いのち の 言葉 2010年7月
天の国は次のようにたとえられる。 商人が良い真珠を探している。 高価な真珠を一つ見つけると、 出かけて行って持ち物をすっかり 売り払い、それを買う。 (マタイ 13.45-46).
イエスのこの短いたとえ話を聞きながら、人々は豊かに想像力を 働かせたことでしょう。当時「真珠」は、金と並んで、最も高価なものでした。
聖書には、「どんな宝石も知恵にまさるとは思わなかった」という 記述があり、「知恵」すなわち「神様を知ること」が、 すべてにまさるものであることが示されていました。
しかし、このたとえ話の中で強調されているのは、ある商人が、心躍らせる特別な出来事に、予期せずして出くわしたことです。彼はどこかの市場で、一つの真珠を見つけました。この道の専門家である彼だけが、その真珠の計り知れない価値を見抜くことができました。
この真珠で大儲けできると判断した商人は、いろいろと計算した結果、 自分の持っているものをすべて売り払っても、真珠を手に入れたほうがいい、と決心したのです。確かに彼の立場にあったら、だれでも 同じようにしたことでしょう。
このたとえ話には、次のような深い意味が含まれています。私たちがイエスと出会う時、つまり私たちの間に存在する神の御国(これこそ「真珠」です!)に出会う時、全力を尽くし、自分の持っている ものすべてを手放しても、 すぐに手に入れるべきだ、と。
天の国は次のようにたとえられる。 商人が良い真珠を探している。 高価な真珠を一つ見つけると、 出かけて行って持ち物をすっかり 売り払い、それを買う。 (マタイ 13.45-46).
このような全面的な生き方、すなわちイエスに従うため、家族への愛や経済的な保証、安定した将来なども含む「すべて」を後にするよう、 弟子たちが求められたのは、初めてのことではありませんでした。
イエスが、このようなことを要求されるのは、それなりの理由や意味があってのことです。それは、私たちが、自分の「すべて」を後にすることによって、それとは比較にならないほど貴い別の「すべて」を見出すことができるからなのです。イエスは、私たちに何かをお求めになる時はいつも、それをはるかに超えるすばらしいものを豊かに与えてくださいます。
このたとえ話を通して、イエスは、私たちを永遠に豊かにする宝物をくださると、約束されました。 「不確かなもの」のために「確かなもの」を捨て、「約束されているだけの富」のために「すでに手中にある富」を後にするのは間違っている、と感じるならば、このたとえ話の商人を思い出しましょう。見つけた真珠が非常に高価なものだと知っている彼は、この真珠を売って得られる儲けを信じて、待っています。
イエスに従おうとする人も同じです。少なくとも精神的な意味で、私たちが自分のすべてを後にするなら、神の御国をイエスと共に受け継ぎ、計り知れない財産を手にすることを、「信仰の目」で見ることができます。
神様は、すべての人がこの富を得ることができるよう、人生の中でチャンスを与えてくださいます。
天の国は次のようにたとえられる。 商人が良い真珠を探している。 高価な真珠を一つ見つけると、 出かけて行って持ち物をすっかり 売り払い、それを買う。 (マタイ 13.45-46).
私たちの心の中で、神様の場所を占領しているすべてのこと(出世、結婚、勉強、立派な家、仕事、スポーツ、遊びかも しれません)を脇に置くよう、今月のみ言葉は招いています。
そして、私たちのあらゆる考えや愛情に先立って、まず神様を第一の 場所に置くよう、招いています。それは、生活の中で、私たちがすべてを神様のために行い、すべてを神様から受け取ることができるように なるためです。
私たちが神の御国を求めて、このように生きるなら、福音が約束するように、他のものは加えて与えられます。神の国のためにすべてを後にするなら、私たちは、家、兄弟、姉妹、父、母を百倍にして受け取るでしょう。福音は、人間的な側面も明らかに備えているからです。つまり「神であると同時に人でおられる」イエスは、霊的な食物に加えて、日ごとの糧、家、洋服、家族をも、私たちに与えてくださるのです。
私たちは、御父のみ摂理にもっと 自分を委ねることを、「小さな者たち」から習う必要があるでしょう。私たちが愛ゆえに、持っているわずかなものをすべて与えるなら、御父は、何一つ不足することがないよう計らってくださいます。
アフリカのコンゴであった出来事も、そうでした。ある若者たちのグループは、何ヶ月にもわたって、バナナの皮を使ったカードを作り、ドイツに送って売っていました。彼らの中には、この仕事で家族全員を養っていた人もあり、最初はカードの売り上げを自分たちの間で分けていました。 しかし、ある時から、利益の五十%を他の人々と分かち合うことを決心し、それによって、失業中の他の若者三十五人を援助しました。
このような彼らに対して、神様は寛大に応えてくださいました。カード作りに携わっていた二人の若者は、ある店に勤めていたのですが、そこでの彼らの働き振りが評判になり、従業員を探していた他の店主が何人もその店を訪れ、人を紹介してほしいと言ってきたのです。こうして、カード作りの若者十一人が、定職に就くことができました。
天の国は次のようにたとえられる。 商人が良い真珠を探している。 高価な真珠を一つ見つけると、 出かけて行って持ち物をすっかり 売り払い、それを買う。 (マタイ 13.45-46). フォコラーレの創立者キアラ・ルービックが、 2008年3月に帰天した後、彼女が過去に残した解説を「いのちの言葉」として取り上げます。 今月の言葉は、1999年7月に発表されたものです。 いのちの言葉は聖書の言葉を黙想し、生活の中で実践するための助けとして、書かれたものです。 Anna Lollo のグラフィックスPlacido d’Omina神父の共同制作 (シシリア –イタリア) 連絡先フォコラーレ:03-3707-4018 tokyofocfem@ybb.ne.jp 03-5370-6424 czmtokyo@focolare.org http://www.geocities.jp/focolarejapan/focolaresito