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翻訳・通訳の歴史1 「日本の翻訳史」 獨協大学 国際教養学部言語文化学科 永田小絵

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1 翻訳・通訳の歴史1 「日本の翻訳史」 獨協大学 国際教養学部言語文化学科 永田小絵
通訳翻訳論 第2回 翻訳・通訳の歴史1 「日本の翻訳史」 獨協大学 国際教養学部言語文化学科  永田小絵

2 翻訳通訳史(日本) 漢字の伝来と漢文訓読法の成立 江戸期における中国文学の翻訳 解体新書の翻訳 明治・大正の文学翻訳
翻訳による新たな概念の導入 長崎の阿蘭陀通詞と唐通事(次回) 幕末の開国交渉と通訳(次回)

3 漢字の伝来と漢文訓読 西暦284年が最初の記録 1.音読:漢文をそのまま中国音で読む 2.訓読:漢文に返り点と送り仮名を付 して読む(初期の翻訳) 3.読み下し:訓読にしたがって書き表 す(統語法の日本語化) 4.日本語に訳す(日本語への翻訳) → 中国文化の摂取と翻訳

4 子曰く、学びて時に之を習ふ、亦説ばしからずや。朋遠方より来たる有り、亦た楽しからずや。人知らずして慍みず、亦君子ならずやと。
先生はおっしゃった。「物事を学んで、後になって復習する、なんと楽しいことではないか。友達が遠くから自分に会いにやってきてくれる、なんと嬉しいことではないか。他人が自分を知らないからといって恨みに思うことなどまるでない、それが(奥ゆかしい謙譲の徳を備えた)君子というものだよ」

5 文選読みによる語訳の試み 文選(もんぜん)読みとは 漢文訓読の一方法。ある語をまず音読し、さらにそ の語の訓を重ねて読む。「片時」をヘンジノカタト キと読む類。文選にこの読み方が顕著にみられると ころからの称。(大辞林第三版) 千字文(せんじもん)の例  天地 天地テンチのあめつちは 玄黄 玄黄ゲンコウとくろくきなり 宇宙 宇宙ウチュウのおおぞらは 洪荒 洪荒コウコウとおおきにおおきなり 日月 日月ジツゲツのひつきは 盈昃 盈昃エイショクとみち・かく

6 平安時代 漢詩(唐詩)の浸透 枕草子 「香炉峰の雪いかならむ」 雪のいと高う降りたるを例ならず御格子ま ゐりて炭びつに火おこして物語などして集 まりさぶらうに少納言よ香炉峰の雪いかな らむと仰せらるれば御格子上げさせて御簾 を高く上げたれば笑はせたまふ。人々もさ ることは知り歌などにさへ歌へど思ひこそ よらざりつれ なほこの官の人にはさべき なめりと言ふ。 

7 『白氏文集』に典拠 香炉峰下新卜山居 草堂初成偶題東壁 日高睡足猶慵起 小閤重衾不怕寒 遺愛寺鐘欹枕聽 香鑪峯雪撥簾看 匡廬便是逃名地 司馬仍爲送老官 心泰身寧是歸處 故郷可獨在長安 日高く睡り足るも猶起くるに慵(ものう)し 小閣に衾を重ねて寒さを怕(おそ)れず 遺愛寺の鐘は枕を欹(そばだ)てて聽き 香鑪峯の雪は簾を撥(かかげ)て看(み)る 匡廬(きょうろ)は便(すなわ)ち是れ名を逃のがるるの地 司馬は仍(な)お老を送るの官たり 心泰(やす)く身も寧(やす)らかなるは是れ帰する処ところ 故郷 何ぞ独り長安にのみ在らんや 現代語訳 もう日はすっかり高く、十分に眠ったというのに、なお起きるのがかったるい。 小さな部屋で布団を重ねて寝ているので寒さの心配は無い。 遺愛寺の鐘は枕から頭を上げて聴き入り、 香鑪峯の雪は簾を引き上げて眺める。 ここ廬山は名利や名誉を求めず引きこもるには、ちょうどいい。 司馬という役職も、老後の隠居生活のためにはうってつけだ。 心が落ち着き、体も安らかなら、それこそ帰るべき場所なのだ。 故郷はなにも長安だけというわけではない。 画 上村松園(うえむらしょうえん) 

8 江戸時代 漢文訓読から翻訳へ 中国近世小説(白話文学) 白話とは「話し言葉に近い書き言葉」 訓読するにはやや無理がある)
江戸時代 漢文訓読から翻訳へ 中国近世小説(白話文学) 白話とは「話し言葉に近い書き言葉」 訓読するにはやや無理がある) 三国演義         (こなんぶんざん)  →『通俗三国志』(1689~92)湖南文山 水滸伝         (おかじまかんざん)  →『忠義水滸伝』 (1757~90)岡島冠山 西遊記           (こうぼくさんじん)  →『通俗西遊記』(1758) 口木山人   『絵本西遊記』(1806~35) 口木山人ほか

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10 日本文学への影響 中国近世小説の翻訳は江戸期文学に大 きな影響を与え、特に伝奇小説の翻案が 行われた。
上田秋成『雨月物語』1776 『椿説弓張月』(ちんせつゆみはりづき) 1811 曲亭(瀧澤)馬琴『南総里見八犬伝』1814 怪談牡丹灯籠  など 以上は『封神演義』、『剪燈新話』など 中国の伝奇物語を下敷きにして生まれた 江戸期文学である

11 解体新書の翻訳 初期はオランダ語を読み書きすること が禁じられていたが、八代将軍吉宗の 時代に長崎の阿蘭陀通詞たちの進言に より読み書きを学ぶことが許可された。 阿蘭陀から多くの書物が輸入されるよ うになり、前野良沢、杉田玄白らが 『解体新書』の翻訳に着手

12 『蘭学事始』杉田玄白 『蘭学事始』:江戸後期に書かれた,蘭学に 関しての回想録。2 巻。杉田玄白著,大槻 玄沢補訂。1815年成立。69 年(明治2)刊。 和蘭(オランダ)事始、蘭東(らんとう) 事始。 『解体新書』:日本最初の本格的な西洋医学 の翻訳書。1774 年刊。当時「ターヘル-ア ナトミア」と通称された,ドイツ人クルム ス著の解剖図譜の蘭訳本を前野良沢・杉田 玄白・中川淳庵ら7 名が翻訳・編纂。本文4 巻図1 巻より成る。 ※ 『蘭学事始』菊池寛

13 大槻玄沢『蘭学階梯』1788年 乾坤2冊25章からなるもので、乾巻では蘭 学のいわれや興隆の次第を略説し、坤巻で、 文字・数量・配韻・比音・修学・訓詁・ 転釈・訳辞・訳章・釈義・類語・成語・ 助語・点例・書籍・学訓にわけてそれぞ れ略述している。本書は入門者用に編集さ れ、不完全ではあるがオランダ語法を体系 化し広く普及しているもので、オランダ語 に対する世人の関心を大いに高めた。

14 解体新書の翻訳  開巻第一のページから、どこから手のつけよう もなく、あきれにあきれているほかはなかった。 が、二、三枚めくったところに、仰(あおむ) けに伏した人体全象の図があった。彼らは考え た。人体内景のことは知りがたいが、表部外象 のことは、その名所もいちいち知っていること であるから、図における符号と説の中の符号と を、合せ考えることがいちばん取りつきやすい ことだと思った。彼らは、眉、口、唇、耳、腹、 股、踵などについている符号を、文章の中に探 した。そして、眉、口、唇などの言葉を一つ一 つ覚えていった。

15 解体新書の翻訳  が、そうした単語だけはわかっても、 前後の文句は、彼らの乏しい力では一向 に解しかねた。一句一章を、春の長き一 日、考えあかしても、彷彿として明らめ られないことがしばしばあった。四人が、 二日の間考えぬいて、やっと解いたのは 「眉トハ目ノ上ニ生ジタル毛ナリ」とい う一句だったりした。四人は、そのたわ いもない文句に哄笑しながらも、銘々嬉 し涙が目のうちに滲んでくるのを感ぜず にはおられなかった。

16 解体新書の翻訳 訳に三等あり 翻訳:日本または中国にもとからある訳 語をあてる 骨、脳、心、肺、血など
翻訳:日本または中国にもとからある訳 語をあてる 骨、脳、心、肺、血など 義訳:対応する訳語がない場合は意味を 汲んで訳す 軟骨、神経など 直訳:漢字または仮名で原語の音を記し た音訳 Klier 「機里爾」(キリイル) 後に大槻玄沢によって「濾胞」と義訳さ れ、最終的に宇田川玄真が「腺」という 国字を当てはめた

17 杉田玄白の通詞観、外国語観 「通弁」に対する軽視 書き言葉重視 外国語学習の目的
読み書きを学ばず、耳で聞き覚えたオランダ語を使って どうにか通訳を行っている通詞についてはかなり見下し た態度をとっている。また、そうした下級通詞の能力に も信用を置いていない。通訳だけを行って書物の翻訳 をしない通詞にはほとんど関心を寄せていない。 書き言葉重視 通詞がオランダの文字言語を学ぼうとしたことについて 「当然そうあるべきだ」という論調。 外国語学習の目的 外国語を学ぶ=翻訳によって外国の学術(特に自然科 学)を日本に導入する。外国人との対話によるコミュニ ケーションは念頭にない。

18 明治~大正時代 講談社学術文庫 齋藤 毅 著 文明開化により急激に流 入した欧米文化は、それ までの日本に存在しな かった思想、制度等をも たらした。明治の先人た ちはこれらに伴う概念を いかに吸収し、自国語と して表現したか。「社 会」「個人」「保険」 「銀行」「主義」「自 由」等々、その後欠くべ からざる語となる新しい ことばを中心に、それら の誕生、定着の過程を豊 富な資料をもとに精細に 分析する。

19 明治大正翻訳ワンダーランド 新潮新書 鴻巣 友季子
明治大正翻訳ワンダーランド 新潮新書  鴻巣 友季子 驚愕! 感嘆! 唖然! 恐 るべし、明治大正の翻訳界。 『小公子』『鉄仮面』『復 活』『フランダースの犬』 『人形の家』『美貌の友』 『オペラの怪人』……いまも 読み継がれる名作はいかにし て日本語となったのか。森田 思軒の苦心から黒岩涙香の荒 業まで、内田魯庵の熱意から 若松賤子の身体感覚まで、島 村抱月の見識から佐々木邦の いたずらまで、現代の人気翻 訳家が秘密のワンダーランド に特別ご招待。

20 明治期の翻訳文学(純文学) 坪内逍遥(1859-1935) シェイクスピア 森鴎外(1862-1922) リルケ、ドストエフス キーなど
坪内逍遥( ) シェイクスピア 森鴎外( ) リルケ、ドストエフス キーなど 二葉亭四迷( ) ツルゲーネフ 尾崎紅葉( )グリム、モリエール、 ゾラ 小栗風葉( ) モーパッサン 上田敏( ) フランス象徴詩

21 黒岩涙香 『鉄仮面』 若松賤子 『小公子』 森田思軒 『探偵ユーベル』 日高柿軒 『フランダースの犬』 島村抱月 『人形の家』
明治期の翻訳文学(大衆文学・児童書) 黒岩涙香 『鉄仮面』 若松賤子 『小公子』 森田思軒 『探偵ユーベル』 日高柿軒 『フランダースの犬』 島村抱月 『人形の家』 庶民への翻訳文学の浸透

22 最古の『ピーター・ラビット』の翻訳 2007年5月に「ピーター・ラビット」の最も古 い他国語への翻訳が日本で発見された。
1906年(明治39年11月、12月)発行  日本農業雑誌 2巻 3号、4号に掲載。 作者ベアトリクス・ポターの名はなく、松川二 郎の名で「悪戯な小兎」の題名となっている。 『ピーターラビットのおはなし』は1902年、 イギリスのフレデリィック・ウォーン社から出 版されベストセラーになった。松川二郎氏の発 表はわずか4年後のこと。

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26 若松賤子 翻訳 『小公子』 明治の初期に言文一致に よる翻訳を行い、翻訳児 童文学ひいては児童を対 象にした口語体表現様式 を開拓し、児童文学の近 代化に寄与した。その訳 文は森田思軒や坪内逍遥 などによって激賞された。 1892年前編 女学雑誌社 1897年全編 博文館

27 若松賤子訳 『小公子』冒頭    セドリツクには誰(たれ)も云ふて聞せる人 が有ませんかつたから、何も知らないでゐたので した。おとつさんは、イギリス人だつたと云ふこ と丈は、おつかさんに聞ゐて、知つてゐましたが、 おとつさんの没したのは、極く少さいうちでした から、よく記臆して居ませんで、たゞ大きな人で、 眼が浅黄色で、頬髯が長くつて、時々肩へ乗せて 坐敷中を連れ廻られたことの面白かつたこと丈し か、ハツキリとは記臆てゐませんかつた。おとつ さんがおなくなりなさつてからは、おつかさんに 余りおとつさんのことを云ぬ方が好と云ことは子 供ごヽろにも分りました。

28 ① 清(きよし) ② 斑(ぶち) ③ 徳じいさん  ④ 綾ちゃん

29 明治の翻訳 『フランダースの犬』 1908年 日高柿軒訳 「清(きよし)と斑(ぶち)は世に頼る蔭 なき寂しい身の上である。ふたりは兄弟よ りも親しい間柄で、清はフランスとベルギ イの境を流るるミウスの川岸に沿った田舎 町アーデンスの生まれで、斑はベルギイの 片田舎フランダース州の産である。 ……小屋の主は貧乏なよぼよぼした老人で、 徳爺さんといふのである。 固有名詞を分かりやすくするため日本名に。

30 「豪傑訳」と「翻案小説」 明治・大正時代の大衆小説の翻訳には 原書に忠実でないものも多くあった。
ストーリーや結末の改竄、省略や補足 など、オリジナルを無視した翻訳は 「豪傑訳」と呼ばれた。 外国の小説にヒントを得た創作もあり、 これらを「翻案小説」と呼ぶ。 故意に翻訳臭(欧文脈)を用いた文体 で創作された作品も出てきた。

31 翻訳文学による国語の変化 社会、政治、経済、自然科学などに用いられる語の 大幅な増加
かつての漢文脈にかわる欧文脈の登場 中浜万次郎の英会話教科書(後述)にみられるよう に最初は英文も「訓読」しようとした。 英文訓読では、一語一語を対応する日本語の単語に 置き換える直訳法を採る。 主語、指示語、人称代名詞、数量詞などが従来の日 本文にくらべて大幅に増える。 「私は私の手の中にひとつのリンゴを持つ」的直訳

32 翻訳による新たな概念の導入 現代日本語に不可欠な語は翻訳語 Societyの訳語 開国初期:侶伴・仲間・交リ・一致・組・ 連中・社中
「社会」、「個人」、「自然」、「自由」など Societyの訳語 開国初期:侶伴・仲間・交リ・一致・組・ 連中・社中 福澤諭吉訳:交際・人間交際・世人・交 り・国 1875年1月14日付け東京日々新聞の論説 福地源一郎が「社会(ソサイチー)」とカナを付してもちいた

33 翻訳による新たな概念の導入 中村正直訳『自由之理』1872年の冒頭部 分 後に「哲学的必然」の訳語 江戸期の最初の訳語は「わがまま」
ジョン・スチュアート・ミルOn Liberty 1859年を訳したもの リベルテイ〔自由之理〕トイヘル語ハ、種々ニ用ユ。リベルテ イ ヲフ ゼ ウーイル〔主意ノ自由〕(心志議論ノ自由トハ 別ナリ)トイヘルモノハ、フーイロソフーイカル 子セスシ テイ〔不得已〔ヤムヲエザル〕之理〕(理學家ニテ名ヅケタルモノ ナリ、コレ等ノ譯後人ノ改正ヲ待ツ。)トイヘル道理ト反對 スルモノニシテ、此書ニ論ズルモノニ非ズ。此書ハ、シヴー イル リベルテイ〔人民の自由〕即チソーシアル リベルテイ 〔人倫交際上ノ自由〕ノ理ヲ論ズ。即チ仲間連中(即チ政府) ニテ各箇〔メイ/\〕ノ人ノ上ニ施シ行フベキ權勢ハ、何如〔イ カ〕ナルモノトイフ本性ヲ講明シ、并ビニソノ權勢ノ限界ヲ講 明スルモノナリ。(『明治文化全集』第5巻、日本評論社、 1927年) 江戸期の最初の訳語は「わがまま」 後に「哲学的必然」の訳語 後に「社会」の訳語


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