟国に対する侵略であっても、国際連合に よって有効な措置が執られた。そのため、国際連合による安全保障 に期待する

吉田外交から見た日米安全保障条約 日本側の立場 日本が米側に基地を提供し、米国が日本を防衛することによって 「相互性」が保持される 日本に軍隊をおくことは、アメリカの「国益」にとっても不可欠の条件

米側の立場 米軍駐留はアメリカが日本にあたえる「恩恵」であって、「相互性」 の対象にはなりえない 日本に軍隊を駐留させる用意はあり、またそうする権利を求めている が義務は負わない 何度でも自由に米国の軍隊を引き上げることができる

天皇から見た安保 戦前・戦中期の天皇と軍首脳部の関係は、国家の重大問題に関する 場合には、御下問だけでなく御詰問、御叱りがあった。(吉田による指摘) これが吉田自身に起こったのではないか? →天皇の立場からすると、保障問題は紛れもなく「国家の重 大問題」であり、より具体的には天皇制の存続そのものに関 わる「重大問題」であったから

天皇から見た安保 →これこそが安保条約の根本の趣旨 朝鮮戦争での米軍の苦境は、ソ連の直接侵略か国内共産主義の間 接侵略によって、天皇制打倒につながるかもしれない 戦争放棄の新憲法のもとにあって、この危機を救えるものは米軍し かいない 日本こそが米軍駐留を「希望」「要請」し、基地の自発的オファに徹し なければならなかった →これこそが安保条約の根本の趣旨