ガリレオ Turning Point of Modern Science
イタリアの物理学者、 天文学者、哲学者。 イタリアのピサ生ま れ。父は音楽家。天 文学の父であるとと もに、現代の科学 的方法の開拓者。 ガリレオ・ガリレイ 1564-1642 イタリアの物理学者、 天文学者、哲学者。 イタリアのピサ生ま れ。父は音楽家。天 文学の父であるとと もに、現代の科学 的方法の開拓者。
ガリレオは2女1男の父 親であったが、家柄の 違いから結婚はしてい なかった。 ガリレオは敬虔なカトリック教徒 ガリレオは2女1男の父 親であったが、家柄の 違いから結婚はしてい なかった。
ガリレオは、他の誰にも 増して、現代科学の誕生 に貢献した。 ガリレオの意義 ガリレオは、他の誰にも 増して、現代科学の誕生 に貢献した。 S. ホーキング
イタリアのピサに生ま れ、フィレンツェ近郊 の修道院で学び、ピ サ大学に進んで医学 を学ぶ。 ガリレオの生い立ち① イタリアのピサに生ま れ、フィレンツェ近郊 の修道院で学び、ピ サ大学に進んで医学 を学ぶ。
ガリレオの生い立ち② たまたま聴いた幾何学の授業に興味を呼 び起こされ、数学と科学の勉強を開始。し かしながら1585年、学資難から学位を得 ず退学。フィレンツェに帰り、アカデミーで 教えるかたわら、アルキメデスの力学を研 究。 1589年(24歳)にピサ大学の教授の地位 を得る。
ガリレオの生い立ち③ 1589年(24歳)にピサ大学の教授の地位 を得る。3年間の在任中にプトレマイオス批 判で大学当局と衝突。 天文学の授業ではプトレマイオスに沿った 天動説をガリレオ自身も教えていた。 その後、コペルニクスの「天体の回転につ いて」と出会い、直ちに地動説を理解する。
ガリレオの生い立ち④ 1592年:27歳でパドヴァ大 学に職を得る。以後18年間 ここで落ち着いて仕事をす る。幾何学、算術、天文学、 機械学も講じる。 1609年:オランダで望遠鏡 が発明される。 望遠鏡の製作・改良、天体 観測 1616年:法王庁は地動説禁 止の教令を発布 1597年から製作を開始。1599年には注文に応じてコンパスを製作するために自宅に作業場を作る。
ガリレオの生い立ち⑤ 1624年:自分の観測結果から地動説は動 かしがたい証拠を得たこと。地動説 は聖書と抵触しないことを説き、法 王庁に教令の取り消しを願い出る。 1632年:天文対話を出版。半年で発売禁止。 ローマに召喚される。 1633年:宗教裁判。法王庁の命令でフィレ ンツェ郊外に幽閉される。
望遠鏡は “目の延長” ガリレオの望遠鏡
ガリレオの望遠鏡 オランダで発明された望遠鏡を改良して、倍率 が10倍や20倍(1609年11月末)のものを自作 望遠鏡の倍率= 接眼レンズの焦点距離 対物レンズの焦点距離 均質のガラス板の入手 レンズの研磨方法の改良
ガリレオの望遠鏡 オランダで発明された望遠鏡を改良して、倍率が 10倍や20倍のものを自作 月のクレータや山、銀河、太陽黒点などを観測 木星の4つの衛星の発見とその周期を精密測定 金星の満ち欠けを観察し、太陽の周りを廻ってい ると結論
星界の報告 Sidereus Nuncius 著書 1610年、ガリレオは木 星の月を手製の望遠鏡で 観測し、結果を公表した。
観測から、これらの天体が、木星の衛星であると確信。 ガリレオ衛星 ガリレオの発見した 4つの木星の衛星 イオ エウロパ ガニメデ カリスト
「地動説は正しい」と一方的に描くのではなく、立場の異なる3人の鼎談形式で話が進む。 天文対話 Dialogue 著書 「地動説は正しい」と一方的に描くのではなく、立場の異なる3人の鼎談形式で話が進む。
フィレンツェ郊外に幽閉中、口述筆記などによって「新科学対話」を完成させる。 著書 フィレンツェ郊外に幽閉中、口述筆記などによって「新科学対話」を完成させる。 アリストテレス哲学とプトレマイオス体系を否定し、地動説と新しい科学を説いた。 アリストテレス個人に対して批判的だったわけではない。 権威を笠に着て、アリストテレス哲学を頭ごなしに押し付けてくる教会や知識人たちの姿勢を批判。
アリストテレス哲学とプトレマイオス体系を否定し、地動説と新しい科学を説いた。 新科学対話 著書 アリストテレス哲学とプトレマイオス体系を否定し、地動説と新しい科学を説いた。 アリストテレス個人に対して批判的だったわけではない。 権威を笠に着て、アリストテレス哲学を頭ごなしに押し付けてくる教会や知識人たちの姿勢を批判。
ガリレオの発見 教会のシャンデリアが揺れる様子から振 り子の等時性を発見 mg T x l q mg sinq またq が小さいとき
ガリレオの発見 斜面を使った落体の実験により、物体の速度 が時間に比例して増加することを発見 物体落下の法則:物体は重さと関係なく、同じ 加速度で落下 重い玉 軽い玉
ガリレオの発見 慣性の法則:物体に力が働いていないと きには、物体はその運動状態を持続する 超新星を観察し、視差を見て、それがは るか遠方の星であることを発見し、アリス トテレスの考えを否定 投射物体の放物運動を発見
ガリレオの発見 超新星を観察し、視差を見て、それがは るか遠方の星であることを発見し、アリス トテレスの考えを否定 投射物体の放物運動を発見
ガリレオの言葉 ひとたび発見されれば、どんな真理でもそれを理解 することは容易である。肝心なのは発見することだ。 人に何かを教えることはできない。自分で発見する のを手助けするのみである。 疑問は発明の父である。 測れるものを測れ。測れないものを測れるように工 夫せよ。 科学の問いの前では、たとえ千人の権威者があろう と、1個人のつつましやかな推論には及ばない。
ガリレオの功績 実験的事実やそこから数学的に導かれる理論を 軸にする実証的な科学の方法を、最初に確立し 実践した。 科学を哲学から分離し、自然現象の解明に使用 した。 数学は具体的な現象を定量的に論じるための手 段。 自然を探求する方法と精神こそが彼の最大の功 績といえる。 米沢冨美子著「人物で語る物理入門」
ガリレオ裁判 1616年 第1回ガリレオ裁判 1616年 直後に、コペルニクス説の禁止令 1633年 第2回ガリレオ裁判 1616年 第1回ガリレオ裁判 1616年 直後に、コペルニクス説の禁止令 1633年 第2回ガリレオ裁判 地動説を唱えないことを宣誓;死ぬまで軟禁 1992年 ローマ教皇庁、カトリックが正式に 天動説を放棄; ガリレオ裁判の誤りを認 めた。
歴史 ギリシャ等での古典的な知の遺産 イスラム文化に継承 ヨーロッパへ ルネッサンス:14世紀にイタリアで始まる 8~9世紀にかけて、アラビア語に翻訳 アッバース朝時代:バクダードに設立された「知の館」にて翻訳作業 イスラム文化に継承 古典的な文献、イスラムの哲学者や科学者が加えた注釈がラテン語に翻訳(イスラム支配下のスペインで行われた。) ヨーロッパへ ルネッサンス:14世紀にイタリアで始まる
1450年頃: 活版印刷術の発明(ドイツ、グーテンベルグ) 1453: オスマン・トルコが東ローマ帝国を滅ぼす 1488: 喜望峰発見(バーソロミューディアス) 1492: 新大陸発見(コロンブス) 1498: インド航路(バスコダガマ) 1517: ルターの宗教改革 1519-22: マゼラン船隊 世界一周 1534: イギリス国教会設立 1600: 東インド会社設立(イギリス)、1602:オランダが設立 1609: 望遠鏡発明、 ケプラーが天体の3法則を発見 1620: 清教徒がアメリカ移住 1642: ピューリタン革命(イギリス)
番号 名前 直径 質量 平均軌道半径 公転周期 I イオ 3,632 km 8.92×1022 kg 421,600 km 1.76 日 II エウロパ 3,138 km 4.8×1022 kg 670,900 km 3.55 日 III ガニメデ 5,262 km 1.49×1023 kg 1,070,000 km 7.16 日 IV カリスト 4,820 km 1.08×1023 kg 1,883,000 km 16.69 日