メディア社会学6回 2019年5月28日(火).

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メディア社会学6回 2019年5月28日(火)

1.4 社会(あるいは全体社会)相互の比較 1.3までの比較 1.4での比較 集団ごと(属性ごとにグルーピングしたグループごと)の比較 1.4 社会(あるいは全体社会)相互の比較 1.3までの比較 集団ごと(属性ごとにグルーピングしたグループごと)の比較 1.4での比較 地域ごとの比較、時代ごとの比較等々

全体社会の相対化 「全体社会」 1.3までの方法 分節化 : 社会学の基本 ただし1.4は、「全体社会」を場合によって一枚岩に 「国民国家の全成員のなす社会」「国民社会」「国」 1.3までの方法 全体社会を部分社会に分節化 分節化 : 社会学の基本 ただし1.4は、「全体社会」を場合によって一枚岩に 現在の「全体社会」の相対化を目的とする

デュルケム(Emile Durkeim 1858-1917) マックス・ウェーバーの同時代人。 ウェーバーと共に、社会学の史上2大巨頭(3大巨頭という場合、ジンメルが加わる) 著作 『自殺論』1897 『社会学的方法の規準 』1895 ウィキペディアからの画像

デュルケム vs ウェーバー① ウェーバーと対比される ウェーバー ・・・ ドイツ人 デュルケム ・・・ フランス人 ウェーバー デュルケム 方法論的個人主義 デュルケム 方法論的集団(集合)主義の代表

デュルケム vs ウェーバー② ウェーバー デュルケム プロテスタントの熱心な母の下で育つ プの信仰 → 一人で神に近づく 父親はユダヤ教のラビ( 8代続いたラビの家系)ただしフランスというカトリック文化圏の中で育つ)。 カトリックの信仰 → 集団的に神に近づく ユダヤ教 → カトリック → プロテスタントの順で、 集団の規範が緩くなる(とデュルケムは想定)

デュルケム vs ウェーバー 補足 ラビ=キリスト時代のパリサイ人(ファリサイ人、律法主義者)政教分離前は法律家=宗教家 キリスト(自身、ユダヤ人だしユダヤ教徒の自己意識をもつ)はパリサイ人の形式主義を嫌い、内面の信仰を重んじ、パリサイ人らを批判し、それ故処刑された。→ユダヤ人差別の一因、キリスト教が世界宗教になるきっかけ デュルケムもウェーバーも自身の親の信仰心が研究の背景に。当人たちのそれは不詳(というか信仰心弱いという説が一般的だが、ヤスパースの例もある)。

方法論的集団(集合)主義 社会を個人の意識(ウェーバー)や創意(タルド)に還元する見方を批判 社会を堅固なモノのように捉えることを提唱 社会学の分析対象は「社会的事実」(モノのように個人に先立つ存在・例えば「制度」のように)だ、と。

ガブリエル・タルド(1843-1904) http://www. cairn ガブリエル・タルド(1843-1904) http://www.cairn.info/revue-histoire-politique-2010-2-page-11.htm デュルケムの同時代のフランスの著名な社会学者。デュルケムから手痛い攻撃を受けるが、『世論と公衆』『模倣の社会学』などの重要な著作を残す。

(補足)制度と個人の行動規範 制度、法と、倫理、道徳、個人の行動規範は地続きの概念でありつつ(辞書的には重なっていく)、(現世的な)強制力があるなしで、大いに違う。 ごく大ざっぱにいって、上の文章の左側にデュルケムの社会的事実、右側にウェーバーのエートスがあるイメージ。そして右側ほどプロテスタント的(=一人で神に近づく)

『社会学的方法の規準』(邦訳1978) (宮島喬訳・岩波文庫) p.54より 「それら(社会的事実)は、行動、思考および感覚の諸形式から成っていて、個人にたいしては外在し、かつ個人のうえにいやおうなく影響を課することのできる一種の強制力をもっている」

『社会学的方法の規準』(邦訳1978) (宮島喬訳・岩波文庫) p.54の補足説明① →(解説)言語の運用、宗教儀礼を含め、広い意味での「制度」(社会の中でルールで営まれるものごと)は、われわれが生まれる前からあるし(「外在し」)、われわれはそれに強く影響され、(部分的追加や削除や修正はあるにせよ)、われわれには動かしがたい「モノのような存在」としてわれわれにたちはだかる。 宗教上の規範は冒しがたい聖性を帯びるが、それがここでいう「制度」の典型であろう。

『社会学的方法の規準』(邦訳1978) (宮島喬訳・岩波文庫) p.54の補足説明② デュルケムのポイント 神=社会 (律法主義者ラビの息子ゆえ)

先の引用部分に続けて個人主義的な方法を批判(『社会学的方法の規準』p.55) 「たしかに、これらの現象を規定するのにもってした拘束という言葉は、絶対的個人主義の熱烈な信奉者たちをたじろがせるおそれなしとしない。・・・しかし、われわれの観念や傾向の大部分はわれわれ自身によってつくりあげられたのではなく、外部からやってくるものであることが今日ではすでに明らかである以上、それらは外から課せられるというかたちでしかわれわれの内に入り込めないはずである」。

改めて「社会的事実」とは 「社会的事実」 個人の外にあって個人の行動や考え方を拘束する、集団あるいは全体社会に共有された行動・思考の様式 人間の行動や思考は、個人を超越した集団や社会のしきたり、慣習などによって支配される(以上2つ、ウィキペディア「デュルケム」より引用) しきたり、慣習、規範、制度などが「社会的事実」

二つ(二大巨頭)の方法論の比較① 方法論的個人主義(ウェーバー由来) 方法論的集団(集合)主義(デュルケム学派) 現在の社会を分節化 → アンケート調査など通常の調査方法に適合 方法論的集団(集合)主義(デュルケム学派) 主に社会相互の比較 違う国や違う地域(あるいは違う集団)の比較、同じ地域の違う時代を比較 → 既存の統計資料をつき合わせる。あるいは文化人類学に(弟子で甥のマルセル・モースのように)。

二つの方法の比較② 社会が先か、個人が先か 実際は、DとWいずれかの流れを汲む人々が、共に個人の意識も制度や規範も考慮する 結局は鶏と卵の関係 実際は、DとWいずれかの流れを汲む人々が、共に個人の意識も制度や規範も考慮する ただし、方法論的個人主義の方がアンケート調査等、現代の社会学の主流に近い(親和的) ウェーバーの方が社会学の事実上の祖のような扱いされる理由か

全体社会の捉え方の一つの例 デュルケム 全体社会を「統合-分裂」の軸で比較 統合 分裂(Dを少し離れて一般に)   葛藤 ・・・ 社会変動の要因、階級闘争、 資本家対労働者    自由 ・・・ さらに分裂を深めかねない 安定 不安定性

統合の欠如と自殺 倉沢進・川本勝編著『社会学への招待』ミネルヴァ書房p.205.1992年等による 「統合」 ・・・ 社会の連帯、まとまりのようなもの 『自殺論』(1897)デュルケムの代表作。 自殺率 ・・・ 社会解体、社会の紐帯Important connection, tieが弱体化した(統合が失われた)とき、増大 自殺率を社会統合の有無の指標に アノミー 規範が弱体化 → 個人はアスピレーション(向上心)や道徳的行動に規制を感じることが少なくなる → 集団の統制や規制による安心感、安定感を失う → 自殺  (要は、規範やルールが生きていることの意味に通じるという考え)

アノミー 宮島喬・杉山光信・梶田孝道・富永茂樹訳『ラルース社会学事典』弘文堂、1997,pp.4-5より 語源的には、規範、規則・法律の欠如。ギリシア語のanomosに由来。アナーキーな個人主義 『自殺論』でのアノミー 人間の欲求の無制限性と達成すべき目的の不確定性から生じる無限の病

デュルケムの規範の考え方の面白さ 通常の規範の捉え方 デュルケムの規範の考え方 自由に反するもの。人々を押さえ込むもの デュルケムの規範の考え方 人々に目標を与えるもの。生きている意味に関わるもの。(規範の典型=法とすると、ラビの息子の面目躍如) 自由な時代、あるいはほかの人々より自由なはずの人々こそ、自殺が多くなる点に、彼は着目。

同じことを少し表現を換えていうと 「自由・・・善」という通常のわれわれの考え方に異を唱える。 規則のメリットもあるはず。 「自由・・・善」という通常のわれわれの考え方に異を唱える。  規則のメリットもあるはず。 自由に対立する拘束に、社会(のルール)や、社会のシンボルとしての宗教や神があると考え、それら(デュルケム自身はラビの息子ながら、一説にはおそらく無神論者だが)がわれわれの生きている意味を与えていた、と。 拘束、規則の少ない社会(=自由な社会)・・・意味喪失の社会

デュルケム流の「規範=意味の供給源」という発想を裏付けるような卑近な例 制服のない高校の女子高生が、あえてイーストボーイ等のなんちゃって制服で登校する 女子大生やОLが制服でTDL,TDSにいく 無調音楽のあとの12音技法(アーノルド・シェーンベルクが創始)は厳密なセリー(音列)を守らせる

『自殺論』(1897)あれこれ 自殺が多いのは、以下の4カテゴリーのうち、どれ? 「独身・男性」「独身・女性」「既婚・男性」「既婚・女性」(マトリックス的思考) では次の時期の比較では? 「戦争の時期」「平和で豊かな時期」 独身・男性 独身・女性 既婚・男性 既婚・女性

『自殺論』での自殺の4類型 集団本位的自殺 ・・・ 伝統社会中心 自己本位的自殺 ・・・ 孤立した現代社会でのもの。次の「アノミー的自殺」と共にデュルケムの議論の中心 アノミー的自殺 ・・・ 過度に自由な社会での自殺 宿命論的自殺 ・・・ 規範の拘束力の強い社会での自殺 デュルケムは注で記すのみ

集団本位的自殺① (以下の各類型の解説は、主にウィキペディア「エミール・デュルケム」による) 集団本位的自殺(愛他主義altruisme的自殺) 集団の価値体系に絶対的な服従を強いられる社会、あるいは諸個人が価値体系・規範へ自発的かつ積極的に服従しようとする社会に見られる自殺の形態。 自己犠牲が強調される伝統的社会や、それを受け継ぐ軍隊組織で見られる

集団本位的自殺② (以下の各類型の解説は、主にウィキペディア「エミール・デュルケム」による) 「所属する組織集団の規範に<過剰同調するが故の自殺>、たとえば汚職事件で容疑をうけたひとが組織に「迷惑」がかかるのを恐れて行う自殺」(森下伸也『パラドックスの社会学』p.160)

自己本位的自殺(égoïsme)① 過度の孤独感や焦燥感 → 個人の集団との結びつきが弱まること → 個人主義の拡大 → 自殺   → 個人の集団との結びつきが弱まること → 個人主義の拡大 → 自殺 宗教による自殺率の違い ユダヤ教 < カトリック < プロテスタント 地域による違い 農村部 < 都市部 未既婚による違い 既婚 < 未婚

自己本位的自殺(égoïsme)② これも『パラドックスの社会学』からの補足説明。「他者との関係から切れたということから生じる<孤立感、孤独感のゆえの自殺>、たとえば恋人に死なれてしまったための後追い自殺や、誰にも理解してもらえないという気分による自殺がある。人間は自己の存在の意味を、他者との関係のなかに見いだす傾向があるためだ」。

アノミー的自殺(anomie)① 社会の規則・規範がない(もしくは少ない)状態において起こる自殺の形態。 規範欠如 → 多くの自由 → しかし自由であるだけに欲求水準のみ上がり、欲望充分に満たせない(満足を知らない)→ 虚無感 → 自殺 時期による自殺率の違い   不況 < 好況(これについては現代ではむしろ逆では?との批判も)

アノミー的自殺(anomie)② これも『パラドックスの社会学』から。「欲求が異常に高まり、その高まった欲求がどうしても充足することができない、と思いいたったはての<絶望感ゆえの自殺>、たとえば金銭欲や消費欲が異常に昂進したが、それを満たすことができないどころか借金などでどうしようもない状態に追い込まれての自殺がある。強い欲求は生きていくためのエネルギーであるが、それが結果的に死を招く」

宿命論的自殺(fatalisme) 集団・社会の規範による拘束力が非常に強く、個人の欲求を過度に抑圧することで起こる自殺の形態 宮島喬(お茶大名誉教授)によると、「心中」がこの典型例 ただデュルケムはこの類型は注にとどめ、軽視。

デュルケム『自殺論』批判のいくつか① 精神病による自殺を除外しているが アノミー的自殺の説明で「自殺率 ・・・ 不況 < 好況」というが 現代では自殺すると「鬱だった」と診断されることがほとんど。(鬱の診断基準がここ十数年で大幅緩和されたこともあり。寝付き悪いだけで鬱といわれる精神科の状況は内科医から批判される) アノミー的自殺の説明で「自殺率 ・・・ 不況 < 好況」というが 昨今、不況で自殺する人が増えている。アベノミクスで好景気になっても増えれば(もっとも好景気でも企業のみ栄えるなら同じ)デュルケム正しいとなろうが。

デュルケム『自殺論』批判のいくつか② 軍隊での自殺率の多さというが 社会の比較と属性の比較とが混在している。 未開社会 vs 現代社会で未開 = 集団本位的自殺というのは分かる。 ところが、未開の延長 = 軍隊というのは変。現代社会での、軍人の自殺の多さということであれば、それは「自己本位的自殺」や「アノミー的自殺」と矛盾してしまう。

デュルケム『自殺論』批判のいくつか③ 日本では、デュルケムで軽視されている集団本意的自殺と宿命論的自殺が多い(中久郎(自殺の研究で博士号とった元京大文学部長)著「自殺」『社会科学大事典』9巻、1969年、鹿島研究所出版会p.60)。 「お詫びの死、身の潔白を訴える抗議死、諫死(夫の浮気をいさめるための妻の自殺)などがこの型に属する。いずれも自殺というきわめて自発的な行為の動機のなかに他者が関与し、自殺がなにかのための手段視される点に特徴がある」。

デュルケム『自殺論』批判のいくつか④ 社会を纏めて比較出来る前提は? 社会の統合・安定 → そもそも分裂している社会には方法論的集団主義は向かない(前にふれた社会学の危機が方法論的個人主義よりも深刻かなと) ボーダレスな現代社会での有効性の疑問 →別の言い方をすると社会の変動要因をみられない可能性・・・静態的研究、と。

デュルケム=静態的という批判についての補足 D,Wの社会学を自分は統合したと豪語するピーター・バーガー(1929-2017)でさえ、Dの社会学は社会の変動要因をあまりみていずに、統合に力点があって、静態的であると評していた。(統合-分裂の軸で社会を捉えるが、基本的にDは統合を善と考える。Wと違って価値中立でない。自殺のない社会が望ましいのでこの研究をしたなどと述べている!!)-上記()部分は後藤の意見で、牧師の資格をもつバーガー大先生のご意見ではないが。

デュルケムと「犯罪」の有益性 でも、デュルケムは、規範、ルール、制度、一辺倒な人ではない。「犯罪」の有益性を『社会学的方法の規準』(pp.158-9)で述べている。 1.道徳の権威が過度なことはよくない。何事も過度はいけない。 2.犯罪が新たな道徳の予兆をなす。「ソクラテスは犯罪者だった」「思想の自由にしても・・・禁じていた諸規則が公式に廃されるに先立って侵犯され・・・なかった」ら成立しなかった。

処罰儀礼→ルール意識の喚起 また犯罪による規範意識の喚起もデュルケムは唱えた。(フランスは1939年まで公開処刑を行っていた国)  「犯罪がなければ、処罰儀礼も存在しないだろう。そうなると、ルールの存在が儀式的に演示される機会がなくなり、公衆のルール意識は衰弱してしまうだろう。・・・社会が犯罪と処罰なしにあまりにも長い期間を経過すると、社会そのものの結束が薄れ、集団としてばらばらになってしまう」(コリンズ、前掲書p.179でのデュルケムについての説明)

公開処刑の名残りはノーベル賞受賞作にも 俳優セイン・カミュの大叔父で1957年にノーベル文学賞を受賞したアルベール・カミュの代表作『異邦人』(1942年)の一節 「この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎え入れることだけだった。」

デュルケムと「宗教」 先にも少しふれたように、 デュルケムにおいて、神は社会の象徴。あるいは宗教は聖なる集合性の印。(ラビの息子であるだけに) 「デュルケムによれば、「神」とはじつに社会のことであって、神がもつ巨大な力は、人間が社会をかたちづくることによって生じる巨大な力にほかならない」(森下伸也ほか『パラドックスの社会学』新曜社、1989、p.83) 神=モノとしての社会規範と考えれば、「ラビの息子」で意味が通じる。

デュルケムと宗教-参考① 「デュルケムによると、・・・世界は「聖」(sacre)と「俗」(profane)というふたつの領域からなると考えられているという。当然「聖」に宗教の本質がある。そして「聖」とは社会の象徴的表現だというのが、デュルケムの主張だった。つまり宗教とは、ある「聖なるもの」に関連した信念と実践の体系であって、それを支持する人びとを単一の共同体へと統合するものだとした。」(野村一夫『社会学的感覚』http://www.socius.jp/lec/17.html)

デュルケムと宗教-参考② コリンズ『脱常識の社会学』(井上俊ほか訳)(p.64以下)での説明 集団が集まる→エネルギー充溢→集団の中の個人が同じ感情を抱くようになる・・・行為を儀礼化する→集団の考えを象徴する事物で、集団のエネルギーを具体化する(神やトーテム動物)・・・近代では国家や政党や政治理念がそれに相当(要は昔の神に代わるものとして今の国家や政治イデオロギーがあると)

デュルケムと宗教-参考③ 象徴の基盤をなす現実は集団のメンバーが儀礼を実施する際に感じるムード 神も神を表す祭壇、十字架も神聖な事物 聖なる事物の永続性によって、集団が集まっていなくても集団の精神は事物の中で生き続ける、永続性の感覚、永続のためのバッテリーとこれらはなる。(以上コリンズによる)  (たぶん、世界中に離散しているユダヤ人らしい着想といえる―後藤)

デュルケム流に 我々の年中行事を解釈すると① (もちろんそういう即物的解釈以外もある意味正しいが) 特別な事情で人々が集まること・・・聖別化の儀式 結婚式・・・勝手に二人がくっつくのではないことを皆に証人になって貰う・・・証人の集合性・・・そのシンボル(コリンズ流には「神聖な事物」)として神様を使う 葬式・・・亡くなった遺族や同僚を慰めに皆が集まる・・・そのシンボルとして仏様を使う。また新たな社会関係の維持・発展の確認をそこでする→集合性の確認

デュルケム流に 我々の年中行事を解釈すると② お盆・・・家族一同が故郷に帰る・・・先祖も併せて帰ることにすれば家族が集う・・・仏教を使う(本来、日本の固有信仰)・・・家族(親類一同と先祖)が集うことで連帯感を確認 正月に家族が集まる・・・その集合性のシンボルが神様、鏡餅 →盆と正月、葬式と結婚式で使われる「聖なる事物」(シンボル)は仏と神(ケとハレ)と分かれるが、集合性の確認にそれらは利用されている点で仕組みは、ほぼ同一

デュルケム流に 我々の年中行事を解釈すると③ 卒業式・・・学長が授け、国旗・国歌が通常ある。戦前の小学校なら現人神=天皇陛下の述べられた教育勅語が読まれた 表彰式・授賞式・・・皆でその人の栄誉を称える・・・その集合性のシンボルが、国旗や国家であったり天皇(戦前は、実際に神(現人神)でもあった)や国王、オリンピックの国旗。

デュルケム流に 我々の年中行事を解釈すると④ ノーベル賞はスウェーデン国王(平和賞以外)、ノルウェイ国王(平和賞)が授ける。日本で最も権威のある賞とされる文化勲章は、元・神である、天皇陛下が直々に皇居で授ける。 (文化勲章受賞拒否した大江健三郎に対する右翼の攻撃) (「好人好日」 尾関(笠智衆)という数学者が文化勲章を盗まれなくす騒動を描いた映画)1961、松竹・・・モデルは奈良女教授岡潔とされる

デュルケム流に 我々の年中行事を解釈すると⑤ みんなの認知の集合性の色々なレベル 役所の書類<集合写真や会食<権威者(校長<市長<国王)の前での認知<神仏の前での認知 右のものほど権威づけが大きくなる・・・認知された事柄の恒久性が高くなると期待される(国王は血統があり、時間的に長い正統性がある。さらに王権神授説など王を権威づけていたのがキリスト教の神)。

デュルケム自身のテキストでは① デュルケム『宗教生活の原初形態』(1912)(上)(古野清人訳、岩波文庫) 【宗教と集合性】「宗教表象とは集合的実在を表明する集合表象である。儀礼とは集合した集団だけの中で生まれて、これらの集団のある心的状態を刺激し維持しもしくは更新するはずの行動の様式である」(p.31)

デュルケム自身のテキストでは② 【聖と俗】「世界を一つはあらゆる聖なるもの、他はあらゆる俗なるものを含む二領域に区別すること、これが宗教思想の著しい特徴である」(p.72)。 これら聖俗の説明を受けつつ宗教を次のように定義する。「宗教とは、神聖すなわち分離され禁止された事物と関連する信念と行事との連帯的な体系、教会と呼ばれる同じ道徳的共同社会に、これに帰依するすべての者を結合させる信念と行事である」(p.86-87)

デュルケム自身のテキストでは③ (実は巷間いわれるほど宗教を社会に還元しているか、私が読む限り、やや不明)(ただし甥のモースをはじめ膨大な弟子、孫弟子を含めたデュルケム学派全体の基本思考枠組みは、宗教・神=社会であることは間違いない) 次に少しデュルケムを離れ、統合とはどういうメリットがあるのか(逆に何がデメリットか)を見てみよう。

「統合-分裂」の軸で国家を測定する 要因項目 統合に向かう要因 分裂に向かう要因 文化的共通性 言語 宗教 経済的格差 疑似単一民族国家 多民族国家 言語 方言の共通語化 カナダ、スイス、ベルギー等 宗教 国教ありOR 宗教的寛容の徹底 宗教紛争 経済的格差 なし・弱い(従来の日本) 社会主義国家(の理念) あり(構造改革後の日本)  資本主義国家               

統合された社会と分裂した社会の メリット、デメリット 統合した社会 分裂した社会 犯罪 少ない 多い 創意工夫の余地 自由 拘束・規範 多い・堅固 少ない・緩やか 社会の流動性 (浮き沈みのチャンス) 生の意味 明確 曖昧 : アノミー

統合した社会と分裂した社会① それぞれメリット、デメリット(離散民族ユダヤ人・そしてファリサイ人の後裔であるラビの息子でカトリック国フランスに住むデュルケムは統合された社会をよしとするが) グローバリズムはどちらの方向?(英語の国際語化・・・各国語が英語の方言のような位置に-西垣透のいう逆説・・・こういう状況は怪しからんというアジアでの国際会議の使用言語は英語であったと)

統合した社会と分裂した社会② 世界の統合と国内の分裂か グローバリズムの反面、(反グローバリズムも含めた)ローカル主義もかえって顕在化しているのが現在の国際社会(例、ユーゴスラヴィア崩壊後の旧ユーゴ地域) 《生きている意味の供給源でもある小さな共同体志向→国民国家よりも小さな単位で生きていきたい》・・・ローカル主義の考えの根底 皆さんの希望は?

社会の統合の装置(としての側面をもつ)制度や施策① 義務教育制度:「読み書きそろばん」 → 良質な労働力 → 貧富の格差是正 → 社会の安定・統合 → 投票行動における適切な判断力・・・権力の正統性(正当性)の根拠に 公共図書館の「無料原則」もその種の施策かと・・・

社会の統合の装置(としての側面をもつ)制度や施策② コンピュータリテラシー、メディアリテラシーを身につけさせる政策(統合が進み格差が減れば、犯罪は減る) デジタル・ディバイドの解消施策

物質面での統合装置は? もちろん、上記の情報政策以外に 累進課税制度 各種福祉政策 場合によって公共事業と地方交付税 は、物質面で、社会の統合を図る仕組み 富の再配分

(参考)「累進課税」についての 朝日新聞キーワードによる説明 「課税対象の額が大きくなるほど、税率が高くなる仕組み。日本では所得税や相続税などでこの方式がとられている。所得に応じた税負担や、富の集中を排除することなどが目的」 https://kotobank.jp/word/%E7%B4%AF%E9%80%B2%E8%AA%B2%E7%A8%8E-660349  より

(参考)地方交付税についての 総務省のウェブの説明 「地方交付税は、本来地方の税収入とすべきであるが、団体間の財源の不均衡を調整し、すべての地方団体が一定の水準を維持しうるよう財源を保障する見地から、国税として国が代わって徴収し、一定の合理的な基準によって再配分する、いわば「国が地方に代わって徴収する地方税」 (固有財源)という性格をもっています」。http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/c-zaisei/kouhu.html より

富の再配分は誰のため 一見すると社会の底辺の人にのみ役立つ しかしエリート層にも(にこそ)有益 なぜか? おそらく個人間だけではなく政府開発援助等の国際間の問題も同様・・・国際間の格差是正・・・国際的な犯罪(=戦争・テロ)の減少 多国籍企業は国際紛争の減少が有り難い

別の統合の方法・・・ スケープゴード(身代わりの子羊) アドルフ・ヒトラー(1889-1945)の方法(統合のための方法のひとつ)「ユダヤ人問題」 社会内部の対立あり   → あえて外部にもっと大きな対立軸を作る → 共通の外敵に → 内部の対立隠蔽

デュルケムと統合 デュルケムが社会相互を比較しようとした(できた)理由 ・・・フランスが概ね統合された社会であるから ・・・カトリック国 アカデミーフランセーズによる国語(フラ語)の純化の運動を国を挙げて行ってきた歴史 →移民を多く受け入れているとされる現代フランスでは、どうなんだろう?エマニュエル・トッドなどの話しからするとかなり統合は危うい

次に1.5では葛藤を多少見ていく。 1.6では社会の自明性の揺らぎということで、全体社会を現象学的社会学等でどう捉えるかを見ていく。