19世紀初期のフランス・ピアノ音楽におけるスイスのイメージ表象 ランズ・デ・ヴァーシュと ペダルの用法を中心に 19世紀初期のフランス・ピアノ音楽におけるスイスのイメージ表象 ランズ・デ・ヴァーシュと ペダルの用法を中心に 上田泰史(東京藝術大学・国立音楽大学) 目的 「記憶を喚起する記号」から「ロマン主義のトポス」へ *スイスや牧歌的情景を舞台とした音楽作品の増加 1789年 バスティーユ牢獄襲撃事件(フランス革命の端緒) 1791年 グレトリ《ウィリアム・テル》(オペラ・コミック)の初演 1794年 ケルビーニ《エリザ》(オペラ・コミック)の 初演 1804年 セナンクールの小説『オーベルマン』(1804年刊)の大 ヒット ⇒スイスを舞台にした恐怖政治からの逃避願望も一因(Schneider 2016)。崇高な自然、雄大な景観を想像することを通して自己と永遠を瞑想する=無限性への憧れ(ロマン主義の特徴) 1808年 ベートーヴェン《田園交響曲》初演 1829年 ロッシーニ《ウィリアム・テル》(グラントペラ)の初演 1830年 ベルリオーズ《幻想交響曲》初演 ⇒ 多くの作品で「ランズ」の旋律が用いられる。 1820年代までに、「ランズ」は、 もはや限られた人にしか わからない記号ではなく、ロマン主義の トポスとしての地位を獲得した ・19世紀初頭から1820年代のピアノによる「スイス的」空間の表現法の 特徴を解明する 〈背景〉 ・なぜスイスか?⇒ フランス革命後、1790年代以降、文学を通してスイスは理想郷として描かれた ・フランスの音楽シーンでは? キーワード:「ランズ・デ・ヴァーシュ」=スイスの牛追い歌 (Vachesは「牛」) 1768年 J. J. ルソー『音楽事典』 楽譜を引用しながら定義付け ランズは音楽ではなく「記憶を喚起する記号」と主張。スイスを母国とし、土地の記憶を共有している人にしかわからないため。 ピアノ音楽ではどうだったのか? アプローチ 結果 1.「ランズ・デ・ヴァーシュ」の特徴を持つピアノ作品の分析 a. ルイ・アダン(1758-1848) 《ランズ・デ・ヴァーシュと呼ばれるスイ スの歌》・・・1804年刊行 b. ジョゼフ・ヅィメルマン(1785-1853)《ピアノ協奏曲》作品13 第2楽章・・・1823年刊行 各年代のジャンル判明総数に対する主要ジャンルの割合推移 ペダルの種類と効果 ① リュート・ストップ*:弦に革を巻いたバーを接触させ、リュートまたはハープのような音がする ② ダンパー・ペダル:弦の振動を止めるバーを上げ下げする ③ チェレスタ・ストップ:ハンマーと弦の間に革製の舌が挿入され、音色を和らげる。 ④ ウナ・コルダ:各音には、3本の弦が張られている。これを、ハンマーの機構全体を横に少しずらすことで、打つ弦の数を1本または2本に調整できる ⑤ ファゴット・ペダル:膝で操作するペダル。紙を巻いたを弦に触れさせることでファゴットのような音が出る * ストップとは、音色を変化させる機構のことで、フランス語では “jeu” という。チェンバロやオルガンで一般的。 2. 上記作品をパリの楽器博物館(Musée de la musique)所蔵の楽器で検証 ・製作年:2010年(オリジナル:1802年) ・製作者: Christopher Clarcke (オリジナル:セバスチャン・エラール) L. アダンの場合:エコーの表現 《エコーを模倣したランズ・デ・ヴァーシュ》呼ばれるスイスの歌(1804) 5つのセクションがそれぞれ3つのエコーを持つ A-Echo1-Echo2-Echo3 B-Echo1-Echo2-Echo3 C-Echo1-Echo2-Echo3 A’-Echo1-Echo2-Echo3 Coda-Echo1-Echo2-Echo3 エコー=ペダル②と③によって表現される セクションA エコー1 ② ③ ④ ⑤ ② ②+③ エコー3 エコー2 ヅィメルマンの場合:歌い交わし とエコー 結論 歌い交わし ・「エコー」と「歌い交わし」はチェレスタ・ストップとダンパーペダルの使用によって表現された ⇒ 音による遠近法=空間の表現 ②+③ ・文学テクストと相互補完的に享受されることで、ピアノは家庭やサロンにおいてスイスのイメージ形成に貢献 ↑ G.タレンヌが1813年に刊行した『ランズ・デ・ヴァーシュに関する研究』に掲載されたランズ・デ・ヴァーシュの例。ヅィメルマンの旋律は、当時出版されていた旋律を参考にしている。 ペダルなし ・音響という観点から文学的には成しえない仕方でスイス的景観を現前させた ⇒「ユートピアとしてのスイス」という ロマン主義のトポス形成にピアノが果たした独特な役割 エコー ② ②+③ ② エコー 参考文献一覧:希望される方にその場で配布します