遺伝子とデフコミュニティ
マーサズ・ヴィンヤード島に存在したデフコミュニティ みんなが手話で話した島 マーサズ・ヴィンヤード島に存在したデフコミュニティ
ろう・難聴者の比率が 高い時代があった 300年以上にわたり、先天性のろう者の比率が高かった 遺伝性の聴覚障害が原因であった ティズベリー チルマーク スクイブノケット
先天性高度難聴の頻度 =出生1,000人に1人 30% 75〜85% 症候性 50% 常染色体劣性遺伝 遺伝子 70% 15〜24% 両親とも保因者 再発性: 25% 70% 15〜24% 非症候性 常染色体優性遺伝 25% 父または母が難聴 再発性: 50% ろう・難聴 環境 1〜2% 再発性:0.1〜0.3% X連鎖 X染色体に原因遺伝子がある 再発性: 不定 25% <1% 原因不明 ミトコンドリアル 再発性: 10〜18% 再発性: 不定
常染色体劣性遺伝 父 母 子供 50% 25% = コネキシン Cx26遺伝子 Cx26遺伝型 Cx26なし 25% ろう・難聴 キャリア(保因者) 50%
常染色体優性遺伝 父 母 子供 50% Cx26遺伝型 ろう・難聴 = コネキシン Cx26遺伝子 Cx26なし 50% Cx26遺伝型
常染色体劣性遺伝 系図 キャリア(保因者) Cx26遺伝型ろう・難聴
ジョナサン・ランバード (1657 – 1738年) マーサズ・ヴィンヤード島に移住した(1692年)最初のろう者と言われている マサチューセッツ州ケープコッドに生まれる イギリス・ケント州出身の祖先を持つ 大工、農家として働く 1694年に、ネイティブアメリカンが所有していた土地を購入 聴こえる女性と結婚、7人の子供をもうける。そのうち、2人はろう者であった
英国ケント州に見られた コミュニティの特徴 イギリス、ケント州ウィールド地方では、10〜12家族が集まり、1つのコミュニティを築いており、何世代も同じ場所に住み続けていた。 コミュニティの中で結婚を通じて、遺伝性の聴覚障害が子々孫々に伝えられていった。
ヴィンヤード島への定住 (1644 – 1710年) 1630年代:イギリス・ケント州を離れる 宗教上の理由:宗教の分裂 経済上の理由:布地製造業の衰え 米国・マサチューセッツ湾植民地 シチュエートへ入植 マサチューセッツ州ケープコッドへの移動 ヴィンヤード島への定住 マーサズ・ヴィンヤード島の人口 1700年:400人 1800年:3,100人
1/155人(0.7%) チルマーク:1/25人(4%) スクイブノケット:1/4人(25%) 統計からみる 当時のろう・難聴者の生活 マーサズ・ヴィンヤード島 米国本土 聴覚障害者の人口 1/155人(0.7%) チルマーク:1/25人(4%) スクイブノケット:1/4人(25%) 1/5,728人(0.02%) 結婚率 80% 45% 配偶者がろう者の割合 35% 79% 結婚平均年齢 男性22歳 女性20歳 20代後半 出生率 5.9人 2.6人
グループワーク 前スライドの統計を参考に、なぜこの数値が出ているのか、また当時のろう・難聴者の社会参加状況および現在との違いについて意見をまとめよ 当時 現在 聴覚障害者の人口 結婚率 配偶者がろう者の割合 結婚平均年齢 出生率 コミュニケーション 教育 経済状態
ヴィンヤード島の 聴覚障害者の消滅 1817年、コネチカット州ハードフォードにアメリカで最初のろう学生のための学校、「アメリカろうあ院」が創設される マーサズ・ヴィンヤード島に住んでいたろう児は、1820年代〜1830年代に「アメリカろうあ院」に送られるようになる 1952年に、マーサズ・ヴィンヤード島最後のろう者が亡くなる
ヴィンヤード島の手話と アメリカ手話 17世紀の英国ケント州の手話 - 18世紀のフランス手話 - 地域手話 17世紀〜18世紀にかけてのチルマークの手話 「アメリカろうあ院」が様々な手話を導入 19世紀〜20世紀にかけてのマーサズ・ヴィンヤードの手話 アメリカ手話
遺伝性聴覚障害研究の始まり アレクサンダー・グラハム・ベル マーサズ・ヴィニヤード島は、ニューイングランドの中でも特に聴覚障害の割合が多いことを発見 1883年11月13日「米国科学アカデミー」にて… 「ろう者同士の結婚は、ろう者の子が生まれる可能性が高いので、そのような婚姻(ろう者同士の結婚)は避けるべきだ。」 当時は科学技術が発展しておらず、推測による判断であった 優生思想(優生学)の発展につながる