日本のテレビ放送の歴史 国産テレビの誕生、放送番組の歴史(2) 1.日本のテレビ放送の歴史区分 2.1950年代ー街頭テレビから家族視聴へ 3.1960年代ーカラー化とテレビの定着 4.1970年代ー視聴様式の変化 5.1980年代ーニューメディア時代の幕開け 6.1990年代ー多メディア多チャンネル時代の到来 7.2000年以降ー放送のデジタル化とネット対応
1.日本のテレビ放送の歴史区分 (1)テレビの平均視聴時間でみた区分(田中・小川, 2005) 成長・発展期(1953~1970年代前半) テレビが急速に日本人の生活に浸透し、最も身近なメディアとなった時代。視聴者の旺盛な視聴意欲に支えられ、テレビ視聴の基本的枠組みが形成された。 停滞・減少期(1970年代後半~1980年代前半) 意識面でのテレビ離れが生じ、視聴時間量が停滞し減少した時期。 回復・堅調期(1980年代後半~) 視聴時間が増加に転じ、よく見られるようになったが、機能面に対する批判が強まりテレビ視聴が成熟した時期。
(2)テレビと家族関係の変遷でみた区分(井田, 2004) テレビ普及と家族視聴の時期(1953~1974年) ・濃密な家族視聴が誕生した時期(家族団欒) ・家族みんなで1台のテレビを視聴することで、家族の一体感を味わうことができた。 ・テレビは家族の求心力を高めるための道具であった。 ・テレビが“マイホーム”を作りだした。 ・“ホームドラマ黄金期”と重なる。 テレビと家族の関係が揺らぎだした時期(1975~1984年) ・家族を分散させるテレビ(個別視聴)⇔家族の空白を埋める テレビ。 ・辛口ドラマ(『岸辺のアルバム』)、積極的・主体的に生きる女 性像を描くドラマ(『金曜日の妻たちへ』『くれない族の 反乱』)の出現。
個別視聴が進行した時期(1985年~) 個別視聴の拡大とテレビとの団欒。 「ホーム・レス」なドラマ=トレンディ・ドラマが、若い女性の新しい恋愛や生き方を提示。 テレビを1人で見たい人が増加(2000年には「他の人と一緒に見たい」と「1人で見たい」が35%ほどで拮抗)。 家族全員で夕食を食べる家庭も減少。子供一人で食事をする「孤食(個食)」が夕食でも見られるように。家族団欒もなくなる。 テレビの中の団欒(タレントたちのおしゃべり)に画面越しに参加するようになる。 テレビをつけたままにし、自分の部屋に団欒の空気を漂わせる(「個人を包み込む空気」としてのテレビ)。
(3)受信契約数でみた区分(NHK放送世論調査研究所, 1983) 成長期(1953~1962年) 契約数が全世帯の半数に達し、視聴者と視聴量が増大した時期。 発展期(1963~1972年) カラ―放送が始まり、カラ―契約白黒契約を上回った時期。 成熟期(1973年~) 視聴量が頭打ちとなり、集団視聴から個人視聴へと視聴形態が変わっていった時期。
(4)10年ごとの区分(NHK放送文化研究所, 2003) ラジオからテレビへ(~1964年) 白黒テレビが普及 娯楽メディアから総合メディアへ(1965~1974年) カラーテレビが普及 テレビの日常化と個人化(1975~1984年) テレビの複数台所有が一般化 テレビ特性の再認識(1985~1994年) リモコンが普及 メディア環境の変化(1995年~)
2.1950年代ー街頭テレビから家族視聴へ 高度経済成長 1953年 1日4~6時間 受像機 18万円 街頭テレビ 1950年代後半 受像機 18万円 街頭テレビ 1950年代後半 1日8時間 受像機 6万円 三種の神器 高度経済成長
写真1 新橋駅西口広場で街頭テレビに見入る人々 写真1 新橋駅西口広場で街頭テレビに見入る人々
ジェスチャー(NHK, 53~68) 私の秘密(NHK, 55~67) 番頭はんと丁稚どん(毎日, 59~61) クイズ・お笑い ジェスチャー(NHK, 53~68) 私の秘密(NHK, 55~67) 番頭はんと丁稚どん(毎日, 59~61) 光子の窓(日テレ, 58~60) ドラマ 日真名氏飛び出す(KRT, 55-62) 東芝日曜劇場(KRT, 56~) 私は貝になりたい(KRT, 58) アメリカ映画 名犬ラッシー(KRT, 57~64) アイ・ラブ・ルーシー(NHK, 57~60) ヒッチコック劇場(日テレ, 57-62) ペリー・メイスン(フジ, 59-68)
3.1960年代ーテレビの定着とカラー化 (群衆視聴) 街頭テレビ (近隣視聴) テレビ もらい湯 (家庭視聴) テレビ 茶の間
受信契約数 視聴時間 1961年9月 テレビがラジオを追い越す 1962年3月1000万台突破 1962年10月全国世帯の半数 1961年9月 テレビがラジオを追い越す 1962年3月1000万台突破 1962年10月全国世帯の半数 視聴時間 1960年平日 56分 (ラ 1時間34分) 1965年平日 2時間52分(ラ 27分)
カラー化 衛星中継 1960年9月 NHK(東京・大阪)、民放(日本テレビ、KRT、朝日放送、読売テレビ)で本放送。 1964年9月 フジテレビ、1967年4月 NETでカラー放送開始。 1965年10月 東京オリンピック。 1972年3月 カラー契約>白黒契約。 衛星中継 1963年11月 日米間衛星テレビ中継。 ケネディ米大統領暗殺事件。 1965年10月 東京オリンピック、アメリカを介してヨーロッパへ衛星中継。 1969年7月 アポロ11号月面着陸。
ワイドショー 朝・昼・夜の時間帯に定着 木島則夫モーニングショー(NET, 64年4月~68年) スタジオ102 (NHK, 65年4月~80年) 小川宏ショー(フジ, 65~82年) アフタヌンショー (NET, 65~85年) 3時のあなた(フジ, 68~88年) 11PM(読売テレビ, 65~90年)
バラエティ番組 長寿番組 水戸黄門 (TBS, 69~11年) サザエさん (フジ, 69~) 8時だョ!全員集合(TBS, 69~85年) サザエさん (フジ, 69~) バラエティ番組 8時だョ!全員集合(TBS, 69~85年) 巨泉・前武のゲバゲバ90分(日本テレビ, 69~70年) コント55号の裏番組を吹っ飛ばせ(日本テレビ, 69~70年)
4.1970年代ー視聴様式の変化 1970年 3時間5分 1975年 3時間19分 1980年 3時間17分 70年代の平均視聴時間の変化
テレビ報道の確立 テレビで事件が生中継される あさま山荘事件(72年2月, 総世帯視聴率約90%) 佐藤栄作首相 退陣表明会見(72年6月) テレビで事件が生中継される あさま山荘事件(72年2月, 総世帯視聴率約90%) 佐藤栄作首相 退陣表明会見(72年6月) ニュースセンター9時(NHK, 74年4月~88年) RABニュースレーダー(青森放送, 70年4月~)
ホームドラマ 70年代前半はTBSのドラマ全盛期 時間ですよ(TBS, 70年) ありがとう(TBS, 70年) つくし誰の子(日本テレビ, 71年) 前略おふくろ様(日本テレビ, 77年)
新しいジャンルの開拓ー編成の時代 部局横断的番組 NHK特集(NHK, 76年~、89年からはNHKスペシャル) 大型ドラマ 海は甦る(TBS, 77年8月、3時間ドラマ) チャリティー番組 24時間テレビ・愛は地球を救う(日本テレビ, 78年)
5.1980年代ーニューメディア時代の幕開け 1980年代半ばに登場したニューメディア ・文字放送 ・音声多重放送 ・衛星放送 ・都市型ケーブルテレビ ・高度情報通信システム
一般家庭でテレビ視聴に影響を与えたツール 複数のテレビ受像機 個別視聴 家庭用ビデオ録画機 タイムシフト視聴 赤外線リモコン ザッピング
ニュース戦争 ニュースステーション(テレビ朝日, 85年10月) ⇒プライムタイムにおける報道番組 ニュースステーション(テレビ朝日, 85年10月) ⇒プライムタイムにおける報道番組 フィリピン マルコス政権崩壊(86年2月) 天安門事件(89年6月) ベルリンの壁崩壊(89年11月) ルーマニア チャウシェスク大統領夫妻処刑(89年12月)
6.1990年代ー多メディア多チャンネル時代の到来 多メディア・多チャンネル化は90年代を通して進行 ・1989年6月 NHK 衛星本放送を開始 ・1989年6月 放送法改正 ⇒受託放送事業者と委託放送事業者の誕生 ⇒CS放送開始 ・1990年11月 民放の衛星放送(日本衛星放送, JSB, 通 称WOWWOW)開局
7.2000年以降ー放送のデジタル化とネット対応 放送のデジタル化の先駆けはCS放送 1996年10月 パーフェクTV! 1997年12月 ディレクTV 2000年12月 BS放送でデジタル放送開始 2003年12月 地上波放送のデジタル化開始 放送のデジタル化がもたらしたこと
参考文献 井田美恵子 (2004). テレビと家族の50年―“テレビ的”一家団らんの変遷 NHK放送文化研究所年報, 48, 111-144. 川竹和夫(編著) (1983). テレビの中の外国文化 日本放送出版協会 NHK放送世論調査所(編) (1983). テレビ視聴の30年 日本放送出版協会 NHK放送文化研究所(編) (2003). テレビ視聴の50年 日本放送出版協会 岡村黎明 (1988). テレビの社会史 朝日選書 田中義久・小川文弥(編) (2005). テレビと日本人ー「テレビ50年」と生活・文化・意識 法政大学出版会