石河幹明入社前『時事新報』社説の起草者推定 ― 明治 15 年 3 月から明治 18 年 3 月まで ― 静岡県立大学 平山 洋 日本思想史学会 2013 年度大会 個人発表 2013 年 10 月 20 日 東北大学
『時事新報』無署名社説の起筆者推定 研究の経過:本学会で 2001 年、 2012 年に続いて 3 回目 科研費の採択:テキスト化と起筆者推定に 300 万円 研究の現状:福沢健全期 16 年 6 ヶ月中 4 年分のテキスト 化を終了 今回発表する範囲:明治 15 年 3 月 1 日から明治 18 年 3 月 31 日までの 3 年 1 か月分、 338 日分のテキストによる 研究の公開:発表者サイト「平山洋の仕事」で公開中
福沢語彙について 起筆者語彙:起筆者に特徴的な語彙のこと 福沢語彙:現在のところ以下の通り(選択方法は後述) 身躬から、視做す、冀望、在昔、一系万世、然りと雖ど も、之を譬へば、果たして然らば、三五、落路、際限あ る可らず、決して然らず、會釋に及はず、惑溺、朝鮮政 府、支那政府、満清政府、頴敏、直段、成跡、駁撃、知 る可らず、捷徑、氣の毒、官民調和、甲鉄、懈怠、憂患、 鬱散、繁多、國事多端、談天彫龍、彷彿、實学、盲目千 人、目あき千人、囂々、輻輳、恣にする、喙を容る、懶 惰、無妄、信向、閑を偸まん、大機関、扨々、坐作、莫 逆の朋友、折節、鄙見、慥に、羸弱、妄慢、榮辱、情誼 、損毛、緩巖、鼓腹、撃攘、放頓、入組
確実に福沢語彙であるとする証明は困難 福沢語彙であるための条件: (1)福沢が署名著作中で使用している(慶應 HP 「デジ タルで読む福沢諭吉」で確認済み) (2)弟子が署名著作中で使用していない(国会図書館 デジタルライブラリで確認中) ↓ (2)の証明が困難であるのは明らか 主として(2)に由来する井田メソッドの批判者: 安川寿之輔(名古屋大学)、都倉武之(慶應大学)、 杉田聡(帯広畜産大学)、山田博雄(中央大学)
井田メソッドに対する発表者のスタンス 井田メソッド: 執筆候補者に特徴的な語彙や文体を抽出することで、 福沢が関与した度合いを測る 井田の主張: 同一の社説内で、どこからどこまでが福沢で、また、 弟子の執筆部分はどこまでかを判定できる 発表者のスタンス: ( 1 )福沢が全部を書いた社説と、弟子が全部書いた社 説の区別は可能 ( 2 )福沢と弟子の合作であることを指摘するのは可能 ( 3 )合作の社説が福沢の思想なのか弟子の思想なのか を文面から判別するのは不可能
起草者推定作業の流れ (一)起草者語彙の選定: 井田研究を基準として加除 弟子の署名著作により新たに選定 (二)語彙使用社説の抽出: 前石河社説群中テキスト化した 338 日分からフォ ルダ内検索 (三)推定起草者の判定: 福沢語彙のみを含む社説 146 日中、福沢語彙 3 語 以上を含むもの等 42 日分を福沢直筆社説と推定
(二)語彙使用社説の抽出の実際 「朝鮮政府」「支那政府」「韓廷」「清廷」について テキスト化 338 日分中の出現回数: 「朝鮮政府」 38/338 「支那政府」 79/338 「韓廷」 20/338 「清廷」 25/338 「朝鮮政府」+「韓廷」 13/338 「支那政府」+「清廷」 14/338 福沢署名著作での使用: 「朝鮮政府」 ○ (『兵論』)「支那政府」 ○ (『西洋 事情』『兵論』『丁丑公論』)「韓廷」 × 「清廷」 × 中上川著作での使用: 「朝鮮政府」 × 「支那政府」 × 「韓廷」 ○ 「清廷」 ○
(三)起草者判定の実際 テキスト化 338 日分の区分: (1)福沢語彙のみ検出 146/338 (2)福沢語彙と非福沢語彙の両方検出 93/338 (3)非福沢語彙のみ検出 37/338 (4)いずれの語彙も検出できず 62/338 (1)を福沢直筆社説候補としてよいのではないか ↓ しかし、 146 日分とは、いかにも多すぎるのでは?
福沢直筆社説候補 146 日分について すでに全集に入っている社説の日数: (1)明治版『全集』所収 60/930 (2)大正版『全集』所収 140/930 (3)昭和版『続全集』所収 235/930 (4)現行版『全集』等所収 21/930 合計 456 日分(前石河社説群総数 930 日分中) これに 146 日分を加えると総数の 3 分の 2 を超える 146 日分というのは多すぎる → 弟子との合作が混入?
福沢直筆社説候補 146 日分をいかに絞るか 福沢語彙を多く含む社説ほど信憑性が高い 福沢語彙 1 語のみ含む 52/146 福沢語彙 3 語以上含む 41/146 福沢の経験談を含む社説は信憑性が高い(各福沢語彙 3 ) 「文明の進路を遮ることなかれ」( ) 「黒船打ち払ひ」( ) 「支那帝国に禍するものは儒教主義なり」 ( ) 新発見の福沢書簡により直筆と判明 「数学を以て和歌を製造す可し」( )
推定福沢直筆社説 42 日分 予想される反発: 大正版・昭和版・現行版全集編纂に際し社説採録事業 が実施されているのに、創刊から 3 年強で 42 日分もの直 筆社説があるとは信じられない その反発への反論: 昭和版までに 435 日分も全集に収録されながら、その 後 80 年間に草稿残存社説が 21 日分も発見されたのだから、 他に非残存が 42 日分あったとしても不自然ではない
推定直筆社説の概観( 1 ) 明治 15 年 3 月から 8 月 明治 14 年 10 月の「国会開設の詔」を受けて議会政治への 提言となっているものが多い 言論の自由と自治の精神の必要①②④⑥⑦⑧⑨ ① → 『時事大勢論』 ② → 『藩閥寡人政府論』 ④=「立憲帝政党を論ず」( )の続編 → 『帝室 論』 ⑥⑦⑧では選挙による地方首長選出は時期尚早という結 論 ⑨では「官民調和」の必要が説かれている
推定直筆社説の概観(2) 明治 15 年 9 月から明治 16 年 4 月 明治 15 年 7 月の朝鮮壬午軍乱により、日朝関係は悪化す る ⑩「朝鮮人に西洋実学の主義を移入するべき」 ⑪⑫⑬⑰⑱「政治思想を深めることの重要性について」 ⑰には福沢の個人的な経験が語られている(資料参照)
推定直筆社説の概観(3) 明治 16 年 5 月から明治 17 年 3 月 ⑭⑯⑳「経済力を高めるために物資輸送の有力な手段で ある鉄道建設を推進するべき」 ⑭は福沢語彙 6 語を含む 「交通即ち文明開化なりとは我輩の持論にして交通とは 人の智見を交換し有形無形のものを相互に通することな り。先進の學者が後進の輩を導き、家の父兄が其子弟を 教訓し或は學術の會議討論の如き或は集會談話の如き皆 交通の法にあらざるはなし。」(以下資料参照)
推定直筆社説の概観(4) 明治 17 年 4 月から明治 17 年 7 月 キリスト教の容認について: 「宗教も亦西洋風に従わざるを得ず」( 、 ・昭和版所収)が書かれた意図 「フェアな競争は何よりも優先される」という考えに基 づく
推定直筆社説の概観(5) 明治 17 年 8 月から明治 18 年 3 月 清仏戦争について: 「局外中立を保つべき」(資料参照) 朝鮮甲申政変について: からまで「甲申政変の失敗に強い幻滅感」 とりわけは福沢の個人的経験談 「我輩漢學は至つて不案内なれども少年の時は諸方の 先生の門に入り四書五經以上一と通りは學び得て先ず日 本國中にて漢學者の優劣を評したらば我輩も其中通りに は位することならん。」
ご清聴ありがとうございました