転機を迎えたソフトウェア特許 中央大学理工学部 今野 浩 2005年10月
1.ソフトウェア特許の歴史 1960年 ソフトウェア産業の興隆 1964年 ACMシンポジウム : ソフトウェア関連“発明”の権利保護 1960年 ソフトウェア産業の興隆 1964年 ACMシンポジウム : ソフトウェア関連“発明”の権利保護 1966年 大統領特別委員会 : ソフトウェア特許はジャングル 1972年 ゴッチョーク対ベンソン判決 : 2進10進変換アルゴリズムにNo 1978年 パーカー対フルック判決 : 化学プロセス制御プログラムにNo 1980年 著作権法改正 ソフトウェアは著作権で保護 1981年 ダイアモンド対ディーア判決 : 一概にNoというわけではない 表現(プログラム)は著作権 アイディア(アルゴリズム)は特許
1982年 CAFC設立:プロパテント政策の拠点 揺れ動くソフトウェア特許に対する判断 1985年 産業競争力委員会報告(ヤング・レポ-ト) 産業構造審議会、プログラム権法構想 Samuelson,Chisum,Newell論争 1986年 著作権法改正 1988年 カーマーカー特許成立:純粋数学特許 ソフトウェア特許加速 1991年 OTAレポート : “Finding a Balance” プログラム権法を提唱 League for Programming Freedom : 反ソフトウェア特許活動の拠点 国際数理計画法学会報告 : ソフトウェア特許を強く否定
1993年 カーマーカー特許公告 1995年 連邦通商委員会報告 : ソフトウェア特許を批判 (幻の)SOFTICレポート : ソフトウェア特許はなくても良い 日米シンポジウム : 法律家と技術者のコラボレーション 1996年 CAFC : 数学も特許適格 1997年 プログラムを記録した記録媒体を特許対象 1998年 ハブ・アンド・スポーク(ビジネス方法特許) 何でも特許の時代 1999年 Laurence Lessigの一連の活動 クリエイティブ・コモンズの提唱
2000年 三極合意 : 米政府にビジネス・モデル特許の審査厳格化を要求 プログラム自身を特許対象とする 2002年 Federation of Free Information Infrastructureを結成 反ソフトウェア特許活動の拠点 知財立国宣言 特許法改正 デューク大学事件判決 : どこでも特許の時代 2003年 FTC報告 : “To Promote Innovation” 特許の藪がイノベーションを阻害 2004年 産業競争力委員会報告(パルミサーノ・レポート) CollaborationによるInnovationを提唱 多様な技術と柔軟な保護制度
振り子は振り切れたか 2005年 パテント・コモンズ(IBM、ノキアなど) 知財高裁設立 相次ぐ経済学者によるソフトウェア特許分析と批判 経済産業省 : ソフトウェア特許見直しの動き 「ソフトウェアの法的保護とイノベーション促進に関する研究会」 EC議会 : ソフトウェア特許ディレクティブ否決
2.特許は技術開発のインセンティブとなるか Yes : 開発コスト回収に必須 ソフトウェアも他の技術と同じ : ソフトウェアは特許制度に馴染まない コストがかかるのはインプリメンテーション 抽象的かつ斬新的な普及にはRe-inventionが重要な役割を果たす →抽象的発明の特許による保護は不適切 他の技術と本質的に異なるライフサイクル 長すぎる審査と長すぎる保護期間 技術者の倫理と鋭く対立 : コピーは悪、同時開発は善 誰も特許文書を見ない : 誰もが潜在的ドロボー生活 No
3.ソフトウェア特許のどこが問題か ・新規性、進歩性の判断が難しい ・技術開示が困難かつ不十分 ・権利の範囲が曖昧なので、侵害の認定が難しい ・申請、維持、訴訟に金がかかりすぎる/開発投資と負の相関 ・ソフトウェア特許の藪がイノベーションの足枷となっている ・誰が利益を得るのか ソフトウェア産業ではなく知財ゴロ
4.ソフトウェア関連発明の保護制度 ソフトウェア権法 パメラ・サミュエルソン教授の提案(1995) ぺティ・パテント制度(Richard Stern,1995)